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完全ネタバレ!映画『インセプション』結末解説/評価/感想

本日はインセプションのレビュー(ネタバレあり)です。と言っても既にネットやブログ等で色々な解説や謎の考察が列挙されているようなので、ここではクリストファー・ノーラン監督の独特な演出方法をじっくり検証しつつ、何故この映画がヒットしているのか?そしてラストシーンにはどんな意味が込められているのか?その秘密を探ってみたいと思います。


※ラストまで全部ネタバレしてますので、まだ映画を観ていない人はご注意ください!


まず映画冒頭、レオナルド・ディカプリオ(コブ)が波打ち際に倒れているという衝撃的なシーンから物語がスタート。この場面って、映画の終盤(というかラスト間際)なんですね。つまり、本作はほぼクライマックス付近からいきなり始まっているのです。

まあ、突然意外なシーンから始めることによって関心を引き付けるという手法は『M:I:3』や『ソードフィッシュ』などでも使用されている割とポピュラーなテクニックなのですが、本作はとにかく編集が大胆かつややこしい。

「いきなりクライマックス」で始まる映画の場合、ある程度のシーンを見せたら「本来のスタート地点」へ戻るのがセオリーです。しかし、『インセプション』はスタート地点が「夢の中」となっており、しかも「夢の中でさらに夢を見ている」という多層構造になっているものですから余計にややこしくなっているのですよ。一緒に観た友人は「オープニング直後で早くも脱落しそうになった」と困惑していました、トホホ。

実はタイトルにもなっている”インセプション”とは、相手の潜在意識に特定の思考(アイデア)を植え付ける行為のことなのですが、これは主人公のコブにとってはイレギュラーな仕事なんですね。彼の本来の仕事は、ターゲットが夢を見ている間に潜在意識に入り込みアイデアを盗み取ることで、”エクストラクション”と呼ばれています。

なので、まずはエクストラクションがどのような行為か観客に提示し、コブが普段どうやって仕事をしているかを見せた後で本題に入るのがスマートな展開なのですが、クリストファー・ノーラン監督はそんなことを気にする様子も無く、どんどん話を進めていきます。

次に、夢から覚めたサイトー(渡辺謙がコブに仕事を依頼するんですが、このサイトーという人物も謎だらけ。「世界有数の巨大企業を牛耳る大物実業家」という肩書なんですけど、具体的にどういう会社なのか一切不明なのです。

しかも、航空会社を丸ごと買い取ったり犯罪者の経歴を電話一本で抹消できたり等、大変なVIPにもかかわらずSPも付けずにコブたちの危険なミッションに同行したいなどと言い出す始末(インセプションが成功したかどうかを直接確認するため)。

でも普通、そういうことは部下にやらせませんか?一説によると、「サイトー自身がある種のマクガフィンなので、物語上、重要視する必要はない」とのことですが、いくらなんでも設定が適当過ぎるのでは?

一方、コブの方も心に厄介な問題を抱えていました。コブの奥さんは、過去に彼が実行したインセプションが原因で自殺していたのです。普通の産業スパイなら自分の嫁さんが自殺したとしても(精神的にはともかく)仕事内容には直接的に影響を及ぼすことはないでしょう。しかし、コブの場合は実際に死んだ嫁さんが(夢の中に)出現して仕事の邪魔ばかりしてくるんですよ。

これはもう、直接的に業務が妨害されているわけで、言わば自分の商売道具がガタガタになっている状況。例えるなら、肩が完全に壊れたピッチャーが無理矢理マウンドに立っているようなものであり、こんな状態で仕事を続けるのはどう考えても無謀です。完全にプロ失格と言わざるを得ませんよ(ただ、この辺の設定は『惑星ソラリス』からの引用なのでスルーすべきなんでしょうね)。

そして、コブは困難なミッションを成功させるために各分野からエキスパートを集めました。その中の一人がアリアドネエレン・ペイジです。彼女は大学で建築学を専攻している女子学生で、恩師マイルズ(マイケル・ケイン)の勧めにより「設計士」としてメンバーに参加。ここで重要なのが、アリアドネが映画を観ている観客にとって「道先案内人」のポジションであるということです。

通常、SF映画というものは特殊な設定やガジェットがわんさか出てきますが、登場人物にとっては「自分達が普段暮らしている世界」なので、何の説明もしてくれません。しかし、これでは観客がお話について来られなくなるので、観客の疑問を代わりに聞いてくれる「代弁者」が配置されるのです(劇中で、「これはどういう意味なの?」と疑問を投げかけると、登場人物がそれに答えてくれるという仕組み)。

つまり、アリアドネ「観客目線」で物語をナビゲートしてくれる便利なキャラクターという役割であり、本来は一番感情移入しやすいハズなのですよ(エレン・ペイジもインタビューで「私が演じたアリアドネは、コブにスカウトされる新人だから、ある意味で観客が気持を最も寄せやすい役どころじゃないかしら」と答えています)。

ところが、彼女は最初こそ親切にナビゲートしてくれるものの、途中からだんだん他の登場人物と同様に観客を置き去りにし出すのですよ。例の”ドリーム・マシン”(パッシヴ・デバイスというらしい)がどういう機械なのか、単なる建築学を専攻している女子学生がなぜ人の潜在意識へ入り込み夢を設計できるのか等、説明は一切ありません。

「そういう世界だから」と無理矢理にでも納得するしかないわけです(ノーラン監督、強引すぎ)『インセプション』が「分かりにくい!」と言われている原因の一つは、このような部分にもあると考えられるのではないでしょうか。


謎の”夢共有装置”パッシヴ・デバイス

そして、いよいよ例の「複雑怪奇なミッション」がスタート!まず、現実世界は「飛行機の機内」で、ここを起点として全員が夢の世界へとダイブします。夢の第1階層は「架空のロサンゼルス」。

ここでの目的は、「ロバートが父親との関係を見つめ直すよう誘導し、遺言の存在を意識させる」という内容です。コブたちがタクシードライバーになり済まし、まんまとロバート誘拐に成功!と思いきや、いきなり巨大な貨物列車が街中に出現し、車に追突をかましてきました。さらには、謎の武装集団がどこからともなく湧いて出て、銃を乱射してくるではありませんか!

この集団は何者だ?と思ったら、ロバートの潜在意識が生み出した「自己防衛機能」だそうです。コブはアーサーに対して「何故、攻撃があることを予測できなかったんだ!」と怒りますが、そりゃそうです。サイトーの夢にも複数の護衛が登場していたのですから、こうなることは事前に分かっていたはずで、うっかりするにも程がありますよ。

すでにこの辺でかなり雲行きが怪しくなってきましたが、お話はまだまだ終わりません。続いては、夢の第2階層「ホテル」。ここでの目的は「法律顧問のブラウニングが遺言を狙っているとロバートに思わせ、さらに深く潜在意識へ侵入する」という内容です。

しかし、ここでもまた予期せぬ事態が勃発!第1階層の武装集団の攻撃が激し過ぎて、予定時刻よりも前にキック(夢から目覚めさせるきっかけ)が作動。そのため、着水までの時間差が想定外の「無重力状態」を生み出し、第2階層の「ホテル」に影響を及ぼし始めたのです。

当初の計画では、ホテルの床を爆弾で爆破し、落下の衝撃でキックを作動させる予定でしたが、無重力になってしまったために実行不可。なのでアーサーは仕掛けていた爆弾を取り外し、エレベーターに設置し直すハメになってしまいました(ああ、ややこしい)。

でも、ここでの「無重力アクション」は本当にすごかった!撮影スタイルがいくつかのパターンに分かれていて、第1のパターンでは巨大なホテル廊下内のセット(長さ30メートル)を丸ごと回転させ、その中で俳優やスタントマンがグルグル回りながらアクションするという、昔からあるオーソドックスな映像トリックになっています。しかし、第2のパターンでは、セットの中を人間がフワフワと浮遊し、縦横無尽に飛び回っている(ように見える)のですよ。

おそらく、セットを縦に配置し、スタントマンを上からワイヤーで吊り下げ、カメラを下から撮影すればあのような映像が撮れるハズです(『2001年宇宙の旅』の無重力シーンも同様の方法で撮影された)。しかし、これだけでは説明できないカットもいくつかあって、総合的にどうやって撮ったのかは良く分からないんですよねえ。

例えばアーサーが、眠っている仲間たちを部屋の外へ連れ出すために、全員の体を縛り合わせるシーンでは、縦方向に設置された大きなセットが使用されました。このシーンで空中に浮かんでいる”縛られた人々”は、俳優たち全員の顔や手の型を取って作られた「精巧な人形」だそうです。

この人形を作成したのは人工装具の専門家で、寝ている姿勢のボディを作り、ペイントされたシリコン製の皮膚を頭部に貼り付け、髪の毛を植えるなどの細かい作業を経て、本物そっくりのダミーを完成させたとのこと。ノーラン監督は、これらのダミー人形と本物の俳優を上手く使い分けながら撮影していたのですよ。すげえ!

さて、ようやくロバートを伴って夢の第3階層「雪山の要塞」へ侵入(設定では”病院”だそうですが、どう見ても要塞ですw)。この階層での目的は「”父の後を継ぐのではなく自分の道を進む”というアイデアを深層心理に定着させる」という内容です(ここで繰り広げられるアクションは『女王陛下の007』のオマージュ)。

イギリス出身のクリストファー・ノーラン監督は『007』シリーズの大ファンで、「いつか自分で『007』を撮ってみたい」と発言するほど大好きなんだそうです。中でも『女王陛下の007』が特にお気に入りで、本作でもオマージュとして取り入れたらしい。

そんな『女王陛下の007』パートでまたまた予期せぬトラブルが発生(毎回、階層を潜るたびにアクシデントが起こってるなあw)。なんと、コブの嫁さん(の投影)が現れてロバートを射殺!普通は、夢の中で死ぬと目が覚めるだけですが、今回のミッションではより深く潜在意識の奥底まで侵入するために特殊な睡眠薬を使用していました。そのため、ここで死ぬと意識が覚醒することなく永遠に夢の世界を彷徨い続けることになるのですよ(この時点でサイトーも死にかけてます)。

「作戦は失敗だ…」とガックリと肩を落とすコブ(お前のせいだろw)。ここで突然アリアドネが「みんな、諦めちゃダメよッ!」とスポ根アニメの女子マネージャーのように叫び、さらに下の階僧に潜ってロバートを救出することを提案。この時、第1階層では車が落下中でキックの瞬間が迫っていますが、第2階層、第3階層と深く潜れば潜るほど時間の経ち方が遅くなるので「まだ間に合う!」というのです(凄い設定だ)。

コブはアリアドネと共に急いで夢の第4階層「虚無(LIMBO)」へダイブ!ここでコブは死んだ嫁さんと色々と夫婦生活について話し合うのですが面倒くさいので割愛(笑)。アリアドネはロバートを連れてビルから飛び降り第3階層へ復帰。ロバートは父親(の投影)にアイテムを渡されインセプション完了。その後キックの効果で第2、第1と次々浮上し、最終的に現実世界へ戻ります(他のメンバーも同様)。

目覚めたロバートは、コブたちによってインセプションされたニセの記憶(父親が自分の事を気にかけてくれていた等)を本物と思い込み、今後の会社経営に変更を加える可能性を示唆(ただし、サイトーは肝心のインセプションの成否を直接確認していないため、何のために危険を冒してミッションに参加したのか意味がないw)。

一方、コブは第4階層に落ちたサイトーを捜して夢の中を彷徨い続け、ようやく再会を果たします(ここが映画の冒頭場面)。サイトーは夢を現実と思い込んでいるので「夢で過ごした時間」の分だけ老けていますが、コブは夢を”夢”として認識しているので変化無し。「現実の世界へ戻ろう!」というコブの呼びかけにより、サイトーとコブは拳銃自殺で夢の世界を脱出(映画ではこの場面は描かれていない)。

気が付くと、飛行機の機内で座席に座っているコブ。周りを見ると他のメンバーも無事に帰還している様子。そして、サイトーに犯罪経歴を抹消もらったコブは、ついに愛する子供たちと会うことができて、万事解決めでたしめでたし……と思ったら、夢か現実かを見分ける「運命のコマ(トーテム)」が回転中。

回転が止まれば現実、このまま回り続ければ夢の世界というわけですが、「さあどっちだ?」のタイミングで映画終了。まさかの夢オチも有り得る展開に「なんじゃそりゃあ〜」って感じでしたよ(「夢の階層」の構造図↓)。


で、自分なりにこの作品を総括してみたんですが、クリストファー・ノーラン監督にしてはかなり脚本の精度が甘いような気がします。エピソードのまとめ方も都合が良すぎるし、キャラクターの造形も適当だし、何より映画全体を形成する「世界観」がいいかげん過ぎる。

そもそも、「夢に侵入する」という技術はどういう過程を経て生み出されたものなのか?また、そのテクノロジーがこの世界にどのような社会的・経済的な影響を及ぼしているのか?フィクションにリアリティを与えるための合理的な説明が何も成されていないのですよ。

しかし、ここで一つの疑惑が生じました。「もしかして全部夢なのでは?」と。つまり、夢だからこそ最終的に都合よくお話がまとまり、キャラクターも曖昧なままで行動し、世界観がいいかげんでも許されるんじゃないの?だって夢だから(笑)。

いや、もうちょっと真面目に考察すると、コブがロバートにインセプションを仕掛けてたんじゃなくて、コブが他の誰かからインセプションを仕掛けられていたんじゃないのか?と。

その場合、どこから夢なのかというと最初からになるわけで、サイトーにミッションを持ちかけられたこと自体が既に夢であると。ラストカットはおそらく第1階層あたりで、ここから目覚めればコブのインセプションは完了というわけです(目覚めない場合もあり)。

この見解は多少飛躍しているかもしれませんが、同様の解釈をしている人も大勢いるみたいだし、おそらくノーラン監督も夢オチの可能性を視野に入れてワザと脚本をユルく書いたのではないでしょうか?その上で、「どのように解釈するかはご自由に」というスタンスなのだと思います。

「夢オチ説」を支持している人の根拠は何かというと、映画のラストシーンでコブが子供たちと再会した時、「コブが夢の中で見た服装と全く同じだ!」というものです。子供たちの姿は劇中に何度か出てきますが、それらはコブが家を出ていく直前、最後に見た姿です。となれば当然、時間の経過とともに現実世界の子供たちはその姿よりも大きくなっているはずですよね?

ところが、ラストで会う子供たちはその当時と同じ服を着ている。しかも全然成長しているように見えない。つまり、夢の中のイメージがそのまま再現されているわけで、これはどう考えても夢だろうと。僕も最初はそう思っていました。

だが、しかし!映画公開後、『インセプション』の衣装を担当したデザイナーのジェフリー・カーランドが、映画衣装の専門サイト「Clothes on Film」のクリス・ラヴァティのインタビューに応じ、「ラストシーンで子供たちが着ている衣装は、それ以前とは別のものです。もう一度、よく映画をご覧になってください」と重大な事実を告白したのです(よく見ると、女の子が履いている靴の色が違う)。えええ!夢なの?現実なの?いったいどっち!?

しかも、エンドクレジットをよく見ると、コブの子供たちを演じた2人の子役はそれぞれ2人ずつ、計4人がキャスティングされていたらしいのです(4人の年齢もバラバラ)。つまり、コブの夢の中に出てきた子供たちと、最後にコブが再会する子供たちは、よく似ているけれど全くの別人が演じていたのですよ。

これはどういうことなのかと言うと、「ラストシーンの子供たちは以前よりも成長している」という意味なのです。え?それってもしかして……!わああああ!どうやら、まんまとクリストファー・ノーラン監督の術中にはまってしまっていたようです、トホホ。

さらに決定的なのが、マイルズを演じたマイケル・ケインBBCラジオにゲスト出演した際にバラした衝撃の真相。「コマは最後には倒れますよ。ラストシーンで私(マイルズ)がまた出てくるでしょ?私がいるってことは現実の世界なんです。私は夢には一度も出てきませんからね。あの夢を考えた(発明した)のは、この私なんですよ」とのこと。う〜む、ここまで裏の設定を考えていたとは……(ソース元はこちら)。

観客に謎を投げ掛けて終わる映画の場合、実は監督自身が何も考えていない場合も結構あるのですが、クリストファー・ノーランはきちんと謎を解明する手掛かりを映画の中に提示してくれていたんですね(その上でワザと「どちらにも解釈できる構成」にしている)。

すなわち、映画『インセプション』が真に画期的な理由は、常に「もしかして、今観ているこのシーンも夢なのでは?」と思わせる”無限後退”の思考を観客の潜在意識に植え付けた(インセプションした)ことなのですよ。

しかし、古今東西「夢オチ」というスタイルは観客から嫌われる傾向にあり、インディーズならともかくハリウッド・メジャーでよくこれを採用したなと逆に感心しましたよ。なぜ「夢オチ」が非難されるかというと、ストーリー至上主義の見地から見た場合、論理性が無いからです。

物語の基本構成は起承転結と言われているように、ストーリーの本質は論理性です。因果関係を積み重ねながら合理的に話を展開していくものが”ストーリー”だとすると、「夢オチ」はそれまでの合理的な段取りがすべて崩れてしまう。だから観客は怒るわけです。

じゃあ、なんで今この映画がヒットしているのかというと、理由の一つは「時代性」だと思います。つまり、以前は考え方として「現実と夢」は明確に区別されていました。常識的に考えて「夢は夢」、「現実は現実」とはっきり分かれているものだ、という認識が歴然としてあったわけです。

ところが、ここ10年ぐらいの間にインターネットが急速に普及し、それに伴ってコミュニケーションの在り方にも変化が生じてきました。すなわち、メールやSNSなどを通じた仮想のコミュニケーションが当たり前となり、それが次第に現実感を失わせ、やがて「虚構と現実」の境界線が曖昧になってきた。

また、ネットゲームに興じる人にとっては、そのゲームを享受している間だけは、ゲーム内の出来事を「現実」としてとらえているわけです。よく出来たゲームであればあるほど「現実感」が強い。つまり、『インセプション』を観てその内容に違和感を感じないぐらい、現在の観客は「虚構と現実」という問題に関して、単なるフィクションではなく実感として受け入れられる環境が出来上がっている、ということなのでしょう(いいことかどうかは分かりませんがw)。

二つ目の理由としては、もちろん「難解なストーリー」というポイントははずせません。いや、本当は難解じゃないんですが、ノーラン監督の戦略としてワザと設定をややこしくしたり、ワザと脚本をユルく書くことによって、観た人が自由に解釈できるように幅を持たせてあるんですね。

そのため、「あのシーンはどういう意味なんだ?」「こういうことじゃないの?」「いや、オレはこう思う!」という感じに議論が白熱するような仕掛けを意図的に組み込むことによって、口コミ効果が広がり、リピーターが増加して興行アップ、というわけなのです。

似たような現象は過去に何度も繰り返されており、古くはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』や、デヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』、庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』など、「難解」と呼ばれる映画はいずれも「良く分からないからこそ知りたい!」という観客の知的好奇心を刺激する格好の題材としてムーブメントを誘発させる効果があるようです。

ちなみに、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督も『インセプション』を観たようで、「面白いです!SFアクション映画という言葉にとらわれずに見るとまた面白い。ノーラン監督の『夢』『逃避』『現実』『目覚め』、そして『観客』『作り手』という一連のメッセージがまたよかったです!」と絶賛しています。

また、「虚構と現実」という『インセプション』と同じテーマで、今から26年も前にビューティフル・ドリーマーを撮った押井守監督も本作を観て、「クリストファー・ノーラン、いいなあ。絢爛豪華な『胡蝶の夢』は、映画監督の永遠の夢。夢から醒めなきゃいいけど」とコメントしていました。二人とも、こういう映画に憧れてるんでしょうね(^_^)

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