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疑問を徹底解説!『インターステラー』ネタバレ映画感想/考察


■あらすじ『近未来の地球。環境は加速度的に悪化し、植物の激減と食糧難で人類滅亡の時は確実なものとして迫っていた。そこで人類は、居住可能な新惑星を求めて宇宙の彼方に調査隊を送り込むことを決断。この過酷なミッションに選ばれたのは、元テストパイロットのクーパーや生物学者アメリアらわずかなクルーのみ。しかしシングルファーザーのクーパーには、15歳の息子トムとまだ幼い娘マーフィーがいた。このミッションに参加すれば、もはや再会は叶わないだろう。それでも、泣きじゃくるマーフィーに“必ず帰ってくる”と約束して旅立って行くクーパー。果たして彼らは新天地を見つけ、無事に地球へ帰還することができるのか?そして主人公がラストに辿り着いた衝撃の結末とは!?人類存亡の危機を回避するために永遠の離別を迎えようとしている一組の父娘の絆を壮大なスケールで描き出すハードSF超大作!』


海外で11月7日から公開されたクリストファー・ノーラン監督の劇場最新作インターステラーは、全世界で6億ドル以上の興行収入を叩き出し、大ヒットを記録した。日本でも11月22日から全国512スクリーンで封切られ、興収2億7,908万3,200円を達成。ただ、その後成績は伸び悩み、12月末現在ではランキング圏外へ滑り落ちるなど、海外に比べてかなり苦戦している模様。いったいなぜなのか?

この映画に対する評価を見てみると「SF映画の最高傑作だ!」と大絶賛している人から、「全然意味が分からない!」と猛烈に批判している人まで、実に様々な意見が溢れているようだ。特に批判的な人から「ダメな理由」とされているシーンが、クライマックスの”ぶっ飛んだ展開”で、あの場面を「凄い!」と感じるか、それとも「なんじゃこりゃ?」と感じるかで評価が大きく変わってくるのだろう。

本作の内容をざっくり説明すると、「深刻な環境汚染の影響で滅びつつある地球に見切りを付け、移住可能な他の惑星を求めて恒星間航行(インターステラー・ドライブ)に挑む人々の姿と、その家族たちの”時空を超越した揺ぎ無い絆”を描く愛と感動の物語」である。

まあ、要は人類の危機を救うために何万光年も彼方のイスカンダルを目指して飛び立つ宇宙戦艦ヤマトと似たような話なんだけど、最大の特徴はSF的な設定をかなり真面目に描いているところ。「SF作品なんて昔からあるじゃん」と思うかもしれないが、過去の映画やアニメでは”科学的な正確さ”っていうのはあまり重要視されてなかった。

例えば我々が今いる銀河系から別の銀河系へ移動する場合、通常の方法では時間が掛かりすぎてまず実行できない。そこで今までの映画では「ワープ航法」という特殊な方法を生み出し、この問題を解決していたのである。しかし、”ワープ”というものが科学的にどうなっているのか、その実態については詳しく描かれることはなく、単に「長距離を移動するときに便利なもの」という曖昧な概念しか提示されていなかった。

それを本作では、「ワームホール」を利用することで銀河から銀河への移動(ワープ)をリアルに描いてみせたのだ。まあ、過去の映画にもワームホールが出てくるパターンはあったが、その仕組みを真面目に考証しているのがミソなのである(ちなみに『スター・トレック』の場合は、宇宙船自体を亜空間フィールドで包み込むによって超光速航行を可能にしている、という設定)。

しかも理論物理学者のキップ・ソーンをコンサルタントに迎えて、”科学的に正しい描写”を検証し、最新の研究成果に基づいたブラックホールの姿を完全再現。さらに「相対性理論」や「ウラシマ効果」や「事象の地平線」や「特異点」など、日常生活ではまず使うことがないようなSF用語をバンバン出してくるというガチな仕様にその手のマニアは大興奮!まさにSFファン垂涎の映画と言えるだろう。

しかしその反面、会話はテクニカルタームだらけになるわ、起きている現象を理解するのに時間がかかるわで、ある程度SFモノに慣れている人でないと話についていくのはちょっと厳しいかもしれない。一応、ワームホールの基本原理を説明するシーンなども出てくるし、科学知識がないような人でも大丈夫な作りになってはいるものの、SF小説SF映画に馴染みが薄い人にとっては「何が何やらさっぱり分からん」ということになりそうだ。

そこで今回は、映画を観た人の間で「この場面はどういう意味なの?」と疑問の声が上がっていたシーンをいくつか取り上げ、「たぶんこういうことなんじゃないかな?」と自分なりの解釈を交えながら感想を書いてみたいと思う。合っているかどうかは保障できないが、まあ何かの参考になれば幸いです。

ワームホールは存在するのか?
インターステラー』は「土星の近くに存在しているワームホールを通過して別の銀河系に移動する」というストーリーだ。ワームホールとは、別名「アインシュタイン・ローゼンブリッジ」とも呼ばれ、「ある空間と別の空間をつなぐ抜け道のような構造をしており、それをくぐり抜けると一瞬にして遠く離れた別の空間へ移動できる」と考えられている。

しかしワームホールは非常に不安定で、生成されてもすぐに消滅してしまうらしい。そこで理論物理学者のキップ・ソーンは、「もしも”負の圧力を持った物質”が存在するならば、ワームホールを維持することが可能かもしれない」と考え、それを”エキゾチック物質”と名付けた(あくまでも理論上の存在)。

エキゾチック物質は、通常のエネルギーとは逆に、空間を押し広げようと働く性質を持っている。この性質によって、不安定なワームホールを補強し、通過可能な状態を維持してやるわけだ。ただし、ワームホールもエキゾチック物質も、現在の科学力では実現できない。そこで本作では、後述する”5次元の生命体”によってワームホールが作られた、と説明している。


●ラザロ計画と”重力”の関係について
ラザロ計画とは「滅びつつある地球に見切りを付け、主人公達が移住可能な他の惑星を見つけて生き延びる計画」のことで、要するに「人類宇宙移民計画」なのだが、その内容は2種類あって、プランAとプランBに分かれている。

プランAは「現在の地球人を全て他の惑星に送る」というもの。そしてプランBは「人類の受精卵のみを移住先で人工培養して種の存続を図る」というものだ。当然、主人公はプランAを実現させるために必死で惑星を探す(プランBでは自分の家族達を救えないから)。

ところが、彼らが宇宙へ飛び出した後、「実はプランAなど無かった」という衝撃の事実が発覚する。ラザロ計画の発案者のブランド教授は、プランAの実行に必要な「重力の謎」を解明するため、長年研究に取り組んできたものの、ある時点で「この謎は解明できない」ということに気付いてしまったのである。

その後、ブランド教授は老衰で息を引き取る直前に真相を暴露し、教授と一緒に研究を続けていたクーパーの娘:マーフは驚くわけだが、そもそもなぜ「重力の謎」が解けなければプランAは実行できないのか?その理由は、人間の数が多すぎるから。

全人類を宇宙へ送り出すには、当然それなりに巨大な宇宙船やスペースコロニーが必要だが、そんなに巨大な質量を宇宙まで飛ばすことは技術的にも極めて難しい。そこで重力を制御する方法を見つけるために研究を重ねていたが、結局謎は解けず、プランAは断念せざるを得なかった、というわけだ。

一方、プランBは従来の技術でも実行可能。しかし、現人類を見殺しにするプランBを選択したら周囲からの反発は必至だろう。そこで、とりあえず研究を続けるフリをしながら、「君たちが新惑星を見つけるまでには重力の謎を解いておくから」と宇宙飛行士を送り出し、密かにプランBを実行しようと目論んでいたのである。

●ミラーの星ではなぜ時間の経ち方が違うのか?
ミラー飛行士が待つ水の惑星に到着したクーパーたち。だが、ミラーは見つからず、しかも大津波に巻き込まれて時間をロスした後に宇宙船に戻ってみると23年が経過していた。水の惑星は大質量ブラックホール:ガルガンチュアのまわりを公転しているため、重力の影響を受けて1時間を過ごす間に地球では7年が経っていたのである。

この辺、映画の中ではサラッと流されていたので「ん?どういうこと?」となった人もいたようだが、一般相対性理論によると「重力が強い場所ほど時間の進み方が遅くなる」ということが証明されているらしい。例えば、質量が地球の約33万倍もある太陽の場合、その表面では地球よりも100万分の2秒だけ時間の進み方が遅くなっているのだ。

ガルガンチュアは太陽よりもさらに重力が強いため、近づけば近づくほど時間の進み方が遅くなり、その表面(事象の地平面)では時間がほぼ止まって見えるらしい。クーパーたちはガルガンチュアのすぐ側にある惑星に降りたため、まともに重力の影響を受けて時間の進み方が遅くなったというわけだ。

なお、決して本人が「時間が遅く流れている」などと自覚しているわけではない。あくまでも「地球側から見たら遅く見える」というだけなのだ。もし、クーパーの側から地球を見たら、ビデオの早送りみたいに物凄いスピードで時間が流れているように見えただろう。これが「時間とは絶対的なものではなく、相対的なものだ」というアインシュタイン相対性理論なのである。


●クーパーはなぜブラックホールへ落ちて行った?
マン博士がやらかしたおかげで、甚大な損害を被ったエンデュランス号は燃料と酸素のほとんどを失ってしまった。もはや地球へ帰ることはできない。そこでクーパーとアメリアは、ブラックホールの重力を利用してエドマンズの惑星へ行くためのエネルギーを確保しようと考える。

その途中で「後は任せたぞ!」とばかりにクーパーが自分の宇宙船と共にブラックホールへ落下してしまうのだ。で、このシーンを観た人は「エンデュランス号の質量を減らすために犠牲になったのでは?」とか、「”運動量保存の法則”により、エンデュランス号の進行方向とは逆向きに物体を射出することで推進力を得たのだろう」などと考えたようだがちょっと違う。

当初は、ブラックホールの重力を利用することで移動エネルギーを確保(スイングバイ)しようとしたものの、エドマンズの惑星に到達するには、それだけではまだエネルギーが不足していたのだ。それに気付いたクーパーは、アメリアに黙ってペンローズ過程”を実行したのである。ペンローズ過程とは、宇宙物理学者のロジャー・ペンローズが提唱した「自転するブラックホールからエネルギーを取り出すプロセス」のこと。

これは、ゴミを容器に入れ、自転するブラックホールの”エルゴ領域”と”事象の地平面”の間に投入し、ゴミをブラックホールに捨てて容器のみを回収すると、質量とエネルギーの等価性によって「ゴミの質量+ブラックホールの減少した質量」に相当する加速エネルギーが取り出せる、という理論だ。

しかし、いったん入ってしまうと光でさえ脱出できないはずのブラックホールから、どうしてエネルギーが取り出せるのだろう?実は、ブラックホールの「回転エネルギー」を利用していたのである。まず、エルゴ領域の外側から物体をブラックホールの回転方向に向かって投入。それがエルゴ領域の中に入ったのを確認してから2つに分裂させ、一方をブラックホールへ落とす。

ここで、ブラックホールの回転方向とは逆の方向にもう1つの物体を投下すると、もう一方はもともと投げ入れた物体が初めに持っていた以上のエネルギーで飛び出してくるのだ。そしてエネルギーが増えた分だけ、ブラックホール自体の回転エネルギーが減少し、回転速度は遅くなる。これが「ペンローズ過程」だ。

ペンローズ過程で一番効率よくエネルギーを増やすには、ブラックホール表面ギリギリのところで、2つの物体の相対速度が光速になるように分裂させればいい。こうすれば、理論上では最初に持っていたエネルギーの約1.3倍のエネルギーを獲得できるらしい。

クーパーはこの理論を実行しようと覚悟を決めていたが、アメリアに止められることを予想し、直前まで言わなかったのである。そしてガルガンチュア周辺のエルゴ領域にエンデュランス号が侵入した後、クーパーは自らのレインジャーを切り離し、事象の地平面に突入。こうすることで、エンデュアランス号がエドマンズの惑星まで到達するために必要な加速エネルギーを獲得させたのだ。

ブラックホールに落ちて助かるの?
アメリアを助けるために自らブラックホールへ飛び込んだクーパー。このシーンを観た多くの人が「えええ?そんなことして大丈夫なのかよ?」と思ったに違いない。もちろん、実際のブラックホールがどんなものか知る由もないが、「とんでもなくヤバいところ」という事だけは何となく分かる。

ではいったい、人間がブラックホールに落ちるとどうなってしまうのか?現在の物理学では、ブラックホールに吸い込まれた物質は特異点に落ちて消えてしまうそうだ。消える直前の物質は、強大な潮汐力によって電子やクォークのような素粒子レベルまでコナゴナに分解されるらしい。

なので、ブラックホールに落ちたクーパーも当然コナゴナになるかと思いきや……なんと無事だった!実はこれ、「ブラックホールの種類」に原因があったらしい。基本的にブラックホールの形態は、「シュヴァルツシルトブラックホール」、「カー・ブラックホール」、「ライスナー・ノルドシュトルム・ブラックホール」、「カー・ニューマン・ブラックホール」の4種類。

このうち、回転していないものが「シュヴァルツシルトブラックホール」、回転しているものが「カー・ブラックホール」と分類されている。そして『インターステラー』に登場するガルガンチュアは、回転しているから「カー・ブラックホール」になるわけだ。

では、「シュヴァルツシルトブラックホール」と「カー・ブラックホール」に落ちた場合、どのような違いが生じるのか?まず、”特異点”の形状が違う。特異点とは、ブラックホールの中心に存在すると言われている「大きさがゼロで密度が無限大のポイント」のことだ。角運動量を持たないシュヴァルツシルトブラックホールでは文字通り”点”として存在するが、本作の場合は回転するカー・ブラックホールなのでリング状になっている。


もし、ガルガンチュアが回転しないシュヴァルツシルトブラックホールだったら、事象の地平面を越えていったん吸いこまれると、あとはまっすぐ中心の特異点に向かって落下するしかない。そうなった場合、もうクーパーは助からなかっただろう。

しかし、幸いなことに本作では回転するカー・ブラックホールだった。なので、吸い込まれてもまっすぐ特異点に向かわず、ブラックホールの周囲をグルグル回るような動きになったのである(これを「レンス・ティリング効果」という)。

やがて特異点に近付いていくのだが、カー・ブラックホール特異点は遠心力でリング状になっているため、上手く宇宙船を操作すれば、リングの中央を突破できる可能性があるのだ(あくまでも”理論上”は)。恐らくクーパーは、何とかしてリングの真ん中に突入し、奇跡的にリング状特異点を通り抜けたものと思われる。しかし、彼が辿り着いたその場所は…。


●クーパーが辿り着いた空間はどこ?
インターステラー』を観賞した多くの人が、この場面を見て「なんじゃこりゃ?」と呆気にとられたことだろう。死を覚悟してガルガンチュアに飛び込んだクーパーが見たものは、上下左右に大量の書物が並んだ巨大な図書館みたいな場所であった。さらに良く見ると、本の隙間から子供の頃のマーフや若いクーパーの姿が見える。とてもSFとは思えぬ幻想的なビジュアルに「ココどこやねん!?」と混乱するのも無理はない。

この空間は、ブラックホールの最深部に存在すると言われている特異点周辺を映像化したもので(厳密に言うと特異点そのものではなく、後述する4次元超立方体”テサラクト”の映像化)、一見「なんじゃこりゃ?」と思うようなシーンながらも、最新の宇宙物理学によって科学的に検証された描写らしい。と言っても、ブラックホールの中を見た人が誰もいないので、科学的に正しいかどうかなんて証明のしようもないんだけど(笑)。

しかし問題は「なぜこんな光景が見えるのか?」ということだろう。ファンタジー感丸出しのビジュアルは、どう見ても”科学的に正しく検証された”とは信じ難い。この空間は”テサラクト”と呼ばれる4次元の超立方体で、マーフの部屋を通じて地球の過去、現在、未来全ての時間と連結している、という設定らしい(ちなみに、このシーンはCGではなく、実際に巨大なセットを作って撮影している)。



では、「4次元超立方体」とはいかなるものか?「幾何学の祖」と呼ばれるユークリッド(紀元前300年頃)が記した『原論』では、次元を「立体(3次元)の端は面(2次元)である」「面(2次元)の端は線(1次元)である」「線(1次元)の端は点(0次元)である」と定義した。

また、フランスの哲学者ルネ・デカルト(1650年没)は、次元を「1点の位置を決めるために必要な数値の個数」と定義した。1次元(線)なら距離Xで、2次元なら座標X・Y、そして3次元なら座標X・Y・Zで、1点の位置を決定することができる。

しかし、こうした定義では3次元を超える次元を説明できない。よって、長らく3次元以上の次元は存在を認められていなかった。古代ギリシアの哲学者アリストテレス(紀元前320年頃)は、「立体は"完全"であり、3次元をこえる次元は存在しない」とまで論じていたという。

この限界を打ち破ったのが、19世紀の数学者アンリ・ポアンカレ(1912年没)である。ポアンカレは、ユークリッドの定義を逆手にとって、次元を以下のように定義し直した。

端が0次元になるものを1次元(線)とよぶ
端が1次元になるものを2次元(面)とよぶ
端が2次元になるものを3次元(立体)とよぶ
端が3次元になるものを4次元(超立体)とよぶ

ポアンカレの定義は、低い次元から高い次元へと登っていく点でユークリッドに勝る。つまり、この方法を使えば、5次元でも6次元でも、好きなだけ多くの次元を定義し、幾何学の中で扱うことができるのだ。

これは、「ある次元の図形を、その次元に含まれない方向へ動かすことで、もとの次元より一つ高い次元の図形をつくることが可能」ということでもある。すなわち、立方体を3次元空間に含まれない方向へ動かせば、4次元の超立方体が出来るのだ。これが「テサラクト(テセラクト)」と呼ばれる4次元超立方体である。

しかも、このテサラクトは我々”3次元”の人間とは別の時空に存在する”5次元”の人間によって作られたという。また、主人公たちが宇宙を移動する際に使用したワームホールを作ったのも”5次元人”だと考えているようだ。ではいったい、5次元とは何なのか?そんなものが本当に存在するのだろうか?


●5次元世界とは何か?
1999年、人類の常識を覆す「5次元世界」の概念を発表し、一躍世界の注目を集めたのがリサ・ランドール博士である。彼女は、ハーバード大学で物理法則を研究する理論物理学者だ。「5次元世界は3次元世界の縦・横・高さに時間、そして5番目の次元方向への距離で表される」と提唱したリサ博士の数式は、現在、世界中の物理学者たちの論文に最も多く引用されているらしい。

ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く

宇宙に存在する別の次元の正体をわかりやすく解説しています
リサ博士によると、我々が住んでいる3次元を「シャワーカーテン」だとすれば、バスルーム全体が5次元空間で、我々はシャワーカーテンに貼りついた「水滴」のようなものだという。水滴がシャワーカーテンの上を滑って下に落ちていくのと同じように、我々も3次元世界の中を自由に移動できる。

しかし、その水滴がシャワーカーテンからバスルームに飛び出すことが出来ないように、我々も5次元世界など別の高次元世界へ飛び出すことは決して出来ない。「もし我々が2次元世界に住む生物だったとしたら、3次元の世界を想像したり絵に描いたりすることは難しいだろう。それと同じことだ」とリサ博士は説明している。

このように、3次元以上の世界がどのようになっているのかについては、現代の物理学でも解明されておらず、その理解には量子論一般相対性理論を融合させた「量子重力理論」の完成が必要とされている。さらに量子重力理論にはいくつかの種類があり、その一つが「超ひも理論超弦理論)」だ。

超ひも理論によると、この世には5次元どころか10次元が存在するという。そして3次元を超える余剰次元(隠れた次元)から”膜宇宙(ブレーンワールド)”という仮説が生み出された。これは「宇宙は高次元時空に浮いた膜(ブレーン)である」という仮説で、近年研究が進められている宇宙理論の1つらしい(M理論等も含まれる)。

世界で一番わかりやすい! [マンガ]超ひも理論

難解な宇宙理論をマンガでやさしく解説した本です
このような、実際には観測されていない物理学上の仮説を映像化したものが、クーパーが見ている奇妙な空間なのだ。彼のいる場所は今までとは全く異なる次元であり、別のブレーンワールドである可能性が高い。ここでは時間の流れも一方向ではないらしく、幼い頃のマーフから成長して物理学者になったマーフまで見ることができる。

そこでクーパーは特異点で得たデータを腕時計によってマーフに伝え、マーフはそのデータを研究することで”重力の謎”を見事に解き明かしたのだ。その後、人類は重力を自在にコントロールできるようになり、巨大なスペースコロニーを作って宇宙へ移民した、というラストの展開に繋がっていく。

まあ確かに、これだけ”ぶっ飛んだ光景”を見せられたら賛否両論真っ二つに分かれるかもしれないが、個人的にはこういうイマジネーションの飛躍は嫌いではない。むしろ、こんなに難しい題材なのに、あくまでも娯楽映画に徹しようとしているその姿勢には頭が下がる。

広大な宇宙空間を舞台にし、最新の科学データを駆使しながら、それでも最終的に人類を救うのは純粋な”愛の力”だった!という結論に至っては、感動を通り越して尊敬の念すら湧いてきた。ガチガチのハードSFかと思いきや、まさかそこまでエンタメを追求してくるとは…。

正直、あのシーンは作劇的にも結構ギリギリだと思う。それまで散々ハードな展開を見せておいて、いきなり「愛だ!」とか言い出したら、「はあ?何言ってんの?」みたいなことにもなりかねないからだ(実際、僕が観た映画館でも客席がちょっとザワついたw)。しかし、それでも怯まずに堂々と「愛なんだよ!」と言い切っているところが素晴らしい。

そしてラストの、アメリアが”エドマンドの星”で佇んでいるカットも同様に愛の素晴らしさを訴えている。エドマンドの星へ行くことを希望するアメリアに対して、「君の判断には科学的な根拠が無い」と一蹴していたクーパー。しかし、実はエドマンドの星には酸素があり、人類の居住に適していたことが判明する。つまり、科学よりも”愛”を信じたアメリアの方が正しかったわけだ。

そんなアメリアを助けるために、たった一人で宇宙へ飛び立っていくクーパーの姿もカッコいい!彼は”人類を救う”という巨大な使命よりも、どちらかといえば”自分の娘(家族たち)を守りたい”という非常に個人的な動機でこのミッションに参加している。だから、年老いた我が娘と再会できた時点で、彼の願いはほぼ達成されたはずなのだ。

にもかかわらず、どうして再び宇宙を目指すのか?僕は、そこにノーラン監督の想いが込められていると思う。その想いは他の場面にも見られ、例えばこの映画は近未来を描いているわけだから、当然現在のテクノロジーの延長線上にあるのだろう。だが奇妙なことに、スマートフォンを操作している人の姿が全く映らないのだ(パソコンは映っているのに)。

その理由は、ノーラン監督が大の”スマホ嫌い”だから。映画公開前のインタビューでも、周囲の状況に目もくれず一心不乱にスマホの小さな画面に集中している最近の若者を見て、「かつて科学は宇宙を見上げていたのに、今はみんな下を向いてスマホをいじっている」と嘆いていたらしい。

前作『インセプション』では、ひたすら人間の内側へと向う物語を描いたノーラン監督。だが、そんな『インセプション』とは対照的に、『インターステラー』にはひたすら外へ外へ飛び出そうとするパワーを感じる。そこには「お前ら、スマホばっかりいじってないで、もっと広い世界へ目を向けろよ!」というノーラン監督の力強いメッセージが込められていたのだ。

このメッセージを端的に表わしたものが、ラストのクーパーの姿だと思う。「必ず生きて帰ってくる」という娘との約束を果たしたクーパーには、もう危険な旅に出る理由はない。しかし、それでも彼は再び宇宙へ飛び出し、遥かな荒野を目指す。外へ外へ。宇宙にはもっと面白い場所がある。誰も見たことがない未知の世界へ向かうフロンティア・スピリットを忘れるな!そんな声が聞こえてきそうなラストシーンだった。

また、劇中で何度も引用されるディラン・トマスの詩の一部も印象的である。「穏やかな夜に身を任せるな 老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に 怒れ、怒れ、消え行く光に」というこの詩には、死に抵抗を示す老人の気持ちが描かれており、『インターステラー』の中でも「滅びゆく地球と運命を共にすることを良しとせず、最後まで運命に抗おうとする人々の姿」を描いていた。

だが、この物語は単純にディラン・トマスの詩をなぞっているだけではない。ノーラン監督自身も認めていることだが、本作はスタンリー・キューブリック監督の2001年宇宙の旅』を強く意識した作劇になっている。『2001年宇宙の旅』を観た人なら「ああ、あのシーンか」とすぐに気付いただろう。クーパーが事象の地平面をくぐり抜けて”巨大な書庫”に辿り着くシーンは、宇宙飛行士のボーマンがスターゲイトをくぐり抜けて”白い部屋”に辿り着くシチュエーションと全く同じなのだ。

ところが、そのシーンが意味しているものは180度異なっている。『2001年宇宙の旅』の場合は、人類よりも遥かに高度な知的生命体が地球人に働きかけ、次のステージへと導く…みたいな内容だった。それに対して『インターステラー』は、「主人公たちを助けようとしている者は、遥か未来の人類(自分たち)だった」という話になっている。

つまり、『2001年宇宙の旅』が「まさに神のごとき崇高な存在によって我々は進化させられているんだよ」と訴えていたのとは対照的に、「人類は他の誰かに助けられたりなんかしない!神の救済などあてにするな!自分たちの運命は自分たち自身で決めてやる!」と高らかに宣言しているのだ。う〜ん、熱い!なんて熱いメッセージなんだ!

この映画を観て「科学考証に優れたリアルなSF映画」と褒めている人も多いようだが、決してそれだけが重要なのではない。むしろ一見リアルっぽく見せていても、その中身はあくまでも”親子の愛”と”宇宙のロマン”に満ち溢れた純粋な娯楽映画なのだ。

その上で、『2001年宇宙の旅』には無かった”人間ドラマ”を真正面から描き、”人類の可能性”を堂々と肯定している(オマージュであると同時に、ある意味『2001年』に対するカウンターにもなっているのだ)。ハードSFの名を借りた人間賛歌。それこそがまさにこの物語の本質であり、『インターステラー』の真の価値と言えるだろう。


インターステラー(字幕版)

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インターステラー(吹替版)

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※『インターステラー』の世界をシンプルに図解したイラスト↓

なお、本作の理解をより深めるために知っておきたい関連作品を挙げておくと、小説では『幼年期の終わり』と『星を継ぐもの』。実写映画では『2001年宇宙の旅』と『コンタクト』。アニメでは新海誠監督の『ほしのこえ』と庵野秀明監督の『トップをねらえ!』など。最低限この辺りを押さえておけば、どういう状況で何が起こっているかを把握するのに役立つのではないかと。

特に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の庵野監督が作った『トップをねらえ!』は本作のドラマ展開と非常に近い設定になっているので(内容は全然違うが)、観ておくことをお勧めしたい。ただし「エッチな服を着た女の子がおっぱいをボヨンボヨン揺らしながら巨大ロボットに乗って宇宙怪獣と戦う」という極めてマニアックなアニメなのでご注意ください(笑)。

2001年宇宙の旅 (字幕版)

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コンタクト (字幕版)

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ほしのこえ

君の名は。』の新海誠監督が一人で作った愛と感動の宇宙SFアニメです

トップをねらえ!

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