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福山雅治主演の映画『容疑者Xの献身』のトリックをネタバレ解説!

■あらすじ『ある日、貝塚北警察署管轄内で男性の死体が発見された。貝塚北署の刑事・内海は先輩の草薙と共に、被害者の別れた妻・花岡靖子へ聞き込みに向かう。しかし、容疑者と目された彼女には完璧なアリバイがあった。そこで”ガリレオ”こと湯川学に相談を持ちかけると、偶然にも靖子のアパートの隣に住む冴えない男・石神哲哉が、湯川の学生時代の親友だったことが判明。やがて湯川は石神がこの事件に深く関わっているのではと疑念を抱き始めるのだが…。東野圭吾の『ガリレオ』シリーズ初の映画化となる傑作感動ミステリー!』



本日、土曜プレミアムで『容疑者Xの献身』が放映されます。原作はご存じ東野圭吾のミステリー小説ですが、僕はあまり東野圭吾さんの小説を読んだことが無いんですよね(過去に読んだものは『宿命』や『仮面山荘殺人事件』や『ある閉ざされた雪の山荘で』、『むかし僕が死んだ家』、『白夜行』、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』ぐらいかなぁ)。

ただ、東野圭吾さんの作品は映画化されることが割と多く、そっちは結構観ています。『麒麟の翼』、『プラチナデータ』、『天空の蜂』、『疾風ロンド』、『ラプラスの魔女』、『人魚の眠る家』、『レイクサイドマーダーケース』、『パラレルワールド・ラブストーリー』など色々ありますが、個人的には『秘密』、『手紙』、『さまよう刃』、『マスカレード・ホテル』、『祈りの幕が下りる時』あたりが特に良かったかなと。

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容疑者Xの献身』も映画を最初に観て、後から原作を読みましたが「人気小説の映画化」として非常によく出来ていると思いました。


※以下、ネタバレしてます!


で、映画版『容疑者Xの献身』の内容を要約すると、「弁当屋を営む花岡靖子(松雪泰子)は別れた夫に付きまとわれて迷惑していたが、ある日言い争っているうちに誤って元夫を殺してしまう。娘と二人で途方に暮れていると、同じアパートの隣部屋に住んでいた石神哲哉(堤真一)が現れ”自分にまかせろ”と言って死体をどこかへ持ち去ってしまった。やがて死体が発見され、重要参考人として花岡靖子の行動が調べられるものの、なぜか彼女には完璧なアリバイが存在していた」と、まあこんな感じです。

本作におけるポイントは、「なぜ花岡靖子にはアリバイがあったのか?」という部分で、ここに石神はあるトリックを仕掛けたんですね。そのトリックとは”死体のすり替え”です。

映画序盤に顔が潰された身元不明の死体が発見されますが、これは現実の事件でも有り得ることで、身元を隠すことにより犯人に繋がる手掛かりを消そうとしてるんですね。

でもフィクションの場合、これはだいたいフラグなんですよ。ミステリー小説やミステリー映画で”顔の無い死体”が出てきた場合、十中八九「死体のすり替え」が行われていると考えて間違いないでしょう(『金田一少年の事件簿』では100%w)。

で、よくある”すり替えパターン”としては、「Aの死体をBに偽装し、Bが殺されたように見せかける」という”被害者の錯誤”が定番なんですけど、本作ではさらに”アリバイトリック”を絡めているところがミソなのです。

花岡靖子が富樫を殺したと知った時、石神は考えました。「靖子が警察に殺害当時のアリバイを聞かれたら、嘘をつき通すことはできないだろう」「だったら、犯行日時そのものを変えてしまえばいい」と。そして湯川学に”本物の天才”と言わしめたこの男は、世にも恐ろしい計画を実行します。

まず、富樫の死体を人知れず処分した後、一人の無関係なホームレスを殺害し、その死体の顔を潰して指紋を焼き、”富樫の死体”であるかのように偽装(この時点で死亡推定時刻にズレが生じるため、犯行日時が入れ替わる)。なんと、石神は一つの殺人事件を隠ぺいするために、もう一つの殺人を犯していたのですよ。

ただし、ここである疑問が…。「富樫の死体を見つからないように処分したなら、それで十分なんじゃないの?」「なんでもう一つの死体を作る必要があるの?」と。

たしかに、単に犯行を誤魔化すだけなら死体を処理するだけで十分かもしれません。しかし、死体が見つからないままだとやがて行方不明者として富樫の捜索が始まる可能性が高く、靖子のところへ警察が聞き込みに来るのも時間の問題でしょう。そうなったら意味がないし、そもそも隠した死体だっていつかは見つかってしまうかも…。つまり「花岡親子がずっと平穏に暮らせる保障」が無いのです。

そのために石神は、靖子たちがアリバイに関してウソをつく必要がないように「死体を入れ替えて死亡推定時刻そのものをズラす」というトリックを仕掛けたわけですが、実は石神が考えた計画はこれだけではありませんでした。

なんと、彼はこのあと警察に自首するのです。そして自分が富樫を殺したことを完全に認め、すぐに殺人罪を確定させようとするんですよ。いったいなぜ?その理由が一事不再理の原則”です。

一事不再理”とは、「同一刑事事件について既に確定した判決がある場合には、その事件について再度の実体審理をすることはできない」という刑事訴訟法上の原則であり、先に石神の”富樫殺し”が確定してしまえば、たとえ後から本物の富樫の死体が見つかったとしても、花岡靖子は決して殺人罪で裁かれることがないのです。

つまり石神が仕掛けたトリックの最終目的とは、一事不再理の原則を利用し、花岡親子が絶対に法的な罪を問われないようにすること」だったのですよ(「第1審の判決を受け入れて僕が控訴しなければ、富樫殺人事件は終了だ」とのセリフからも、石神はこの計画にかなりの自信を持っていた模様)。

それにしても、石神の靖子に対する献身的な行為の数々は凄まじいものがありますね。一人の女性を救うために、自ら殺人を犯してまでその罪を被るとは…。途中、靖子が付き合っている男に嫉妬してストーカーまがいの行為を見せますが、それすらも計画を遂行するための”伏線”だったのだから凄すぎる!

ところが、石神が企てたこの”完璧な計画”は、真相を知らされた花岡靖子が警察に出頭したことであっさり瓦解してしまいます。その直後、「どうして…!?」と号泣する石神。この「どうして…!?」というセリフも、観た人によって解釈が分かれるかもしれません。

普通に考えれば「ここまで完璧な計画を立てたのに、どうして自ら台無しにするんだ?」という意味に思えるでしょう。

しかし石神を演じた堤真一さんは「あのシーンは僕自身、複雑な気持ちでした。最初はやはり”どうして?ここまでやったのに?”という叫びかなと思っていたんですが、違うんだなと。初めて愛情というものが分かったんだなって。つまり、人間の営みは数学的に進まないことを石神は知ったんです」と語っていました。

一方、花岡靖子を演じた松雪泰子さんは「正直、苦しい役でした。最後までずっと。彼女はとてつもない罪悪感を抱えたまま生きていくしかないんでしょうね。ただ、解放はされないけれど、彼女の終着地点としては…あらゆることがダメになってしまうと分かった上での行動だから、唯一全てを受け入れつつ自ら決着をつけられたんだと。そんなふうに思ってあげたいんです」とのこと。

このラストシーンは本当に良かったですねぇ。実は、原作小説の方は靖子のキャラクターや湯川の態度が少し異なっているため、原作を読んだ人の中には違和感を感じる人もいたようです。

それに対して映画版の方は、石神・靖子・湯川の関係性に焦点を絞っていくつかのエピソードを省略しているものの、そのことが逆にストーリーのテンポを早め、石神の号泣シーンをより感動的なものへと押し上げているように感じました(堤真一さんの熱演も素晴らしい!)。


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