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内田けんじ監督作品『運命じゃない人』ネタバレ映画感想

■あらすじ『典型的なお人好しの冴えないサラリーマン宮田武は、結婚を前提にマンションを購入した矢先、恋人のあゆみに突然去られてしまう。ある晩彼は、親友で私立探偵の神田に呼び出され、とあるレストランへと向かった。神田はいつまでも前の彼女を忘れられない宮田を叱咤すると、その場で宮田のためにと女の子をナンパしてみせる。一人で食事していたその女、真紀はちょうど婚約者と別れ今夜の泊まる家もなく途方に暮れているところだった。そこで宮田は自分の家に泊まるようすすめ、2人で帰宅する。ところがそこへ、置きっぱなしの荷物を取りに来た、と突然あゆみが現われた。そして物語は思いもよらない結末へ…!人のいい主人公の青年が、思いがけない事件に巻き込まれていく一晩の物語を、主人公とそれを取り巻く複数の人物の視点を絡め、巧みな構成で描き出していく。ラストまで目が離せない異色のサスペンス・ラブ・コメディ!』



昨日は『鍵泥棒のメソッド』について書いたので、本日は内田けんじ監督の劇場長編映画デビュー作となる『運命じゃない人』の話を書いてみたい。

本作の監督でありオリジナルの脚本も手掛けた内田けんじは、1992年にサンフランシスコ州立大学芸術学部映画科に入学、様々な映画撮影技術と脚本技術を学ぶ。そして帰国後、自主制作映画『WEEKEND BLUES』で第24回ぴあフィルムフェスティバルの企画賞とブリリアント賞をダブルで受賞。

さらに劇場長編映画デビュー作となる『運命じゃない人』では、第58回カンヌ映画祭にて、フランス作家協会賞、最優秀ドイツ批評家賞など4冠を受賞、国内においても、報知映画賞最優秀監督賞をはじめ8冠を受賞するという快挙を成し遂げた。まさに、映画監督としての実力は折り紙付きと言えよう。

さて、『アフタースクール』の時にも同様のことを書いたかもしれないが、この映画(というか内田けんじ監督作品)の面白さは「脚本力」と「キャラクター」(及びキャスティング)によるところが大きいと思う。

まずは「脚本の面白さについて」だが、これはもう本当に面白い。さすが「映画は構成が命です」と監督自ら言い切るだけあって、ストーリー展開には大小さまざまな伏線が張られ、設定も実によく練られている。同じ時間の同じ場面が、登場人物の視点を変えることによって全く違う様相を見せるという、映画ならではの面白さがここにある。

物語の序盤はなんともさえない男の話からスタート。半年前に別れた恋人のことが忘れられない主人公のために、親友が何かをしてあげようとする。たまたまその相手になったのは、婚約者と別れたばかりで泊まるところもない女:真紀。そんな2人の間でぎこちない会話が交わされ、映画はこのまま続いて行くのかと思わせるが、その夜がいったん幕を閉じたところで物語は急展開を迎える。

そしてここから先の展開がまあ凄い!最終的には同じ時間を3つの視点から見ることになるこの物語は、穏やかな恋愛もしくは人間ドラマから一転、サスペンスフルな物語へと変貌するのだ。最初に語られた”どうってことないストーリー”の裏にあるめまぐるしい展開、「あ〜なるほど、これがこうで、あれがああなっていたのかー」とパズルのピースが一つ一つピタリとはまって行くような知的快感がそこにある。

このように、一つの時間を複数の視点から見る映画では、隠されていたものが明らかになるという面白みが随所にちりばめられることになり、それが観客の興味を引き付けるわけだが、同時に整合性(あるいは複数の視点から眺めた場合)に「無理がある」と思わせないような”隠し方”が重要になってくる。

その意味でこの作品の脚本は本当に上手い。表面に見えていたものを裏切りながら、しかもその表面の事実を信じても仕方がないような背景がしっかりと作り込まれているのだ。「目に見えているものが全て真実とは限らない」という、現象学的かつ哲学的な思考にまで飛躍してしまう見事な構成力。

しかし、さらに素晴らしいのは「目に見えているものが全て真実とは限らない」だけでなく、「目に見えているものはやはり真実である」という概念も同時に提示されているという点だろう。

それはつまり、「真実とはそれぞれにとって異なっているものだ」ということ。全ての人にとっては目に見えているものが真実であり、なおかつ同じものについて複数の真実が有り得るということである。いわば違う次元、違うフェーズ、違う視点ということであり、人はそれぞれに異なる現実を生きているということなのだ。

人間は皆、個々に自分だけの世界を持っていて、それらは微妙に重なり合いながら、しかし完全には一致しない。当たり前といえば当たり前のことだが、それを映像で見せられると妙な説得力があるし、この説得力は同時にこの監督の、人間に対する観察眼や洞察力の鋭さによるのだと思う。

宮田武の裸足の足に表れるような細かい人間描写が、言葉ではなく映像で何かを語ることの“効果”を端的に表している。そのような細部の“語り”と物語の整合性を検証してみるためにも、もう一度観てみたいと思わせる映画だ。

また、キャラクターの作り込みとそれを演じる役者達の選定にも特筆すべきものがある。特に、宮田武を演じた中村靖日の、「どこでこんな人見つけてきたんだ!?」と観る者全てに強烈なインパクトを与える独特のビジュアルは凄まじいとしか言いようがない。

のっぺりとした顔に異様なヘアースタイル、有り得ないぐらいのなで肩に、『サンダーバード』の人形みたいなカクカクした動き。失礼ながら、どう見ても主役を張るような容姿とは思えないにもかかわらず、本作の世界観にはピタリと合致しており、宮田武を演じられるのはこの人以外に有り得ない!と誰もが納得するような絶妙のキャスティングなのだ。

その他の役者も(知っている人はほとんどいないが)各キャラクターを違和感無く演じている。映画とは、単に有名な役者を揃えればいいというものではない。そのキャラクターに合った役者をいかに配置するかという”キャスティング”が重要なのだ。

「良い脚本」と「良いキャスティング」、この二つが揃った時に初めて「良い映画」が生まれるのである。『運命じゃない人』はまさに”良作”と呼ぶに相応しい作品と言えるだろう。

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