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殊能将之原作、映画版『ハサミ男』をネタバレ解説

■あらすじ『美少女の喉に研ぎ上げられたハサミを突き刺す謎の連続猟奇殺人鬼”ハサミ男”。しかしある日、ハサミ男の犯行をそっくり真似た手口で新たな殺人事件が起きてしまった。知夏(麻生久美子)と安永(豊川悦司)は、模倣犯の正体を突き止めるべく調査を開始する。一方、管内で発生した殺人鬼の凶行に義憤を覚える若手刑事:磯部は、本庁から来たサイコアナリスト:堀之内(阿部寛)の目に留まり捜査陣に抜擢されるが、やがて想像を絶する意外な真相が明らかに…!映像化不可能と言われていた殊能将之の原作を、鬼才・池田敏春監督が大胆なトリックで完全映画化したサイコサスペンス・ミステリー!』



先日、書評家・翻訳家の大森望氏がツイッターで、「ミステリ作家の殊能将之氏が今年2月11日に亡くなりました。享年49。ご遺族の意向で伏せられていたそうですが、殊能氏と縁の深い雑誌『メフィスト』の最新号に訃報と追悼記事が掲載されています」とつぶやいた。

殊能将之といえば、1999年に『ハサミ男』でデビューし、第13回メフィスト賞を受賞した覆面作家である。その後は『美濃牛』や『鏡の中は日曜日』といった作品を発表するものの、長編小説は2004年の『キマイラの新しい城』を最後に発表が途絶えていたらしい(死因や本名なども一切公表されておらず、最後まで謎の小説家だったんだなあ)。

というわけで、本日はミステリー小説ファンの間で話題になり映画化もされた『ハサミ男』について取り上げたいと思う。なお、今回のレビューは原作版と映画版のハサミ男』の完全ネタバレと、ついでにファイトクラブ』に関するネタバレも含まれているのでご注意ください。


原作は第13回メフィスト賞を受賞し、さらに宝島社「このミステリーがすごい!」で第9位にランクインした長編推理小説ハサミ男』。この小説が発表された当時、前代未聞の衝撃的なトリックに読者は驚嘆し、「絶対に映像化は不可能だ!」と大評判になった。

僕も初めてこの本を読んだ時、クライマックスのどんでん返しにビックリ仰天。思わずもう一度読み返したほどである。原作を読んだ人なら分かると思うが、小説版は「本当に映像化不可能」な設定になっており、文章でなければ成立しないトリックが仕掛けられている。にもかかわらず、数年後にあっさり映画版が公開されて二度ビックリ。いったいどうやって?

まず、小説版の『ハサミ男』がなぜ映像化不可能なのかと言えば、メインの仕掛けに叙述トリックが使われているからだ。「叙述トリック」とは、簡単に言うと「作者が読者を騙すために仕掛けるトリック」のことで、例えばミステリー小説には「密室トリック」や「アリバイトリック」など様々な騙しのテクニックが存在するが、いずれも作中の登場人物が刑事や探偵を欺くために仕掛けるものだ。

それに対して「叙述トリック」とは、作者が読者に仕掛けるトリックであり、作中のキャラクター達が知っている事実を読者だけが知らない(気付かない)状況になっていることが最大の特徴なのだ。読者は書かれている文章を注意深く読むものの、どうしても先入観や固定概念で物事を判断する傾向があるため、そこに隙が生まれ肝心な部分を誤認してしまう。その結果、思いもよらない真実をつきつけられ「あっ!」と驚くわけだ。

では、なぜ映像化が難しいのかと言えば、全てを読者の想像にゆだねる小説とは異なり、映画は全ての情報が映像(または音声)によって観客に伝わってしまうため、ミスリードさせることが極めて困難だからである。

例えば『ハサミ男』の場合は、「男性だと思っていたら実は女性だった!」という「性別の誤認」がメインのトリックとして使用されているのだが、男か女かは映像で見れば一発で分かってしまうため、どう考えても文章でなければ成立しない。

「男のように見える女優をキャスティングすればいいのでは?」などという問題ではなく、あくまでも「劇中の登場人物は全員彼女をはっきり女性(しかも魅力的な)として認識しているにもかかわらず、映画を観ている観客には男性(凶悪殺人犯)と思わせなければならない」のだ。果たしてそんなことが実現可能なのか?

しかし、この難問を劇場版『ハサミ男』は驚くべき方法でクリアーしてしまう。なんと、最初から男性キャラと女性キャラを一緒に登場させているのだ!ただし、メインは女性キャラで、男性キャラの姿は劇中の登場人物には一切見えていない。すなわち、豊川悦司演じる安永という人物はこの世には存在せず、麻生久美子演じる知夏の妄想が生み出した「脳内キャラクター」として描かれているのだ。なんという大胆不敵なアレンジであろうか!

このトリックにより、観客は「安永=ハサミ男」と思い込むが、実際は知夏が二重人格者で連続殺人犯、さらに他の登場人物には安永の姿が見えていなかったという衝撃の真実が明かされ愕然!となるワケだ。なるほど、実に上手い見せ方だがちょっと待てよ?これって、トリックの本質が変わってないか?

原作版では”男性だと思っていたら女性だった”という「性別の誤認」が最大のトリックになっていたのに対し、映画版では”もう一人の人物は主人公の妄想だった”という「イマジナリーフレンド的な二人一役」がトリックの要にスリ変わっているのだ。

これを果たして「原作小説を完全映画化!」と呼んで良いものか?まあ、現実問題として「これしか解決策が無かった」ってことなんだろうけど、ここまで変更を加えるのであれば、このネタを使ってオリジナルのサイコ・サスペンス映画が作れたような気もするなぁ。

しかもこのトリック、良く考えると『ファイトクラブ』と構造的にはほぼ同じなのである。

どちらの映画も、多重人格障害の主人公を媒介としてこの世には存在しない架空のキャラクターを登場させ、その姿は主人公と観客には見えているが劇中の登場人物には一切見えない、という状況を作り出しているのだ(このトリックは割と使用頻度が高く、『ファイトクラブ』以外にも似たようなシチュエーションの映画はたくさんあるんだけど、ネタバレ回避のためタイトルは自重しときますw)。

というわけで、映画版『ハサミ男』は原作版とは全然違うトリックを使うことでどうにか成立させた感はあるものの、「映像化不可能と言われるものはやっぱり映像化が難しいんだなあ」と再認識した次第である。

なお、映画自体の評価としては、全般的に画面が古臭くBGMも単調でエピローグが長いなど、あまり上等な出来とは言えない。10年ぐらい前のTV用サスペンスドラマを観ているようで非常に安っぽい印象だ(麻生久美子は良かったが)。せめてもう少しカッコ良く作ってくれれば、斬新なミステリー映画としてそれなりに評価されたかもしれないのに、ちょっと惜しい作品だと思う。


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