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『千と千尋の神隠し』はなぜ赤い?ジブリの制作舞台裏に迫る!

■あらすじ『両親と共に引越し先の新しい家へ向かう10歳の少女、千尋。しかし彼女はこれから始まる新しい生活に大きな不安を感じていた。やがて千尋たちの乗る車はいつの間にか「不思議の町」へと迷い込んでしまう。その奇妙な町の珍しさにつられ、どんどん足を踏み入れていく両親。が、彼らは「不思議の町」の掟を破ったために豚にされてしまい、たったひとり残された千尋はその町を支配する強欲な魔女“湯婆婆”に名前を奪われ、働かない者は豚にされてしまうことを知らされるのだった……。空前の大ヒットとなった「もののけ姫」とは対照的に、現代日本を舞台に少女の成長と友愛の物語を描く、”自分探し”の冒険ファンタジー!』



本日、「金曜ロードSHOW」で千と千尋の神隠しが放映されます。前作『もののけ姫』から4年ぶりに宮崎駿監督が手掛けた待望の新作映画ということもあり、公開当時は全国で爆発的な大ヒットを叩き出し、観客動員数及び興行収益ともに日本最高記録を樹立しました。以来、現在に至るまでいまだにこの記録を上回る作品は登場していません。

しかし、このような大ヒットの裏側では、スケジュールの遅れ・スタジオの弱体化・監督とスタッフの対立など、様々な問題が勃発していたようです。いったい『千と千尋の神隠し』はどのような経緯を経て制作されたのでしょうか?というわけで本日は、『千と千尋の神隠し』にまつわるマル秘裏話や壮絶なエピソードをご紹介します。


●後継者が出来ない問題
1997年8月、『もののけ姫』の激務により心身ともに疲れ果てた宮崎駿監督は、信州の山小屋に引きこもり静養していました。制作発表記者会見で「これが最後の作品になるだろう」と引退宣言をしただけあって、『もののけ姫』における作業は全身全霊を傾けた熾烈なものとなったからです(実際、宮崎監督は98年の1月14日付けでスタジオジブリを一旦退社している)。

そして、次回作は誰か別の人を監督に立てて、自分はシナリオや絵コンテのみに専念するつもりだったらしい。

そのため、宮崎さんは98年から「将来のアニメーション業界を担う人材発掘」を目的とした特別講座を開設しました。しかし結果は惨敗。1000人を超える応募があり、厳選した13人に対して宮崎駿自らが精力的に指導を行ったものの、残念ながら”次世代の新人監督”は生まれなかったのです。

「せめて一人ぐらいは芽を出せ!」と直筆で告知を出す程に後継者の登場を切望していましたが、その願いは叶わず、結局また自分で監督することになってしまった宮崎さん。おまけに、「ジブリの森の美術館」構想が同時期に発表され、全展示物の企画・制作・監修だけでなく、館内限定上映の短編映画を3本も作るはめになり、「引退」どころか老人に死ねと言わんばかりの超ハードワークを強いられることに(泣)。


スタジオジブリの弱体化
宮崎監督の映画制作は、毎回毎回スケジュールがギリギリなことでも有名で、これまでにも作画の遅れによって公開が危ぶまれたケースは何度もありました。しかし『千と千尋の神隠し』における制作状況の遅延ぶりはその中でも群を抜いて酷く、過去最悪の状況だったそうです。なぜなら、今まで作画の中核を担っていた主力アニメーター達の多くが、『もののけ姫』の完成後にジブリを退社していたからです。

ジブリ社内のスタッフはかつてないほど弱体化し、経験の浅い新人中心の原画シフトを余儀なくされました。「1人1週間で1カット」という目標を設定するものの、これではスタッフ10人が1ヵ月取り組んでも200秒、1年間にわずか40分しか仕上がらない計算になり、完成まで3年も掛かってしまいます。鈴木敏夫プロデューサーは頭を抱えました。

賀川愛や高坂希太郎など、実力のあるベテラン原画マンが参加してはいましたが人数は15人しかおらず、マンパワー不足は否めません。そこで今回、大平晋也山下明彦などジブリ以外のフリーのアニメーターが多数参加することになりました。さらに、途中からは宮崎監督自身がレイアウトや作画チェックを手伝うという非常事態に突入。

それでも圧倒的な戦力不足はカバーし切れず、社内で仕上げたカットは全体のわずか50パーセント程度に留まりました。つまり、残り半分は全て外部のアニメーターに委託せざるを得なかったのです。しかし、それでもまだ動画と彩色が間に合いません。そして、ついにスタジオジブリ創設以来初めて、韓国スタジオへの動画&彩色外注に踏み切ったのです。

それまでのジブリは、作品のクオリティを維持するために外部へ作画を依頼する場合でも一貫して”日本国内のスタジオ”にこだわり続けていました。しかも、「あのスタジオは絵がヘタだからダメ!」という具合に、レベルの高いアニメスタジオだけを厳選して発注するという徹底ぶり。ここまで品質管理に厳しかったからこそ、ジブリのアニメは長年に渡って高い完成度を保つことができたのです。

しかし、『千と千尋の神隠し』を制作していた頃のジブリはもはや発注先を選んでいる余裕すら無く、外部からの増援抜きには成立しないほどの危機的状況に追い込まれていたそうです。「有能なアニメーターが育っていない」ということも原因の一つですが、一番の問題は宮崎駿の生産能力の低下」でしょう。

これまで、驚異的なパワーで全カットのレイアウトを描き、全ての原画をチェックし、自分で作画までこなしていた宮崎さんも、さすがに加齢による体力の衰えには逆らえず、近年は如実に作業量が落ちていました。当然、その皺寄せは現場を直撃!すなわち、”天才アニメーター宮崎駿”が何もかもを兼任する従来型の制作システムが、もはや限界に達していたのです。


●宮崎監督とスタッフの対立
さらに、本作ではもう一つの問題が勃発していました。それが「宮崎監督と作画スタッフとの対立」です。『千と千尋の神隠し』で作画監督を務めた安藤雅司さんは、これまでの宮崎アニメに登場した”理想化された美少女”ではなく、リアリティのある少女を描こうと考えていました。そこで、今までにない新たなヒロイン像を作り出すことを提案。

従来の宮崎アニメ型ヒロインは「背筋を伸ばし、動作は機敏で、喜怒哀楽がはっきりした美人顔」でしたが、安藤さんはこれと正反対に「曲がった背中、無駄の多いグズグズした動作、喜怒哀楽が不鮮明なブサイク顔」をデザインしたのです。宮崎監督もこの案に同意し、千尋のニュアンスに関しては安藤さんに一任することを承諾。そして、このキャラクターに合わせるように初期の絵コンテでは「グズでノロマなブサイク少女」として主人公が描かれていました。

ところが、今までこんなヒロインを描いた経験が無い宮崎さんにとっては全く未知の主人公であり、どうやって物語の中で動かせばいいのかわかりません。絵コンテ作業は遅々として進まず、膨大な量のコンテを何度も修正する始末。掴みどころの無いキャラクター設定に苛立ち、困惑する宮崎監督。やがて我慢できなくなったのか、中盤から急に波乱万丈の展開となり、安藤さんの提案とは真逆の”極端な喜怒哀楽”が描かれるようになってしまいました。

当然、安藤さんとしてはいきなりの方向転換に納得できず、自分なりに原画段階で修正していたそうです。しかし、宮崎監督自身が原画修正に加わるようになると、どんどん従来型の宮崎テイストが濃厚になっていきました。千尋は美人顔に近づき、動作も機敏になり、ついには屋外配管の上を全速力で突っ走るまでに変貌する有様。完全に「今まで通りの宮崎キャラ」に戻ってしまったのです。映画完成後、安藤さんは雑誌のインタビューでこの時の心境を次のように述べていました。

僕には、千尋というキャラクターを可愛くしないっていうことが、ものすごい挑戦だと思えたんですよ。アニメの場合、”普通の少女”と言ったって基本的には可愛く描かれているじゃないですか?見た目が可愛いから、見る側はどうしても”可愛いヒロイン”というアニメの常識に沿った見方になってしまう。

でも、見た目がブサイクだったら本当に”普通の少女”を描くという意味になるんです。初見はブサイクでも、ドラマの進行と共に彼女なりの頑張りみたいなものが見えていって、何かを成し遂げた時に、造形は同じなんだけど、なんか行動に対して愛着が滲み出てくるというか。そういうことが表現出来たら凄いだろうな、と思ったんですけどね。

作画監督の安藤さんは、今までの宮崎型ヒロインからの脱却を図り、様々な試行錯誤を繰り返したものの、結局は軽快な活劇を好む宮崎監督と見解を一致させることはできませんでした。『千と千尋の神隠し』は、冒頭部分こそスローペースで肉体のリアリズムを志向する安藤さんのイメージを再現していますが、中盤以降からはまるで別人のような行動力を発揮するなど、明らかにキャラクター設定がブレています。

安藤さんは、このような矛盾に強い違和感と失望を感じ、最後まで抵抗を試みたらしい(最終的には宮崎監督と口もきかなくなるほど関係性が悪化)。ジブリの他のスタッフも、安藤さんと宮崎監督の方向性の違いに戸惑いを覚え、社内は重苦しい雰囲気に包まれました。その後、安藤さんは「結果的に”中途半端な宮崎アニメ”になってしまった」と作品を自己批判し、とうとう長年務めたジブリを退社してしまったのです。


庵野秀明、『千と千尋』を語る
ちなみに、『新世紀エヴァンゲリオン』の監督で、『風の谷のナウシカ』では巨神兵の作画を務めた庵野秀明さんは『千と千尋の神隠し』について以下のようにコメントしています。

今回は、たぶん宮さんあまり絵のチェックをやらなかったんでしょうね。特に前半は宮崎駿っぽい絵がなかったので、自分で絵をいじってない気がします。まず顔の表情が違うし、レイアウトもちょっと違っていました。コントロールしきれていない感じがあって、そこが逆に良かったんですが(笑)。普通の人が観てもわからないと思いますけど、業界人が観ると笑ってしまうようなところもあって(笑)。あとはアニメの技術として表現しきれていない部分とかもあるんですけど、別にそれが気になるわけでもないし。肩の力が抜けてる感じが良かったですね。

(中略)

アニメの技術だけで言えば、質はどんどん落ちてきていると思います。20年前、30年前の方が圧倒的に良かった。アニメーター全体の動きの質のようなものは確実に落ちてますね。絵の上手い人はそれなりに増えているけどアニメーターとしてどうかなあ、ということです。もちろん、今でも上手い人はいますけど、往年のアニメの動きにはまだまだかなわない感じがしました。

昔のアニメーターが、たとえば波を描こうと思ったら、実際に海へ行って波の動きを見て、これをアニメにしたらどうなるんだろうということを研究していたと思うんですけど、今はそんなことをしなくても、アニメの波をコマ送りで見れば分かるわけです。技術やそのための情報に対する”飢え”みたいなものが無いんですね。ここまで情報が溢れていると、どうしてもそうなってしまうんでしょう。

ただ、個人的には『もののけ姫』よりもずっと面白かったです(笑)。自分にとっては『もののけ姫』があまり良い映画ではなかったので、余計に良く見えるのかもしれませんが、『千と千尋』の方が『もののけ姫』よりもずっと宮さんの集大成という気がしますね。

(『ユリイカ』2001年8月臨時増刊号より)

●ストーリーがよく分からない
この映画は、宮崎監督が千尋のキャラクターを把握し切れないまま制作がスタートしたため、物語のあちこちで矛盾が生じています。元々、宮崎さんはもっとドラマチックなエピソードを盛り込み、クライマックスに大規模なアクションシーンを入れる予定でした。ところが、「その内容では尺が3時間を超えてしまう!」と鈴木プロデューサーから指摘され、慌ててストーリーを2時間に圧縮。本来は画面に出ているだけだった「カオナシ」という脇役を急遽メインキャラクターに昇格させ、無理矢理ドラマを再構成したのです。

これまでの作品でも、制作途中でエピソードを変更することはありましたが、中盤まで進んだ時点で後半以降の展開を大きく覆すというパターンは前例がありません。宮崎監督自身も本作のストーリーを振り返り、「自分でも”こんな変な映画があっていいのか?”っていう不安が物凄くあった。起・起・起と進んで突然”結”になってるからね(苦笑)」と支離滅裂な展開を反省しているそうです(自覚してたのかw)。

もうひとつ、『千と千尋』のストーリーに関する逸話として、次のようなエピソードが伝えられています。

ある時、ウォルト・ディズニー社のマイケル・アイズナー代表が『千と千尋』を観たんですが、ディズニー・スタジオが騒然となりました。なぜなら、アイズナー氏は今まで日本の長編アニメーション映画を観ることを拒み続けていたからです。

しかも、アイズナー氏はどんな映画でも5分ぐらいしか観ないことで有名なのに、『千と千尋』の時は最後まで席を立たなかった。このことから、他のスタッフは「凄い出来事だ!」と驚いたわけです。しかし、アイズナー氏は映画を観終わって、「わからん!」と一言。どうしてこれが日本で2300万人もの観客を集め、2.5億ドル(300億円)もの興行収入を上げることができたのか「さっぱり理解できない!」と何度も首を捻っていたそうです(笑)。


●DVDの色が赤い問題
千と千尋の神隠し』は2002年にDVDが発売されましたが、発売直後から「劇場で観た時と色調が違うような…」「全体的に赤い色が強すぎて見にくい!」「予告編の映像は赤くないのにどうして?」などの苦情が発売元のブエナビスタに殺到しました(再生機種やモニターによっては赤がより強調され、全編夕暮れのような画面になってしまうケースもあったらしい)。

これに対してブエナビスタは、「映像データは宮崎監督とスタジオジブリの監修に基づいて製作されたものです」とコメント。鈴木プロデューサーも「DVD制作の際、千尋の心情を表現するために敢えて色調を変更した。特典の予告編に関しては色調管理の余裕が無かったので補正をしていない。あくまでも本編ディスクの色調が正しい」と発表しました。

さらにAmazonの商品説明欄にも「本商品『千と千尋の神隠し』DVD・VHSについて、”画像が赤みがかっている”といった内容のカスタマー・レビューがいくつか寄せられています」などと注意事項が記載され、「赤く見える理由」を説明しているのですよ。↓

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

色が赤いバージョン(購入の際はご注意ください)

しかし、騒ぎはこの後も収まらず、なんと2002年にはDVD購入者3名がブエナビスタを相手取り、京都地裁に提訴するという事態が勃発!原告側は、証拠として色調異常を示すヒストグラムなどを提出し、正しい色調のDVDとの交換や慰謝料などを求める異例の事態に発展したのです。この問題は2004年に和解が成立するものの、その後に発売された『風の谷のナウシカ』のブルーレイがまたもや赤くなっていたので再びファンの怒りが大爆発。「いいかげんにしろ!」と再度クレームが殺到しました。

この「不自然な色調」については、「DVDマスター製作過程における色温度設定の錯誤」とする説が有力視されていますが、今のところはっきりした真相はわかりません。なお、北米やヨーロッパ、韓国で発売されたバージョンはなぜか赤くないそうです(なぜだ?)。※実際の画像(上がDVD版で下が劇場公開版↓)


ちなみに、この件に関してはアニメーション監督の北久保弘之さんがツイッター上で以下のように指摘していました。


鈴木敏夫がその場を取り繕う為に平気で吐いた嘘って例の千と千尋のDVD画面が赤いでござる事件」。アニメの制作工程がアナログからデジタルに変わった場合「制作スタッフはカラーキャリブレーションを三回行う必要が有る」。1:データ納品時。2:FILMレコーディング時。3:メディア落し時。

・1:データ納品時は解るよね、デジタルデータの色調整。2:FILMレコーディング時は0と1のデジタルデータの色味をFILMでも同じ発色させる為にする色調整。で、DVD等のメディアに焼く際にFILMから画像を落していれば問題は無いが、デジタルデータを焼く場合はそこで最終色調整が必須。

・ソフトを観る限り、もののけ姫はデジタルデータじゃなくてFILMから画像を焼いている。だから問題が発生しなかった。しかし千と千尋はFILMレコーディング時の調整だけで、DVDを焼く際に制作者が立ち会ってないハズ。立ち会っていれば明らかにFILMと違う発色にOK出す訳が無いから。

・こんなケアレスミスっつかボーンヘッドっつーか「コンピューター使ってアニメーション制作して劇場で上映してソフトに落とす」工程を正しく理解していれば発生する訳無い事故なのに、鈴木敏夫は「データは間違っていないが再生環境によって正しく発色しない」←つまりソフト買ったお客さんに責任転嫁!

真偽のほどは分かりませんが、北久保さんはDVDが赤い理由を「鈴木敏夫のミスで赤くなったのに、その責任を客に押しつけようとしている」と考えているようですね。

※追記
2014年7月に『千と千尋の神隠し』のブルーレイ版が発売されたんですが、なんと画面が赤くない!DVD版では冒頭に表示されるタイトル文字までもが(本来は白いはずなのに)赤みがかっていましたが、BD版ではちゃんと白で表示されています。

これに対して多くのファンは「やっと劇場版と同じ状態で『千と千尋の神隠し』を観賞できる!」と安堵しているそうです(それにしても、鈴木敏夫さんが「赤いのは仕様だ!」と力強く断言していたのは何だったんだろう?)。

千と千尋の神隠し [Blu-ray]

ついに赤くないバージョンが発売されました。嬉しい!

※その後DVDの方もデジタルリマスター版が発売され、こちらも自然な色調になっているそうです。

●大ヒットした理由
さて、『千と千尋の神隠し』はこのように様々な問題を内包した結果、作画は安定せず、テーマは分散し、ストーリーも迷走しまくりで非常に混乱した物語になってしまいました。にもかかわらず、日本中で大ヒット。一体なぜ?

その理由について多くの映画評論家やアニメ研究者たちが検証を行いましたが、いまだに明確な解答は出ていません。ただ理由の一つとしては、「通常のドラマツルギーとは別の次元で映画が成立しているからではないか」と言われています。これは一体どういうことでしょう?

本作は、最初から最後まで「10歳の少女の目線」でストーリーが進行します。つまり、その世界で千尋が見たもの、体験したものしか描かれません。必然的に、観客は千尋と同じく「わけの分からないものを分からないまま」体験することになります。これは要するに、映像とシチュエーションで強引に観る者を納得させているわけで、全てに解答が用意された緻密な設定を初めから放棄しているということなのです。

さらに、新人スタッフや外注のアニメスタジオによる作画が画面に不安定な印象を与え、それが千尋の不安定な心理状態と偶然にもマッチングし、その結果「思春期の少女の不安定な主観で彩られた奇妙な物語」として見事に結実することになったのではないか…と。こんな映画がテクニックや計算で生み出されるはずがなく、まさに究極を求めて働いた監督及びスタッフの熱意と努力が奇跡を起こしたと言うしかありません。

この件について宮崎監督自身は「意図的にそうしたわけではない」と言いつつ、以下のようにインタビューで語っています。

はっきりしているのは観客を明確に設定できたことですね。観客を設定できて”あの子供たちに観せるんだ”っていうことが具体的に思えたからです。その子たちにとってのリアリティを外してはならないっていうね。それを非常に大きな枷として自分に課したんですよ。別に、その子たちがわかってることだけで映画を作ろうとは思ってなかったですけど、でも、その子たちが観てここまでなら理解できるっていう範囲で作ろうと思ったんです。

よく、”もしも千尋の横にハクが来なかったら、あの子はどうなってたんだ?”って質問する人がいるんですよ。それは多くの人はそういう人生を生きていることが多いから。つまり、自分が一番困っている時には誰も助けに来なかったというね(笑)。だけど千尋には来たわけですよ。だからこれは、そういうことを受け入れられる人の映画なんです。そこまで疑ってかかる人のための映画じゃないんですよ。

実際そういうことは身の周りでも起こっているんであって、ただ気が付いていないだけなんだと僕は思っています。あれぐらい親切にしてくれる人は周りにいるよって。心を閉ざしているから気付かないだけ。だから、観客として設定した子供たちがどう受け取ってくれたかっていうのはわかりませんけど、なんかそういうものを受け入れてくれたらいいなあって思いながら作ってましたね。でも「わたしには全然ハクが来てくれないわ!」って言ってるかもしれないけど(笑)。

(『SIGHT』2002年 VOL.10より)


宮崎駿アメリカ珍騒動
なお、『千と千尋の神隠し』の宣伝で鈴木さんが宮崎監督とアメリカに行った時、テレビと紙媒体を合わせて70件近くのインタビューの申し込みがあったそうです。少し減らして50件ぐらいにしたものの、それでも結構な数には違いない。インタビュー嫌いで有名な宮崎駿がそんな数を受け入れるとは思えません。

そこで鈴木さんは、「インタビューの数は100件の申し込みがあったけど交渉して45件まで減らしました」と嘘をついたらしい。それを聞いた宮崎監督は、「じゃあ仕方ないな」と全てのインタビューを黙々とこなしたそうです(笑)。ちなみに、そのインタビューの中には”CGにまつわるエピソード”があったそうで、鈴木敏夫さんは以下のように話していました。

千と千尋』の時ですけどね、冒頭、車に乗っていくと不思議の世界へ行く手前でお地蔵さんに会うんですけど、あのお地蔵さんってね、当たり前なんですけど立体なわけですよ。つまり3DCGで作ってある。それに紙(テクスチャー)を貼り付けて手描きのように見せかけたんですけどね。これを観たアメリカ人の記者が「今回の映画ではCGをいっぱい使ってらっしゃいますね」って訊いたわけです。でも宮崎は「ひとつも使ってません!」って(笑)。

そうしたらね、そのアメリカの記者も驚いちゃって、「最初のお地蔵さま、あれCGに見えるんですけど、違いますか?」「違います!」「え?じゃあどうやってやったんですか?」って(笑)。現場の連中もひどいんですよ。CGとか3Dとか言うと宮崎が怒るでしょ?それで、ある日考えたやつがいるんですよ、”立体だ”って(笑)。これ、バカにしてるみたいだけど、本当の話ですからね。僕はその担当者を捕まえて怒りましたよ(笑)。

(『CUT』2009年12月号より)

鈴木さんはよく話を盛るクセがあるので、どこまでが事実なのかよく分かりませんが(笑)、宮崎監督の周りにはいつも面白いエピソードが転がってるんですねぇw


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