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映画『トータル・リコール』(1990版)の本当のラストシーンとは?ネタバレ解説

■あらすじ『平凡な労働者のダグ・クエイド(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、なぜか毎晩、火星の悪夢に悩まされていた。ある日、彼は模造記憶プレイを楽しませてくれるリコール社に行き、”悪と戦う諜報員”のプログラムを選ぶ。ところが、突如トラブルが発生し、プレイは中断。しかも、正体不明の凶暴な集団に襲われ、命の危険に晒されることに!全ての謎を解くために火星へと赴くクエイド。果たしてダグ・クエイドは何者なのか?彼の記憶に隠された衝撃の秘密とは?夢と現実が複雑に交錯するSFサスペンス超大作!』



本日、金曜ロードSHOW!で『トータル・リコール』が地上波初放送されます。この作品は、1990年にアーノルド・シュワルツェネッガー主演で製作された『トータル・リコール』のリメイク版で、主人公はコリン・ファレル、監督は『アンダーワールド』や『ダイ・ハード4.0』のレン・ワイズマン。僕は公開時に劇場で観たんですが、映像やアクションシーンなどが現代風にブラッシュアップされ、とてもカッコいいSF映画になっていました。

なお、このリメイク版に関しては、こちらの記事で詳しく解説していますのでよろしければご覧ください。↓
type-r.hatenablog.com
というわけで、本日はポール・バーホーベン監督が撮ったオリジナル版の『トータル・リコール』について書いてみますよ。


※以下ネタバレあり


フィリップ・K・ディックの短編『追憶売ります』を原作とする『トータル・リコール』は、自分のアイデンティティや、虚構と現実の境界があやふやになる恐怖に満ちたディックの世界を初めて本格的に映像化した作品で、後の『マトリックス』などでも描かれる”仮想現実”を取り上げた先駆的な映画として話題になりました。

ただしディックのファンからは「知的でサイバーな原作の世界観に筋肉俳優のシュワルツェネッガーがマッチするのだろうか?」と不安視されていたらしく、映画冒頭からいきなり「土木作業員の姿で掘削機を操るシュワ」というガテン系丸出しな映像が飛び出した瞬間、一斉に座席からズリ落ちたらしい(笑)。まあ、原作では「小心者の会計士」というキャラクターだったのですから無理もないでしょう。

この肉体労働者風の役作りはシュワルツェネッガーの発案ですが、映画全体を彩るパワフルで暴力的な描写は、間違いなく『ロボコップ』や『スターシップ・トゥルーパーズ』を撮ったポール・バーホーベン監督のテイストと思われます。中でもマイケル・アイアンサイド率いる謎の集団に襲われる場面は、エスカレーターに乗っていた一般市民を巻き添えにしながら、派手な銃撃戦が繰り広げられるという凄まじさ!

しかも無関係の一般人は、敵の弾が当たって死んだ後、さらにシュワルツェネッガーによって弾避けにされた挙句、ズタボロになったその死体をシュワが敵に投げつけて逃走するという、悲惨すぎる結末を迎えるのだからたまりません(いくらなんでもヒド過ぎるだろw)。SF映画でありながら、人体破壊描写の多さでも他を圧倒しており、グロシーンが苦手な人は要注意です。

また、当時はまだCGが一般化していなかったため、特殊メイクなどのアナログVFXが満載な点も見どころでしょう。おっぱいが3つある女ミュータントや、太ったおばさんが分割して中からシュワが現れる衝撃映像、火星の大気圧で飛び出す目玉など、天才的な特殊メイクアップアーティスト:ロブ・ボッティンが手掛けた驚愕ビジュアルを存分に堪能できますよ。



特に僕が好きなのは「ロボットのタクシー運転手」ですね。この世界のタクシーには、人間そっくりのロボット運転手が設置されていて、行き先を告げると自動的に連れて行ってくれるんですけど、良く考えたらタクシーそのものが自動化されていればいいわけで、わざわざ人間型のロボットを積んでおく必要はないんですよね。そういう無駄なテクノロジーが凄く面白かったです(笑)。

そんな中でも一番の見せ場は、何と言っても「鼻ボール」でしょう。シュワルツェネッガーが頭部に仕掛けられた追跡装置を取り出すために、自分の鼻の穴に奇妙な器具を突っ込んで、ピンポン玉ぐらいの球体を無理矢理引っこ抜くシーンは見ているこっちが痛くなりそうなほど強烈で、トラウマ級のインパクトを放っていました。

「面白顔面見本市」と評しても全く過言ではないほど、ダミーヘッドの完成度が素晴らしい!アカデミー視覚効果賞を受賞したのも納得のクオリティですね。

さらに本作は、どこまでが現実でどこからが夢なのか良く分からない”虚構の世界”を描いている点も大きな特徴です。この「夢か現実か」という題材は、後に『インセプション』などでも扱われている普遍的なテーマなのですが、ポール・バーホーベンが撮ると”バイオレンス・アクション”の要素が前面に出すぎて、本来の深遠なテーマ性がやや霞んでしまうのが難点かもしれません(苦笑)。

ただ、「現実だと思っていたけど夢だった?」と観客の思考を揺さぶる場面を何度も入れることで、虚構とリアルの境目を曖昧にしている点は見事だと思いました。たとえば冒頭は、主人公が火星にいる夢のシーンから始まります。その後目覚めて、リコール社に行き、仮想現実プログラムを試そうとして異変発生。

何だかんだあって火星に行くと、変なおっさんが現れて「君は今夢を見ているんだ」と言われ、妙な薬を渡されるものの、おっさんが汗をかいているのに気付いて射殺する。という具合に「夢なのか?現実なのか?」という状態が二転三転するわけです。

特にラストシーンは人によって解釈が大きく分かれるようで、「クエイドは現実世界で戦っていたんだ」という人がいる一方、「いや、彼はずっと夢を見ていたんだ」という人もいるらしい。

トータル・リコール』の物語は、クエイドとメリーナ(レイチェル・ティコティン)がキスするシーンで幕を閉じますが、その時、画面が真っ白に光ります。”夢の世界説”を主張する人は、このホワイトアウトが「主人公が夢から覚めた瞬間だ」と解釈しているようです。果たしてどちらが正しいのでしょう?

実は、この映画には”幻の別エンディング”というものが存在していたのです。そして劇場公開版やDVD版では「最後にクエイドとヒロインがキスして終わり」となっていたのに対し、日本語吹き替えVHSビデオ版では、エンドロールの後、なんと「リコールマシンに座っていたクエイドが目覚める場面」が追加されていたらしい。

これは「全てはクエイドが見た夢(装置によるニセの記憶)だった」ということをハッキリ知らしめるために加えられたシーンで、「本来はこのエンディングになる予定だったが諸事情でカットされた」とのこと。すなわちこの映画は、「こうしてクエイドは火星の危機を救ったヒーローになりました。めでたしめでたし」という”夢オチ”だったのですよ。

では、どこからが夢なのか?と言うと、クエイドがリコール社を訪れ、マシンに体を固定されて意識を失うところまでが現実で、そこから後の展開は全て”夢”なのだそうです。この辺の説明は、DVDのオーディオコメンタリーでポール・バーホーベン監督が詳しく解説していたので、その一部を抜粋してみます。

「私が示唆していたのは、もし全てが夢なら彼は最後に人格を失うだろうということだ。だから画面を”黒”ではなく、”白”で終わらせたんだよ。彼の脳が壊れたことの象徴としてね。つまり全ての出来事は彼の空想にすぎず、現実世界に戻れなくなった、という結末を表わしているんだ」
(『トータル・リコールDVDオーディオコメンタリーより)

なんと、監督の考えでは「映画で見せていたストーリーは全てリコール社がプログラムした”夢の物語”で、主人公は最後に目覚めるものの、すでに脳は壊れていた」というオチだったらしい。でも、これじゃ完全にバッドエンドですよねぇ(実際の映像では、夢から覚めたクエイドがニッコリ笑って終わるので、そこまで暗い雰囲気ではないのですが…)。

まあ、監督はこういうことを意識していたけれど、「現実である可能性」も残すために、劇場公開版では敢えてこのラストシーンをカットしたのかもしれません。

なお、本作には後に『氷の微笑』でブレイクするシャロン・ストーンが主人公の奥さん役で出演しており、もう一人のヒロイン(レイチェル・ティコティン)と激しいバトルを繰り広げます。最終的には「これで離婚した」というシュワの名言と共に頭を撃ち抜かれて死亡するわけですが、このシーンを見ていてちょっと気になったところがありまして。

額の真中を銃で撃たれたシャロン・ストーンは、顔の右側を下にして倒れます。すると当然、弾痕から出てくる血は右側に流れるわけですよ(2枚目の画像でもちゃんと右側に流れてますね↓)。


ところが、その直後に駆け付けたマイケル・アイアンサイドが彼女を抱き起こすと、右側に流れていた血が左側に移っているのです。顔の向きを左右に変えたとしても、流れ出た血の跡は残っているはずですが…?不思議だなあ(^_^;)

ちなみに、1978年に連載が始まった寺沢武一のSF漫画『コブラ』には『トータル・リコール』とそっくりなシーンが出てきますが、これはバーホーベン監督が『コブラ』をパクッたわけではなく、どちらもフィリップ・K・ディックの『追憶売ります』を元ネタにしているからなんですね(『コブラ』第1話↓)。

平凡な日常に退屈していた主人公は、ある日「自分の夢を仮想体験できるサービス」を受けるために特殊なマシンを使用するが、なぜかプログラムされていないはずの”夢”を見る。実はそれこそが彼の本当の記憶だった!という具合に、『トータル・リコール』と『コブラ』の内容は非常に似通っています。

今だったら問題になりそうですけど、1970年代の連載当時はインターネットも無かったし、「海外のSF小説からネタを得る」というのは石ノ森章太郎藤子不二雄みたいな有名漫画家も普通にやっていたようなので、特に問題視されなかった(そもそも誰も元ネタを知らなかった?)のかもしれませんね。

ただ、近年になってアレクサンドル・アジャ監督が『コブラ』を実写映画化しようとしたものの、何らかの事情で実現に至らなかったとか。噂では「1億5,000万ドル以上の高額な製作費がネックになっている」と言われていますが、実は『トータル・リコール』との類似性が理由だったりして(笑)。


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