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知られざる驚愕の真相!映画『ターミネーター』制作裏話

本日、午後のロードショーターミネーターが放映されます。『ターミネーター』といえば、もはや説明の必要がないほど有名な映画ですが、公開当時はほぼ無名の監督が撮った低予算映画ということで注目度は皆無でした。そんな『ターミネーター』は、どのような経緯で生み出されたのか?というわけで、映画制作にまつわるマル秘エピソードや裏話的なトリビアなどを書き連ねてみたいと思います。


●悪夢から生まれた『ターミネーター
1981年、ジェームズ・キャメロンは初監督作品『殺人魚フライングキラー』を撮るためにジャマイカへやって来た。しかし製作費は驚くほど少なく、スタッフもスケジュールも常にギリギリ。役者の衣装代も出ないほどの低予算で、俳優に自前の服を持ってこさせるなど、現場の状況は最悪だったそうだ。さらに特殊効果担当者が作ったピラニアの模型があまりにも酷い出来栄えだったため、しかたなくキャメロンが徹夜で作り直すこともあったらしい(ひどい話だなあw)。

そんな悲惨な環境にもかかわらず、懸命に撮影を続けたキャメロン監督。ところが、イタリアの映画会社は撮影が終わった途端にフィルムを全部引き上げ、「もう用は無い」とばかりにキャメロンを解雇したのである。激怒したキャメロンは自腹でローマまで渡航し、「俺に映画を作らせろ!」と直談判。しかし、要望は聞き入れられず、会社を追い出されてしまった。この時、ほぼ無一文状態のキャメロンは、ローマの宿泊施設を徘徊しながら、ルームサービスのトレイを漁って食べ残しを探すなど、限界まで追い詰められていたらしい。

しかも、空腹に追い打ちをかけるように悪性の流感に感染し、数日間にわたって高熱に苦しみ続けたのである。さらに鬱病まで発症して精神的にも肉体的にもボロボロに…。だが、病気で生死の境を彷徨っている間、キャメロンは恐ろしい幻覚からインスピレーションを得ていた。それは、金属製の骸骨が包丁を使って床を這っている強烈な悪夢。この悪夢こそが、後のターミネーターのイメージへ繋がるきっかけになったのだ。


●サラ・コナーのモデルは自分の嫁
失意のどん底からロサンゼルスに戻ってきたキャメロンは、さっそく『ターミネーター』の脚本を書き始める。主人公サラの職業は、自分の昔の奥さんがやっていた仕事と同じウエイトレスにした(サラ・コナーは「ボブのビッグバンズ」というレストランで働いているが、キャメロンの奥さんは「ボブのビッグボーイ」というレストランで働いていたらしい)。


●『ターミネーター』の脚本を1ドルで売却
ターミネーター』の制作にあたり、キャメロンは以前勤めていた会社(ニュー・ワールド・ピクチャーズ)の元同僚ゲイル・アン・ハードとタッグを組んだ(後に二人は結婚する)。脚本が完成すると、キャメロンは「必ず自分に監督させること」という条件付きでハードにたったの1ドルで売り渡し、彼女は『ターミネーター』をハリウッドの全ての映画会社に提案して回った。


●伝説のプレゼン
多くの映画会社に無視されたものの、やがて一つの会社が『ターミネーター』に興味を示す。ヘムデール・ピクチャーズのジョン・ダリーが「もっとこの映画について話を聞きたい」と考え、キャメロンにアプローチしてきたのだ。そこでキャメロンは、最もインパクトのある方法で売り込もうと計画を立てる。

まず、当初ターミネーター役に内定していたランス・ヘンリクセンに頼み、革のジャケットに革のブーツ、顔には特殊メイクで傷をつけ、ターミネーターそっくりの姿になってもらう。彼はその格好のままヘムデール社に出向き、事務所のドアを蹴り開け、驚く事務員を無視してジョン・ダリーの部屋へ入り、無言のまま見つめ続けた。

そしてジョン・ダリーが恐怖で固まっている間にキャメロンが登場し、「どうですか!」と言わんばかりの勢いで『ターミネーター』の説明を始めたのである。この大胆なプレゼンに感心したジョン・ダリーは、すぐにヘムデールの資金で映画を支援しようと決心したそうだ(初期のターミネーターのイメージデザイン↓)。


アーノルド・シュワルツェネッガー登場
ターミネーター役はランス・ヘンリクセンにほぼ決まっていたが、映画会社がターミネーター役にO.J.シンプソンを薦めてきた。キャメロンは不満だったものの、この時カイル・リース役の候補に挙がったアーノルド・シュワルツェネッガーに興味を示す。

初めてシュワルツェネッガーと出会った瞬間、キャメロンは全く新しいイメージを閃いた。当初、キャメロンはターミネーターを「人ごみの中に紛れても目立たないような男」としてイメージしていたが、シュワを見た途端に映画の様相が完全に変わってしまったのだ。この男がターミネーターを演じれば、きっと凄い映画になるに違いない!と。しかし「君がターミネーターをやるべきだ!」と言われたシュワは「いや、俺は別の役をもらいに来たんだけど…」と驚いていたらしい。


ランス・ヘンリクセンはいい人だった
一方、役を外される形になったランス・ヘンリクセンはどう思ったのだろう?「映画を売り込むために協力までしたのに、話が違うじゃないか!」と激怒したのかと思いきや、いたって冷静に状況を受け入れていたらしい。以下、当時を振り返るコメントより。

ジム(ジェームズ・キャメロンの愛称)にごまかされたと感じたことは、一瞬たりとも無かったね。僕はもうこの業界が長くて、時にはそうなることもあるって分かってるから。確かに自分がターミネーターを演じることができなかったのは残念だけど、それと同じくらいジムにはこの映画を作って欲しかったんだよ。

キャメロンはそんなヘンリクセンを賞賛すると同時に、これまで彼がやってくれたことに感謝の意を込めて、『ターミネーター』では刑事役、『エイリアン2』ではアンドロイドのビショップ役など、映画の中で彼のために役を与えることを決めたそうだ。


●酸をかけられたシュワルツェネッガー
1984年2月8日から『ターミネーター』の撮影は開始されたのだが、その直後からシュワルツェネッガーはキャメロンの完全主義を思い知らされることになった。曰く「あの時のジェームズは凄かったよ。事前に、撮影するショットをとても細かく説明するんだ。その位置が1ミリずれただけで、物凄く凶暴になるんだよ!」とのこと。

やがてキャメロンの撮影は日を追うごとに激しさを増し、ターミネーターが車のフロントガラスを叩き割るシーンで、ターミネーターの体から煙が出ている様子を再現する際、なんと着ている服に酸をかけて煙を発生させたそうだ。

しかし、いくら映画の撮影だからといっても役者の体に酸をかけるなど聞いたことがない。制作側は「弱い酸だから大丈夫だ」と主張したらしいが、そういう問題じゃないだろう。一方、シュワルツェネッガーは「もっと別の方法はなかったのか」と今でも疑問に思っているらしい。


リンダ・ハミルトン、骨折
そして大変な目に遭ったのはシュワルツェネッガーだけではなかった。『ターミネーター』の撮影が始まってすぐの頃、サラ・コナー演じるリンダ・ハミルトンは、アクシデントで足首を骨折してしまう。そこで、プロダクション側は走って逃げるシーンを後回しにして、怪我の状況が良くなるまで待つことにしようと提案。しかし、スケジュールに余裕が無かったため、キャメロンは撮影を強行。このため、リンダは毎日テーピングして役を演じるハメになったらしい。


●本当は『I'll be back』と言いたくなかった
ターミネーター』と言えば、警察署にやってきたシュワルツェネッガーが「I'll be back(また戻ってくる)」と言い残して去っていくシーンが有名だが、撮影現場ではこのセリフをめぐってキャメロン監督と大いに揉めていたらしい。以下、シュワルツェネッガーの自叙伝『トータル・リコール:マイ・アンビリーバブリー・トゥルー・ライフ・ストーリー』より。

僕とジェームズが一番意見が合わなかったのは、「I'll be back」のセリフについてなんだ。僕としては「I will be back」の方がいいと思ったんだよ。縮めない方がよりマシーンっぽいし、怖い感じも出るしね。それに「I'll」って言うのはちょっと女っぽいと思ったんだ。だからジェームズに、何度も繰り返し文句を言ったんだ。でも彼は「いや、I'll be backでいこう」って譲らないんだよ。僕としてはそれを言う心の準備はできていなかったから、その後ずっとお互いに綱引き状態だったね。

そしたらとうとうジェームズが「いいかい?ただ僕を信用しろよ。君には演技指導しないから、君も僕の脚本にケチをつけないでくれ!」って大声で叫んできたんだよ。実際に僕の英語のアクセントで発してみると、やっぱり変だったんだ。でもジェームズは「僕は全然気にしないよ。10通りの言い方で試してみて、その内一つは上手くいくから」って感じさ。まあ、2人でこんなモメ方をしてたんだよ(笑)。


●テーマ曲は自宅の車庫で
わずか640万ドルの低予算で作られた『ターミネーター』は、とにかく至る所で倹約を余儀なくされた。シュワルツェネッガーの特殊メイクは当初、一流のメイクアップ・アーティストのディック・スミスに依頼しようとしていたが、「この仕事は私向きじゃない」と断られてしまう。

代わりにディックはスタン・ウィンストンを紹介した。当時のスタン・ウィンストンはまだほとんど実績が無い新人だったが、ギャラが安かったので仕方なく契約。ところが、少ない予算でキャメロンのイメージを見事に具現化したことで映画の完成度に大きく貢献し、その後一気に特殊効果の第一人者へと上り詰めた。

また、「ダダンダンダダン!」という有名なテーマ曲も一流の作曲家を雇えず、主にテレビの音楽を担当していたブラッド・フィーデルに依頼。フィーデルは『ターミネーター』の音楽を自宅の車庫のシンセサイザー1台で作り上げた。その後、彼は『ターミネーター2』や『トゥルーライズ』などでキャメロンの作品に参加している。


●爆破シーンは大失敗
映画のクライマックスで、ターミネーターの運転する巨大タンクローリーが大爆発する。このシーンは予算の都合で本物が使えず、ミニチュアを爆破することになったのだが、6分の1スケールのトラック(全長2.4メートル)、倉庫、背景の建物、道路、そして周囲にある自動車など、全てミニチュアで再現しなくてはならなかった。

結局、撮影所の駐車場に模型や小道具をセットするのに丸3カ月もかけて、ようやく準備が完了。しかし、本番ではまさかの大失敗!巨大なミニチュア・トラックを動かすには、フレーム外に固定したモーター駆動装置を使い、ケーブルで引っ張る仕様になっていた。ところが、タンク部分に取り付けた火薬が重すぎて、運転台とタンクを連結する繋ぎが外れてしまい、爆発は起きたのだが前輪がトラックの前に飛び出してしまったのだ。

当然、再撮影のためには再びトラックを元通り修理して、セットを作り直さなければならない。しかも、元々3カ月かかって準備したものを、今度は1週間以内でやらなければならないのだ。スタッフたちは大パニック!しかし彼らは驚異的な集中力を発揮し、不眠不休で作業を続けた結果、なんとたったの3日間で完全復旧を成し遂げたのである。こうして2回目の爆破に挑戦、見事に成功を収めたのだった。


●『ターミネーター』はパクリだった?
様々な困難を乗り越え、ついに『ターミネーター』は完成した。1984年10月に全米で公開され、製作費の6倍を超える3800万ドルの大ヒットを記録。世界中にジェームズ・キャメロンの名前が知れ渡ることになった。

そんな中、著名なSF作家ハーラン・エリスンがたまたま『ターミネーター』を観たことで事件が勃発する。エリスン曰く「いや〜、あの映画には驚いたね。私は映画館を出て、家に帰って、それから弁護士に電話したんだ」とのこと。なんと、テレビシリーズ『アウターリミッツ』でエリスンが脚本を担当した2つのエピソード(第33話『38世紀から来た兵士』と第37話『ガラスの手を持つ男』)、さらに短編小説『おれには口がない、それでもおれは叫ぶ』から設定をパクッたと主張したのである。

キャメロンはエリスンの訴えに対して真っ向から異議を唱えた。しかし、キャメロンは映画が公開される直前にスターログ誌のインタビューでエリスンの作品を参考にしたんだ」とコメントしていたため、裁判で負けてしまう。

その結果、『ターミネーター』のスタッフリストにハーラン・エリスンの名前が「原作者」としてクレジットされ、さらに賠償金として約40万ドルが支払われることになった。キャメロンはこの件に関して、いまだに悔しい思いを抱いているらしい。


●キャメロンのラブロマンスは桁外れ!
ターミネーター』で大成功を収めた後、ジェームズ・キャメロンゲイル・アン・ハードと結婚した。彼女は、キャメロンとの初デートが忘れられない思い出になっているという。

四輪駆動の車でオフロードを爆走したの。気球に乗った時は強い風に吹き飛ばされて、地面に叩きつけられたわ。乗馬をしてアイススケートにも行った。それから砂漠でAK-47を撃ちまくった。これを全部、週末のたった一日でやったのよ(笑)。

結婚してからは、二人の行動はどんどんエスカレートしていった。ハードは自分のポルシェ、キャメロンは新型のコルベット(『ターミネーター』のギャラで購入)をそれぞれ運転し、ハイウェイを時速120マイル(約193キロ)でぶっ飛ばしながら携帯電話で会話するという、常軌を逸した新婚生活を楽しんでいたそうだ(いや、1台の車に乗ればいいじゃないw)。


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