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どうしてこうなった?幻の細田守版『ハウルの動く城』制作裏話


■あらすじ『魔法と科学が混在する世界のとある国。愛国主義が全盛を誇り、いよいよ戦争が目前に迫っていた。父の遺した帽子店を切り盛りする18歳の少女ソフィーは、ある日町で美貌の青年と出会う。彼こそは人々が怖れる悪名高い魔法使いのハウルだった。彼の優しさに心奪われるソフィー。だがその夜、彼女は荒地の魔女に呪いをかけられ90歳の老婆にされてしまう。本当のことが言えずに家を出たソフィーは、人里離れた荒地をさまよい、やがてハウルが暮らす動く大きな城に潜り込み、住み込みの家政婦として働き始めるのだった…。「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」の宮崎駿監督が、イギリスの児童文学作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』を映画化したファンタジー・アドベンチャー・ラブストーリー!』



本日は金曜ロードSHOWにてハウルの動く城が放映されます。僕は公開時に映画館で観たんですけど、その時の感想は「わけがわからん」でした(笑)。主人公は頻繁に姿を変えるし、ハウルは何をやっているのか良く分からないし、話もあちこち辻褄の合わないところがあるし、張られた伏線は投げっ放しだし、最後はあまりにも強引なオチで終了するし。

でも、決して面白くないわけではなく、次から次へと巻き起こる不思議な出来事に圧倒され、2時間弱の上映時間中、一切退屈することはありませんでした(というより、展開が早過ぎて退屈している暇がない)。ではいったい、どうしてこんな映画になってしまったのでしょうか?

1999年頃、鈴木敏夫プロデューサーのところへ宮崎駿監督が目を輝かせながらやってきて一冊の本を差し出しました。本のタイトルは『魔法使いハウルと火の悪魔』。しかし、宮崎監督は原書のタイトル『Howl,s Moving Castle』に注目し、「鈴木さん、城が動くんだよ!」と大興奮。

”動く城”と”90歳のお婆ちゃんになってしまう少女”、この二つがあれば絶対に映画になる!と確信した宮崎監督は、「エピソードが多すぎて映画には向かないよ」という鈴木Pの反対を押しのけ、強引に映画化の権利を取得したのです。

しかし、宮崎監督は前作『千と千尋の神隠し』で引退を宣言していたため、当初は『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督が『ハウル』を製作する予定でした。そのため、2000年には細田監督とスタジオジブリで打ち合わせを開始、2001年4月に『猫の恩返し』の吉田玲子がシナリオを完成、同年5月にはイギリスへ2週間のロケハンを行うなど、作業は順調に進展していたようです。

そして2001年12月に東宝が新作のラインナップを披露し、「『ハウルの動く城』は細田守監督作品として03年春に公開する」と正式に発表しました。ところが、2002年の3月頃に『ハウル』の企画は突然ストップ。細田監督他主要スタッフは解散し、制作は完全に頓挫してしまったのです。

企画が中断した詳しい経緯は不明ですが、スタジオジブリ内部で何らかのトラブルが発生し、続行不可能になったらしい。この時の状況を、細田監督本人がインタビューで告白していたので、以下にその部分を抜粋してみます。

僕がジブリに行って『ハウル』を作ってる時に、その当時ジブリは『千と千尋(の神隠し)』で大変だったわけですよ。だから、『ハウル』の準備のためにジブリが割けるスタッフがいなかったの。いなかったんで、自分で集めなきゃいけなかった。作画にしろ、美術にしろね。自分が監督として、スタッフを集めていかざるをえなかったわけ。「お願いします」と言って、やってもらってたんです。


僕はプロデューサーではないから、「気持ち」だけでお願いしてるわけですよね。「あなたが必要なんです」と言ってお願いしているんです。「『ハウル』は総力戦だ!」と思ってるわけだからさ、「この人がいなきゃダメだ!」と思うような人に、1人1人、お願いしてきてもらっていたんです。


ところが諸事情で、プロジェクト自体がドカーンとなったわけじゃない。監督って、プロジェクトが崩壊した時に、スタッフに何かを保証できる立場にないんですよね。それが崩壊した時に、その人達に対して申し訳ないというかさ。「絶対にいいものを作ります!」と言ってたのに、公約を果たせなかった。ある意味、嘘をついちゃったわけです。裏切ったわけです。


もう、誰も自分を信用してくれないだろう。映画って1人じゃ作れないからさ、本当に「もう俺は終わりだ!」と思ったんだよ(笑)。これはマジな話ね。これからは大きな事を言わずに、業界の隅っこで細々とビジネスライクにやっていこうと思ったわけですよ(苦笑)。 (細田守インタビュー「WEBアニメスタイル」より)

一方の宮崎駿監督はこの件に関して次のように語っていました。

ハウル』は『魔女の宅急便』の時とまったく同じなんですよ。用意したスタッフが解体しちゃったんで、しょうがないから僕が出ていったっていう…。心情を持って恋愛を描ける人間がやらなければいけないから、監督は若い人がいいと、僕は最初にそう思ったんです。ところが、そうじゃない人がやったから話がややこしくなったんですね。なんか、わけのわかんない映画になってしまうからこりゃいかんと。


だから、乱入したんじゃなくて、スタッフがいなくなっちゃったからなんです。そうじゃなきゃ、お蔵入りさせるしかないっていう状況になってしまって。それで、しょうがないから僕が引き受けたんですよ。 (宮崎駿インタビュー「Cut」2010年9月号より)

こうして、”いきがかり上やむを得ず”『ハウル』の監督を引き受けることになった宮崎監督は、既にCパートまで完成していた細田守版の絵コンテや脚本を全て破棄し、ゼロからの仕切り直しを余儀なくされました(この時、細田監督が集めたスタッフに対するギャラの未払いなど、大変な問題が勃発したらしい)。



しかし、過去にも『魔女の宅急便』や『千と千尋』など、途中から宮崎駿に監督を交代するパターンはあったものの、『ハウル』のように全く白紙の状態から作業を引き継ぐパターンは前例がありません。このため制作スケジュールは遅れに遅れ、宮崎監督は生まれて初めて”公開延期”という失態を犯してしまいました。

さらに、当初のストーリーではもっと生々しい戦争描写を想定していたのに、制作途中で全て廃案とし、大幅に路線を転換。その原因は、明らかに2003年のイラク戦争にあると思われます。宮崎監督が絵コンテ制作の真っ最中だった当時、泥沼化する戦争の情勢が連日のように報道されていました。この戦争が物語の展開に強い影響を与えたことはほぼ間違いありません。

そのため、本来なら『ラピュタ』や『魔女宅』などと同じく正統派ファンタジー系の作品になるはずだったものに、『紅の豚』や『もののけ姫』に代表されるような理不尽さと暴力性、さらに『千と千尋』で顕著になった安易なハリウッド風ストーリー展開の放棄と、前後との繋がりではなく各シーン毎の完成度を極限まで高めていくことに徹した”シーン至上主義”が混然一体となって、これまでにない破天荒な映画になったのです。

シーン至上主義による最大の影響は”原作からの逸脱”でしょう。基本的な設定や展開はほぼ同じですが、映画版では登場人物も絞られ、性格もかなり変更されています。原作では絶対悪として描かれていた荒れ地の魔女や、ソフィーを脅かす恐ろしいカカシも、映画では家族の一員のような立場で登場。また、原作ではナルシストで女の子をナンパしまくっているチャラ男なハウルや、自分に自信を持てない意固地なソフィーの性格もかなり改善されました。

そして原作と映画がその方向性を大きく変えるきっかけは、荒れ地の魔女とソフィの王宮での再会シーンで、ここには一つの見せ場が用意されています。それはなんと、二人が階段を昇る、ただそれだけのシーンなのです。二人の老女がぎこちなく、必死になって階段を昇っていくこの場面を、ジブリは業界トップクラスを誇る作画力で一瞬たりとも目を離せない緊張感溢れる映像に仕上げてしまいました。

実は、宮崎監督が『ハウル』に取りかかる際、「これだけは絶対にやろう!」と心に決めていたのがこの”階段を昇るシーン”だったそうです。絵コンテを描くのも一番大変だったらしく、描き終わった時には「荒れ地の魔女と同じ気分になった」と話していたらしい。

おそらく、宮崎監督も絵コンテを描きながら名シーンになることを予想していたのでしょう。事実、ここは全編を通して非常に印象深い場面で、もちろん原作にこんなシーンはありません。そして、このシーンが出来たことで宮崎監督の中で原作という枷が完全に外れ、アニメーターとしての本能が暴走し始めたのです。

いままで培ってきた天才アニメーターとしての技術、映像作家としてのテーマ、脈略やつながりが破綻することを恐れず、何の計算もなく創作に関する初期衝動をそのまま次から次へと映像化したようなイマジネーションの闇鍋状態!それはまさに、「物語の整合性など知ったことか!」と言わんばかりのハチャメチャぶりでした。実際、宮崎監督は1時間半分の絵コンテを描いた後に、鈴木プロデューサーにこう聞いたそうです。「さて、どういう映画にしようか?」

こうした紆余曲折を経て完成した『ハウルの動く城』は、全国の劇場で公開され大ヒットを記録。しかしその評価は賛否両論、真っ二つだったらしい。「感動で涙が止まりませんでした!」と絶賛する人がいれば、「ストーリーがメチャクチャでさっぱり意味が分からない!」と完全否定する人など、様々な反応が寄せられたそうです。これら観客の意見に対して宮崎監督は以下のような感想を述べていました。

「僕はダイアナ・ウィン・ジョーンズ(原作者)の罠にはまりましたね。彼女のストーリーは女性読者にとっては凄くリアリティのあるものなんです。ですが、彼女自身は世界の仕組みがどうなっているのかということに全然関心が無い。それに、小説に登場する男性はみんな少し悲しげで、静かに佇んでいて…要するに、まるで全員が彼女の理想の夫のようなんです(笑)。


使われる魔法にも何のルールもないですし、そうするとまあ、収拾がつかなくなるわけですよ。でも僕は、そのルールを逐一説明するような映画は作りたくなかった。それは、ゲームを作るようなものですから。だから、僕は魔法の理屈を説明しない映画を作ったんですが、そしたら僕も途中で迷子になってしまった(笑)。


なぜかはわからないんですが、この映画に対する反応は極端なものばかりでしたね。心の底から好きだと言う人と、まったく理解できなかったと言う人がいました。散々な経験でしたよ(笑)。『もののけ姫』を作ってからというもの、僕は疲れ切っていました。


作品がどんどん複雑になっていくという、こういう方向性では、もうこれ以上やっていけないと思ったんです。『もののけ姫』『千と千尋』『ハウルの動く城』…そういった作品作りを経て、僕はやり方を変えることに決めたんです。『崖の上のポニョ』をシンプルなやり方で作ったのは、そういうわけなんですよ」 (「Cut」2009年12月号より)

ちなみに、2013年9月6日に引退記者会見を開いた宮崎監督は、「今までで最も思い入れがある作品は何ですか?」と記者から質問された際、「『ハウルの動く城』です」と答えていました。その理由を以下のようにコメント。

「自分の中で一番トゲのように残っているからです。ゲームの世界をドラマにしようとした結果、格闘しましたね。スタートが間違っていたと思うのですが、自分が立てた企画だから仕方がない。自分は児童文学の多くの作品の影響を受けてこの世界に入った。基本的に”この世は生きるに値するんだ”ということを伝えることが、自分たちの仕事の根幹になければと思っていました。それは変わっていません」

苦労した作品だからこそ、余計に思い入れが深いのかもしれませんね。それにしても、細田守監督が作ろうとしていた『ハウルの動く城』がどんなものだったのか、観てみたかったなあ(^_^)


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