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ジョージ・ルーカスが大激怒!『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の制作現場はこんなに凄かった


ゴールデン・ウィーク真っ只中、皆さんいかがお過ごしでしょうか?本日、5月4日はなんとスター・ウォーズ』の日です!いや、もちろん日本では”みどりの日”なんですけど(笑)、海外ではルーカス・フィルム公認の“Star Wars Day”であり、世界中のファンがスター・ウォーズの文化を祝い、映画を称える日として親しまれてきたそうです。

ではなぜ、5月4日がスター・ウォーズの日なのかと言えば、劇中の定番セリフ「May the Force be with you(メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー=フォースと共にあらんことを)」を「May the 4th(メイ・ザ・フォース=5月4日)」にかけた語呂合わせらしい(ダジャレかよw)。ちなみに、日本の一般社団法人・日本記念日協会も、5月4日を「スター・ウォーズの日」と正式に認定したそうです。

去年の5月4日には、「じゃあ何か『スター・ウォーズ』に関連する記事でも書こうかな〜」と考え、ジョージ・ルーカスがどうやって最初の『スター・ウォーズ』を作ったのか、その制作過程をマル秘エピソードや裏話を交えて書いてみました(興味がある方はこちらをどうぞ↓)
type-r.hatenablog.com
なので本日は、続編となる『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲(STAR WARS EPISODE V:THE EMPIRE STRIKES BACK)』が完成するまでの撮影裏話や知られざるメイキング・エピソードなどをご紹介したいと思います。


※今回の記事は1作目の『スター・ウォーズ』が公開された後の話です。


さて、『スター・ウォーズ』の爆発的な大ヒットにより、ジョージ・ルーカスは一夜にして莫大な収益を手に入れました(その前の『アメリカン・グラフィティ』の時もヒットによる収益はあったのですが、そのお金の大半を『スター・ウォーズ』の製作費に突っ込んでいたので、手元にはほとんど残っていなかったらしい)。

つまりルーカスは『スター・ウォーズ』に全てを賭け、そして見事”バクチ”に勝ったのですよ。ところが、彼の賭けはこれだけでは終わりません。なんと、続編の『帝国の逆襲』を作る際にも、『スター・ウォーズ』で得た2000万ドルをそのまま突っ込み、再び大きな”バクチ”を仕掛けたのです!

しかし、もし映画が失敗すれば、彼も奥さんも路頭に迷うのは必至という、まさに一か八かの大勝負!いったいなぜ、ルーカスはこんな危険な賭けに出たのでしょう?実は20世紀フォックスと交わした契約内容が、「2年以内に続編を作らなければ『スター・ウォーズ』の続編の権利は20世紀フォックスに譲渡される」となっていたからです。

1作目の『スター・ウォーズ』は映画会社の言いなりで契約したため、こういう不本意な状況になっていました。なのでルーカスは、「『帝国の逆襲』では映画会社に資金を頼らず、出来るだけ自分にとって有利な契約を結ぼう」と決めたのです。受け取る収入も前作の40パーセントから大幅にアップし、最終的には77パーセントまで引き上げることに成功。

一方の20世紀フォックスは配給費用を全額負担しなければならず、その配給権も7年間に限定。さらにTV放映権やマーチャンダイジング権も全てルーカスが所有することになりました(ただし、マーチャンダイジング収入の10パーセントはフォックスに入ることになった)。

ルーカスは20世紀フォックスに対してこのような破格の条件を突き付け、もしフォックスが拒否するなら「他のスタジオへ持って行く」と宣言したのです。フォックス側は難色を示したものの、訴訟に巻き込まれて無駄な時間と金を費やすわけにもいかず、従うしかなかったらしい。こうして、納得できる条件を勝ち取ったルーカスは、意気揚々と『帝国の逆襲』の製作へと着手しました。しかし、例によってルーカスの周りでは数々のトラブルが巻き起こったのです……。

まず、『帝国の逆襲』の脚本を最初に担当したリィ・ブラケットは60代のベテラン脚本家で、ハワード・ホークスの『三つ数えろ』『リオ・ブラボー』『ハタリ!』などを執筆し、さらに自らSF小説も書いていました。彼女のウィットに富んだ台詞の数々は『アメリカン・グラフィティ』にも大きな影響を与えたと言われています。

ところが、『帝国の逆襲』の初稿が完成したわずか2週間後にリィ・ブラケットが癌で死亡するという、まさかのアクシデントが勃発。なんと、いきなり脚本家がいなくなってしまったのです!

脚本家がいなければ、当然映画は作れません。すでに撮影の開始時期が迫っていたため、スタッフは大慌て!「もう二度と脚本は書かない」と誓ったルーカスでしたが、他に適任者が見つからず、結局自分で書かざるを得なくなりました。イースター休暇にはメキシコでのんびり過ごす予定だったのに、家族が海辺で日光浴をしている間、一人でホテルに引き籠り、執筆しまくるはめに…。

しかし、脚本作業は難航し、全く完成の目処が立ちません。そこでスティーブン・スピルバーグに相談したところ、広告代理店に勤めるコピーライターのローレンス・カスダンを推薦されました。彼はもともと『レイダース』の脚本家として雇われたのですが、その文体は『スター・ウォーズ』でも通用すると判断したのでしょう。

後日、完成したばかりの『レイダース』の脚本を持ってルーカスに会いに行ったカスダン。そこでルーカスから食事に誘われ、いきなり「『帝国の逆襲』の脚本を引き受けて欲しい」と依頼されました。驚いたカスダンは、「まず『レイダース』の脚本をお読みになってはいかがですか?」と返答。この時、ルーカスはまだカスダンの脚本を1ページも読んでいなかったからです。

するとルーカスは笑って言いました。「もし『レイダース』が気に入らなければ、君に電話して断るだけだよ」と。ルーカスは過去に打ち合わせの席上でカスダンの発言内容をチェックしており、短い時間の中で彼の才能を見抜いていたのです。

ハリウッド最大級のヒット作の続編という重責に加え、『レイダース』との同時進行にカスダンは不安げな表情を見せましたが、ルーカスは素早くその心情を察知し、「スティーブンは『1941』に取り掛かっているから、『レイダース』をやるまでしばらく時間があるだろう。その間に『帝国の逆襲』をやってくれればいい」と説得しました。こうして、『帝国の逆襲』の脚本はローレンス・カスダンが執筆することになったのです。

さて次の問題は、「誰が監督をやるのか」ということでした。ルーカスは前作の『スター・ウォーズ』で心身ともに疲弊し切っていたため、「現場から身を引きたい。誰か他の人に委任したい」と考えていたのです。そこでプロデューサーのゲイリー・カーツは200人の監督候補リストを作成。選考過程は役者のオーディション並みのシビアさで、そこからルーカスが20人に絞り込み、最終的にアービン・カーシュナーが選ばれました。

カーシュナーはもともとクラシックの音楽家でしたが、USC(南カリフォルニア大学)で映画術を学び、その後は教える側にもなったベテランです。さらに彼の映画は、人間関係への洞察力、ユーモア感覚、そして完成された視覚テクニックも持っていて仕事も早いという、まさにルーカスが求める条件にピッタリでした。

ルーカスはカーシュナーをオフィスに連れて行き、壁に貼ったスカイウォーカー・ランチの建設予想図を見せながら、『スター・ウォーズ』製作への参加を打診しました。その時の様子を、カーシュナーは次のように語っています。

世間話をしている時に、「もしよかったら『帝国の逆襲』を監督しませんか?」って普通に言われたんだよ。まるで友達をテニスにでも誘うような感じでね。あれはビックリしたなあ(笑)。

しかし、カーシュナーはルーカスの示した壮大なプロジェクトに感動したそうです。「信じられないような計画だった。映画で稼いだ全財産を、ライブラリーや研究費のために投資し、監督たちの創作の場を提供する。彼は、映画への愛が新しい次元へ広がっていくような素晴らしい環境を作ろうとしていたんだ」と。その瞬間、カーシュナーはルーカスに惚れ込み、『帝国の逆襲』の監督を引き受けようと決意したそうです。

そして1978年11月、撮影開始を5カ月後に控え、ルーカスのオフィスにカーシュナー、カスダン、カーツが呼ばれました。ルーカスは2週間かけて、各シーンの意図やドラマティックな要素、カーシュナーに対する演出への希望などを説明。カスダンはこの打ち合わせで取ったメモを持ち帰り、25ページの第1稿を執筆しました。

するとルーカスは素早くこの脚本を分析し、修正個所を指摘したそうです。実は、ルーカスには「良く出来ているものは無視して、気に入らないものを批判する」という嫌な癖があったらしく、カスダンはそんなルーカスのやり方に当惑を隠せませんでした。

なぜならルーカスの指摘通りにストーリーを書いたら、とても中途半端なものになり、「結末でキャラクターの疑問や課題を解決しないのは、あまりにも第三作(『ジェダイの帰還』)に頼りすぎている」と感じたからです。

そう、『帝国の逆襲』の最大の特徴は、話の途中から物語が始まり、主人公が敵に敗れ、謎や疑問が一切解明されないまま「次回へ続く!」と唐突に終わる点でした。これは、当時の劇場用作品としては極めて珍しい構成で、映画関係者の間でも物議を醸したそうです。なぜなら、まだ家庭用ビデオが普及する前の時代では、「1作目を観ていない人を2作目の観客として当て込むのは不可能」と思われていたからです。

なのでカスダンも、「こんな中途半端な終わり方で大丈夫だろうか?」と不安視していたのですが、これに対してルーカスは「まあ、アクションシーンがたっぷりあれば、観客も気にしないだろう」と極めて楽観的に考えていたらしい(フィルム・メーカーとしてのルーカスの欠点は、「アクションのためにテーマや劇の展開を犠牲にしてしまうことだ」との指摘もあり)。

このような状況の中でカスダンが脚本を書いている間、ルーカスはキャスティングに取りかかっていました。前作との連続性を保つためにはオリジナルのキャストが必要不可欠だったため、ルーカスは前作以上のギャラと利益配分を約束。

するとマーク・ハミル(ルーク)やキャリー・フィッシャー(レイア)などのオリジナル・メンバーは続編への出演を快諾しました。でも、その中でただ一人、ギャラに不満を示した俳優がいたのです。それがハリソン・フォードでした。

当時、すでに有名俳優となっていたハリソン・フォードは、前作の数倍の額を要求したのです。しかし、ルーカスはその要求を突っぱねました。ルーカスの意思は固く、もしフォードが受け入れなければ、ハン・ソロのキャラクターを放棄するつもりでいたそうです(どんなストーリーになるんだよ…)。が、フォードはハン・ソロに愛着があったらしく、最終的には他の共演者と同額で契約書にサインすることになりました(良かった〜!)。

また、前作でオビ=ワン・ケノービを演じたアレック・ギネスはこの当時目を患い、照明のきつい映画の仕事は避けるようにと医者から言われていたものの、「映画に重みをつけるためにどうしても出て欲しい」というルーカスの願いを聞き入れ、出演することになったらしい(ただし撮影は1日だけ)。

そんな中、最後まで迷っていたのはC-3PO役のアンソニー・ダニエルズでした。彼は、『スター・ウォーズ』の撮影が終了した直後、「C-3POのコスチュームを叩き壊したかった」とコメントするぐらい、この役を演じることが辛かったそうです。

しかし、悩んだ末に結局アンソニーも出演を承諾。キャラクターに対する愛が勝ったのでしょう。『帝国の逆襲』への出演を決めた際、彼は次のように語っていました。「一生C-3POの面倒を見たいほど気に入っている。でも、ここから狂気の世界が始まるんだ」

こうして全てのキャストが決定し、いよいよ撮影開始……かと思いきや、まさかのタイミングで予期せぬアクシデントが勃発!『帝国の逆襲』の撮影は、1979年3月からイギリスのエルストリー・スタジオで始まる予定でしたが、そのセットでスタンリー・キューブリックの『シャイニング』を撮影中に火災が発生し、スタジオが焼失してしまったのです。

スケジュールは既に動き出しているため、スタジオの修復を待っている時間はありません。そこで、当初の予定を変更し、海外ロケが先に行われることになりました。氷の惑星ホスの舞台となったのは、オスローとベルゲンの中間に位置する「ノルウェーで最も標高の高い村」と言われるフィンセ。氷河地帯のこの村で、俳優やスタッフは映画の冒頭シーンを撮影することになったのです。

ところが、ここでも「記録的な大寒波にみまわれる」という不運が発生!おかげで、連日マイナス20度近くに達する極寒の中、凍傷や強風、雪崩の脅威に耐えながら、必死でロケを敢行するはめになってしまいました(あまりの寒さで機材のトラブルも続出し、多くのシーンは帰国してから撮り直したらしい)。

冬のフィンセとその周辺の気候は、ヨーロッパでも最も変わりやすい所で、突如として突風が吹き、雪が猛烈な勢いで巻き上がるような環境に放り込まれた役者たちはもう大変!吹雪で方角がわからなくなったり、生命の危険に晒されることさえあったそうです(そのため、人命救助班と看護婦が常にスタンバイしていた)。

さらに、第2班の監督だったジョン・フェリーが撮影初日から体調を崩し、感染症髄膜炎が悪化。その結果、なんとその日の夜に亡くなってしまったのです!信じられないような悲劇を目の当たりにして、現場に衝撃が走りました。

前作の『スター・ウォーズ』の時にも不運は続きましたが、ついに死者まで出てしまったことにスタッフは騒然。しかし、これ以上スケジュールを遅らせるわけにはいかないため、急遽プロデューサーのゲイリー・カーツが第2班の監督を務めることになったのです(う〜ん、なんてこった…)。

ちなみに、ノルウェーのマッタ・ルイーセ王女は『スター・ウォーズ』の大ファンだったらしく、2005年に生まれた自分の娘に「レイア」と名付けたことがニュースになりました(リアル・レイア姫誕生w)。この時、マッタ・ルイーセ王女は新聞のインタビューに対し、「私はずっとレイア姫が世界一の美女だと思っていた」と答え、多くの映画ファンを微妙な空気にさせたそうです(笑)。

その後、ようやくエルストリー・スタジオが使えるようになり、イギリスでの撮影がスタートしました。しかし、ここでもまたまたトラブルが頻発し、スタッフは大混乱!最も大変だったのは、ハン・ソロを冷凍する場面でした。

30年代のマッド・サイエンティスト映画のイメージを再現しようと、蒸気を噴き出す仕掛けを作ったものの、セット中に蒸気が充満し、プラスチックが溶けて有機ガスまで発生するという大惨事に!ゲイリー・カーツ曰く、「前作よりも遥かに手の掛かる映画だった。際限なく苦しみが続くように思えたよ。ルーカスだったら倒れていたかもしれないな(笑)」とのこと。

一方、ゲイリー・カーツアービン・カーシュナーが現場で悪戦苦闘している間に、ルーカスはサンフランシスコ郊外のILM(インダストリアル・ライト・アンド・マジック)で特殊撮影を担当していました。前作の時は、特撮監督のジョン・ダイクストラILMを管理していましたが、ルーカスの期待に沿うような成果は得られず、「もう自分でやるしかない」と考えたのでしょう。

しかも、ダイクストラは会社の設備やスタッフを勝手に使って『宇宙空母ギャラクティカ』を製作したため、ルーカスの逆鱗に触れてILMを去っていました。その結果、ILMにはリチャード・エドランドデニス・ミューレンなど数人のスタッフしか残っていませんでしたが、『帝国の逆襲』では『スター・ウォーズ』の2倍以上の特撮ショットが必要となるため、急遽スタッフを募集することになったのです。

さらに、特殊効果の予算だけでも700万ドルを投資し、最新設備を続々と導入しました(新型のキャメラに設置する特注のレンズ1個で50万ドルもかかったらしい)。そして「誰も見たことのない斬新な映像が欲しい!」というルーカスの要望に従い、「雪原を進む巨大なAT-ATスノーウォーカー」や、「氷の惑星ホスを飛び回るスノースピーダー」など、映画ファンの度肝を抜きまくる衝撃的なヴィジュアルを次々と生み出していったのです。

しかし、最新のテクノロジーを駆使した『帝国の逆襲』で大々的にフィーチャーされた特撮は、意外にもアナログなストップモ−ション・アニメでした。古くは『タイタンの戦い』など、コマ撮りアニメはファンタジー作品などで昔から親しまれていたものの、”リアリティ”という観点からは(どちらかといえば)敬遠されがちだった技法です。ましてや、当時の超大作映画でストップモ−ション・アニメが大量投入されるのは異例中の異例でした。

ところが、ILMはそんな”古きコマ撮り技術”を現代風にブラッシュアップし、「神業的なストップモ−ション・アニメ」へと昇華させたのですよ。それが”視点移動”という新しいアプローチです。それまでのコマ撮りアニメは、人形を1コマずつ微妙に動かし、さらに後からライブ撮影した背景素材と合成するため、カメラをフィックス(固定)しておくのが常識でした。

しかし、『帝国の逆襲』ではオープニングからいきなり凄まじい映像が炸裂!このシーンでは、上空から地上を映していたカメラが雪原を走っているトーントーンを見つけて急降下し、そのまま接近するという驚異的なカメラワークを実現しています。もちろん、従来の方法ではこんなショットは撮れません。

この場面を担当したデニス・ミューレンも、最初にルーカスから演出プランを聞いた瞬間、「そんなの絶対に不可能だ!」と頭を抱えたそうです。しかしミューレンは考えました。「モーション・コントロール・カメラを使えばいけるかも…」と。モーション・コントロール・カメラ(MCC)とは、前作の『スター・ウォーズ』で使用した「コンピュータでカメラの動きを制御するシステム」のことです。

デニス・ミューレンは、このMCCの技術を応用し、ヘリコプターで撮った実景の移動バックグラウンドとモデルアニメ素材を計算処理でマッチムーブさせるという前代未聞の手法にチャレンジし、現在のCG合成技術の先駆的なテクニックを開発しました。こうして、「視点移動し続けるヘリ空撮にコマ撮りアニメを合成せよ」というルーカスの無理難題を見事にクリアーしたのです。

このようなスタッフ一人一人の創意工夫で次々と素晴らしいシーンが生み出されていく中、ルーカスはカーシュナーが撮影したラフカットを確認するためにイギリスへやって来ました。しかし、その映像を見た瞬間、『スター・ウォーズ』の最初の時と同じように強烈なめまいを覚えたのです。「ガッカリしたよ。予算はオーバー、僕の資金も底を尽いているっていうのに、そこにあったのは駄作だったんだ!」

カーシュナーは膨大な量のフィルムを2時間ほどにまとめていましたが、ルーカスは前半の80分を取り上げ、そのフッテージの半分をカットしてしまったのです。この行為に対し、カーシュナーとゲイリー・カーツは猛反発。元に戻すようにとルーカスを批判しました。すると突然、ルーカスが逆ギレ!「ふざけるな!お前らが俺の映画を壊してるんだろ!?お前らがメチャクチャにしたものを、俺が直してやってるんじゃないか!」

カーシュナーは怒り狂うルーカスを静かになだめ、冷静に説得しようとしましたが、ルーカスはますます激怒し「これは俺の金だし、俺の映画だ!俺の好きなようにやる!余計な口出しはするな!」と怒鳴り続けたそうです。その時、編集担当のポール・ハーシュが言いました。「ジョージ、僕たちに向かって”お前ら”はないだろう。みんな共同でやってるんだ。僕たちはチームじゃないのか?」と。

ルーカスは自分が映画を救えないことにパニックを起こし、絶望のあまり我を見失ってしまったのです。前作とは異なり、『帝国の逆襲』は全てルーカスの自己資金で作っている”自主製作映画”であるため、余計に「自分の作品だ。自分が何とかしなくては…」という思いが強かったのでしょう。

しばらくするとルーカスは落ち着きを取り戻し、カーシュナーが提案した変更案を受け入れ、彼の指示通りに映画を編集し直しました。ルーカスは、皆の前で取り乱したことを恥ずかしく思いましたが、他のスタッフは「ルーカスがどれほど精神的に追い詰められているか」を知るきっかけになったのです。以下、当時の様子を振り返るジョージ・ルーカスのコメントより↓

「カーシュナーは、映画製作が大幅に遅れていることが、どれほど僕の生活の負担になっているかなんて知らなかったんだよ。でもこの映画が失敗すれば、僕は全てを失ってしまう。彼は他の映画を監督できるかもしれないけど、僕は終わりなんだよ。僕はあの時、本当にギリギリの崖っぷちに立たされていたんだ」

この時期、ルーカスの経済的な危機は日に日に深刻の度合いを増し、スタッフへの給与の支払いだけで毎週100万ドルを超えていたのです。そしてついに、『帝国の逆襲』のためにバンク・オブ・アメリカから融資を受けることになりました。当初の予算は1500万ドルでしたが、スケジュールの遅延など様々な理由で2200万ドルに膨れ上がっていたからです。

しかし銀行側は、フランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』の時に、1200万ドルの融資が最終的に3200万ドルまで跳ね上がった経験から、「映画製作に関わるのはヤバい」と警戒信号を出していました。そしてルーカスがさらに追加で600万ドルの融資を申し込んだ時、「もうこれ以上はビタ一文出せない」と断られてしまったのです。

資金が底を尽いたら、映画の製作はストップしてしまう!しかも20世紀フォックスとの契約で2年以内に続編が完成しなければ、権利を取り上げられてしまうのです。だから何が何でも期限までに映画を完成させなければならない。そんな状況ですから、ルーカスが焦ってパニックになるのも無理はないでしょう。

このようなルーカスの焦りは、公開日が近づくにつれて増大し続け、ある時点でとうとう限界を超えてしまいました。なんと、いくつかのシーンが不十分な仕上がりであるにも関わらず、「もう撮り直しをするための時間や予算はほとんど残っていない。だから、このまま上映するしかない」と”妥協”しようとしたのです。

これを聞いて、今度はゲイリー・カーツが激怒しました。「冗談じゃない!こんなカッコ悪い映像を公開できるか!やり直しだ!」と叫んでリテイクを要求。特に「ミレニアム・ファルコン号がクラウド・シティに着陸する場面」は、オプティカル合成とミニチュア模型が未完成のままだったため、何としてでも直したかったようです。この時の様子を、ゲイリー・カーツは次のように語っていました。

「SFX担当のリチャード・エドランドを含めて、時間的に間に合うのか、予算は足りるのかなど、かなり激論になったが、結局やり直してずっと良くなった。あの時初めて、ルーカスが手を抜いたのを見た。公開日に間に合わないと大変なことになるので、彼は時間のことしか頭に無かったんだよ」

いくつかのショットを撮り直したためにスケジュールや予算はますます厳しくなったものの、そのおかげで『帝国の逆襲』の完成度は確実にアップしました。なので、いまだに「『スター・ウォーズ』の本当の貢献者はゲイリー・カーツだ」と評するファンも少なくないようです。しかし、この一件でルーカスとの決裂は決定的なものとなり、やがてカーツはルーカスフィルムを去ってしまいました。

こうした紆余曲折を乗り越えた末に、ようやく『帝国の逆襲』が完成!結局、クランクアップまでに3000万ドル近くが消費されましたが、ルーカスの心配をよそに『帝国の逆襲』は公開前の時点で劇場側から2600万ドルを集め、マーチャンダイジング契約の前払いで1500万ドルが入り、製作費の元はわずか2カ月で回収できてしまったのです。

さらにチケットの売り上げは全世界で3億ドル、その後リバイバルや特別篇などの再上映で継続的に興収を稼ぎ続け、トータルで8億ドル近くの売り上げに達しているのですから「凄まじい」としか言いようがありません(日本でも興収60億円以上を稼ぎだしてダントツの1位)。こうしてジョージ・ルーカスは再びバクチに勝利し、巨万の富を得ることに成功したのです。

また、この映画に対するファンの評価も上々で、「シリーズ全6作品の中で『帝国の逆襲』が一番好き」という人が最も多いらしい。その理由は、1作目が驚異的な大ヒットを記録し、観客の誰もがその続編に最大限の期待を注いでいる中、彼らの期待を裏切ることなく、むしろ何倍も素晴らしいものを与え、十分に満足させることが出来たからでしょう。そういう意味でも、『帝国の逆襲』は非常に稀有な続編映画と言えるのではないでしょうか。

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