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『アイ, ロボット』はSFサスペンス映画としてどうなのか?検証してみた


■あらすじ『西暦2035年、シカゴ。街中では家庭用ロボットが普及し、人間の生活に必須なものとなっていた。ある日、巨大企業USロボティックス社に勤務するロボット工学の第一人者アルフレッド・ラニング博士が謎の死を遂げる。ロボットを毛嫌いするシカゴ市警のデル・スプーナー刑事(ウィル・スミス)は、博士が開発したNS-5型ロボットの“サニー”に疑いの目を向ける。捜査に協力するロボット心理学者スーザン・カルヴィン博士は、“3原則"を理由にロボットが人間へ危害を加えることは絶対にあり得ないと主張するのだが…。SF小説の巨匠アイザック・アシモフの短編集『われはロボット』をモチーフにしたSFサスペンス・アクション!』



ウィル・スミス主演のSFアクションということで、なんとなく『MIB』みたいなノリを想像していたら、意外と(?)真面目なサスペンス要素もあったりしてなかなか楽しめた。ただし、設定も物語も今まで映画や小説で見てきたようなものばかりで、新鮮味に欠ける点がやや残念(元ネタが古いので仕方ないけど)。

近未来のヴィジュアルや小道具なども特に目新しいものは無く、さらに肝心のロボットのデザインまでもが、コマーシャルやPVなどで目にする、いわゆる典型的な「ロボット」のイメージから脱却できていない点も惜しい。

一方、映画の内容的には極めてオーソドックスで、アクションも迫力があり安心して見ていられる。なにより、盛り上げるべきシーンできちんと話が盛り上がり、「エンターテイメント」としての役割を十分果たしている点は評価できると思う(個人的には”ウインクするシーン”が一番の盛り上がりポイントだった)。

ただ問題は、SF、アクション、サスペンス、と色んなジャンルの要素を欲張って取り込んでいるのに、そのどれもが中途半端なまま終わっていることだろう。本作と同系列の映画といえば、トム・クルーズ主演の『マイノリティ・リポート』を思い浮かべる人もいると思うが、2つの映画を比較した場合、はっきり言って『マイノリティ・リポート』の方が完成度は高い。

トム・クルーズが主演し、フィリップ・K・ディックの短編小説を元に、スティーブン・スピルバーグが監督した『マイノリティ・リポート』は、SF的設定やアクションシーン、そしてサスペンスのトリックなど、全ての要素において実に良く出来た映画だった。それに対して『アイ, ロボット』はいまいち不完全燃焼な感じが残ってしまう。では具体的にどこがダメだったのか?

この映画を構成する要素は大きく分けて3つある。(1)SF、(2)サスペンス、(3)アクションだ。まず、SF映画的要素」を見た場合、設定を十分に活かし切れていない。具体的には、アイザック・アシモフの「ロボット工学三原則」をあれだけフィーチャーしておきながら、ロボットが人間を襲う”理由付け”に説得力を感じられないのが最大の欠点だ(「ロボット三原則」の内容は以下の通り↓)。

・第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。


・第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。


・第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


アイザック・アシモフはこの三原則を用いて、「ロボットが一見して三原則に反するような行為を行う事件が起こり、その謎を探偵役のキャラクターが解明していく」という、一種のミステリーものを数多く生み出している。そこで大前提となっているのがロボット三原則は絶対に破られない」ということだ。

すなわち、「三原則が機能していれば絶対に起きるはずのない事件が起きている」 → 「じゃあいったいどうしてこんな事件が起きたのか?」、その矛盾を論理的に解き明かす”推理の過程”が醍醐味なのである。

ところが『アイ, ロボット』を観ると、この大前提が守られていない。結局のところ、「メインコンピュータのヴィキが三原則を拡大解釈した為に起こった悲劇」って事らしいが、三原則を守っている限り、どう解釈しようとも人間を攻撃できるはずがないからだ。

映画の中では「人間に危害を加えてはならない」という原則を「何が何でも人間を守らなければならない」という論理にすり替えているんだけど、「人間を守るためには殺しても良い」という理屈はどう考えても正当化できないだろう(「健康のためなら死んでもかまわん」という本末転倒なロジックに似ているなあw)。

SFファンとしては、この三原則のパズルをどのようにクリアーしているのか興味津々だったのに、単に三原則を無視しているだけとしか思えず、肝心な部分をあっさりスルーされた感じで拍子抜けした。

また、ロボットのアイデンティティーに関するテーマを扱っているにも関わらず、そこに踏み込んだ描写がほとんど無いのもどうなのかと。せっかく”ゴースト”という単語を使って「機械に魂は生じるのか?」みたいなセリフも出てくるのに、表面をなぞっただけで終わっているのが実にもったいない(ただし、このテーマを追求しだすと全然別の映画になってしまう恐れがあるので、敢えてハズしたとも考えられる)。

なお、『アイ, ロボット』はアイザック・アシモフの短編小説『われはロボット』を原案にしているが、どちらかと言えば同じアシモフの長編SF鋼鉄都市の方が本作の内容に近いような気がする。

鋼鉄都市』は、「天才科学者が何者かに殺害される事件が起こり、刑事と高性能ロボットがコンビを組んで謎を解明する」という物語だ。僕は子供の頃に読んだんだけど、ロボット三原則の盲点を突いた奇想天外なトリックが実に面白く、ラストシーンでビックリしたことをいまだに覚えている。SFミステリーの傑作としてオススメしたい。

鋼鉄都市
早川書房 (2014-09-30)

ロボット三原則の盲点を突いたSFミステリーの傑作!

われはロボット〔決定版〕
早川書房 (2014-09-30)

一応『アイロボット』の原案となっているが、内容的にはほぼ別物。ただ、SF小説として非常に面白い。

次に、「サスペンス映画的要素」を見た場合どうなのかというと、「かなり弱い」と言わざるを得ない。物語の発端である”博士の死”が自殺なのか、それとも殺人事件なのかという部分がポイントになるわけだが、肝心の謎解きがどうも釈然としないからだ。結論としてはロボットのサニーに「自分を殺すように命令した」って事だったんだけど、これはやはり自殺になるのかなあ?

しかも、その動機が「ヴィキの計画をスプーナー刑事に知らせるため」ってちょっと酷くない?科学者だったら、もっと他にマシな情報伝達方法を思い付くだろうに。これでは、あまりにも短絡的すぎて博士が死ななければならない必然性がほとんど感じられない(サスペンス映画において”死の動機”は極めて重要な核心的部分なので、もっと説得力を持たせて欲しかった)。

それから、「メインコンピュータが実は真犯人でした」というオチも正直「今時これか?」という感じで古臭さが否めない。映画や小説、マンガやアニメなど今までさんざん使い尽くされ、手垢のつきまくったネタだけに、せめてもう少しひねって欲しかったところだ。

トンネルでスプーナー刑事が襲われたのも、会長ではなくヴィキが指示を出したのだろうが、となれば完全に殺意を持っている訳で、三原則は全く機能していない事になる。ますます設定のいいかげんさが際立つなあ。

とは言え、最後の「アクション映画的要素」に関しては、かなり良く出来ていてグッド。爽快感もスピード感もあり非常にクオリティが高い。トンネルで襲われるフルCGのアクションシーンは、いかにもCGという感じで重量感に欠けるとは言え、単純にアクション映画として見た場合は十分満足出来る。「バイクに乗ったまま二挺拳銃を撃ちまくる」というやりすぎアクションも、まあご愛嬌だろう(^.^)

というわけで、本作は「SFとサスペンスはイマイチなれど、アクションはまあまあ」という評価に落ち付くんじゃないだろうか。あと、全体的に感情移入しやすいところもポイント高し。その理由は、主役を演じたのがウィル・スミスだったからだ。

一般的にSF映画は、ややこしい設定や斬新な世界観に観客が馴染めず、感情移入しにくいと言われている。ところが、観客は彼の分かりやすいキャラクター性によって映画に入り込みやすくなり、多少ややこしい物語でも置いて行かれる事無く、最後まで映画を楽しむ事が出来るのだ。

つまりウィル・スミスのおかげで、映画全体のエンターテイメント性が底上げされているのである。もし違う役者が演じていたら、ここまで面白い映画にはならなかったかもしれない。まさにキャスティングの勝利と言えるだろう。しかしだからこそ、それぞれの要素をもう少し練り上げることにより、映画の完成度はもっと上がったはずなので「惜しいなあ」と思わずにはいられないのである。


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