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『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』ネタバレ感想/評価/解説

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』より
■あらすじ『宇宙世紀0093。前の戦闘で敗れたシャアはネオ・ジオン軍を再建し、核兵器を積んだ小惑星アクシズを地球に衝突させようと企んでいた。地球政府の高官・パラヤはシャアと秘密裏に和平交渉を行うが、その企みには気がつかない。そんな時アムロはパラヤの娘クェスと少年ハサウェイを連れてロンデニオンの湖畔を散策中に宿敵シャアと再会。ニュータイプとして目覚めつつあったクェスはシャアに共鳴し、ジオン軍に加わってしまう。そして訓練の末パイロットとなり、父・パラヤの乗っていた戦艦を撃滅した。地球を滅亡に追いやろうと企むシャア・アズナブルと、ニューガンダムを操るアムロ・レイとの最後の戦いを描くSF長編アニメーション!』



本作は『機動戦士ガンダム』初の完全新作映画であると同時に、シャアとアムロの長きに渡る因縁の対決に終止符が打たれる“完結編”でもある。ファンの間では逆シャアと呼ばれており、いまだに評価の高い一本だ。

ところで、いきなり『逆シャア』と言われても普通の人には何の事か分からないと思うが、アニメファンは長いタイトルを略称で呼ぶのが普通なのである。会話の時にいちいち『劇場版機動戦士ガンダム逆襲のシャアなんて、長ったらしくて言ってられない。故に『逆シャア』と省略するワケだ。

『劇場版超時空要塞マクロス愛おぼえていますか』は『劇マク』。『魔女の宅急便』は『魔女タク』。『ルパン3世カリオストロの城』はカリ城。そして『新世紀エヴァンゲリオンDEATH&REBIRTHシト新生』は春エヴァと呼ぶ(どこに“春”があるんだ?と疑問に思うかもしれないが、映画が春に公開されたからだ)。

仲間内ではこれだけで会話が成立するので大変便利だが、ファミレスなどで大声を出してしゃべっていると、周りの客から確実に白い目で見られてしまうので十分注意が必要である。

しかし最近は(といっても10年近くになるが)全くアニメを見なくなったので、皆の会話に全然ついていけない状況となっている。やっとこの前『ハガレン』が何か分かったぐらいだ。しかもいまだに見てないんだけど、もう正直TVアニメとか見る気力が無いんだよなあ…って何の話だっけ?ああ、『逆シャア』でした。

この映画は富野監督自身にとっても思い入れがあるらしく、監督の本音が爆発したとてつもないドラマ展開は、確かに見応えがある。また、庵野秀明監督も『逆シャア』の大ファンで、のめり込んだ挙句にとうとう同人誌まで作ってしまったそうだ。

だが、僕自身はどうしてもこの作品にのめり込む事が出来なかった。理由は、ハサウェイやクェスなどのキャラクターに、いまいち感情移入出来ないからだ。

特にクェスの言動は完全に僕の理解を超えており、何を考えているのかサッパリ分からない(宇宙服も着ないでいきなり宇宙空間へ飛び出したりなど、ハチャメチャな行動を取りまくる。単なるアホ女ですよ)。

アムロも、かつてホワイトベースにいた頃は「ブライトさん!」だったのに、いつの間にかタメ口になっていて態度がでかくなったように見えるのがなんかイヤなんだよなあ。

そして致命的なのは、かつてないほどにシャアがカッコ悪いという事である。「一年戦争」の頃のカリスマ的なカッコ良さは、本作では微塵も感じられないのだ。「シャアってこんなにカッコ悪かったっけ?」とガッカリする事間違いなし。

本作におけるシャアの目的は“アクシズ地球落下によるオールドタイプの抹殺”だ。「人類全体をニュータイプにするには、誰かが業を背負わなければいけないんだ!」と、一見正統な理由があるように思える。だが、物語が進むにつれてシャアの動機が、アムロとの確執である事がだんだん分かってくるのだ。

初めて二人が出会うシーンで「なんで、貴様がここにいるんだ!?」と問いかけるアムロに対し、「私はお前と違ってパイロットだけをやっているワケにはいかんのだ!」と中小企業の社長みたいに答えるシャア。

その答えに頭にきたアムロは、いきなりシャアに殴りかかる。「バカにして!そうやって貴様は永遠に他人を見下す事しか出来ないんだ!」。さらに、モビルスーツに乗って宇宙に出てからも二人の凄まじい口ゲンカは止まらない。

アムロ「情けないヤツめ!」
シャア「ならば、今すぐ愚民ども全てに英知を授けてみせろ!」
アムロ「貴様をやってから、そうさせてもらう!」
シャア「愚民どもにその才能を利用されているお前に、言えた事か!」

セリフ回しはカッコいいが、単に“いい歳したおっさん二人が宇宙空間で罵り合っている”だけである。挙句の果てにシャアは、「ララアは私の母になってくれたかもしれなかった女性なんだ!そのララアを殺したお前に、言われる筋合いは無い!」などと、とんでもない本音トークをぶちまける始末(戦闘中なのに)。

なんだそりゃあ!?結局、自分の個人的な遺恨で闘ってるだけじゃねえか!ああ、イヤだ。そんな情けないシャアは見たくない。さすがのアムロも最後には呆れ果てて、「貴様ほどの男が、なんて器量の小さい事を…!」と絶句してしまう有様だ。

なんせ、シャア・アズナブルという人間が「何年も前に彼女を奪われた事を根に持って、いまだに恨み言を言う女々しい男」だったという事実がついに判明してしまったのだから当然だろう。

いまだかつてロボットアニメで、ここまでみっともないシチュエーションは観た事が無い。『めぐりあい宇宙』のクライマックスでも、二人はお互いに口論しながら戦闘をしているが、全く同じシチュエーションであるにもかかわらず、「本作はなぜここまでカッコ悪くなってしまったのか?」と公開当時は不満で一杯だった。

しかし、子供の頃初めて劇場で観た時はあまりにも情けないシャアの言動の数々に幻滅したものだが、大人になった今観るとシャアの心情が理解出来なくもない。要するにシャアは“現実とはこういうものだ”という事を本音で語っているのだ。

「どんなに理想を並べてみても、どうにもならない事が世の中にはある。それを受け入れなければ、人は生きてはゆけないんだ!」と、確かに真実ではあるが、身も蓋もないことを堂々と述べているのである(そしてシャアは自分が「アコギな事をやっている」と自覚している)。

それに対してアムロは「人間には無限の可能性がある。どんな困難だって乗り越えられるはずだ!」と真っ向から対立。だが、それはシャアにとってはただの“青臭い理想論”に過ぎず、自分の考えに共感しようとしないアムロに対して、「なぜ、これが分からんのだ!」と苛立つワケだ(ある意味、アムロよりシャアの方が“大人の思考”で物事を判断しているとも言える)。

そして最大のポイントは、富野監督が「ワザとシャアをカッコ悪く描いている」ということだ。「今まではクールでカッコ良い存在だったが、これがシャア・アズナブルという男の正体なんだよ!」と自ら暴露しているのである。それは同時に作家自身の本音も暴露しているワケで、「シャアを正々堂々とカッコ悪く描写した事」こそが、本作が『イデオン』と並んでファンに賞賛されている最大の理由ではないかと思う。

ロボットアニメや特撮ヒーローモノの主流は児童向けで、情操教育の一環として正義側に対する倫理観のカセが厳然としてある。一方、悪の側にはヒーローに倒される前提があるため、あまり制約がない。だから「本音」あるいは「美学」のようなものがストレートに出やすいのだ。これが、時として悪の側に魅力が出てしまう理由である。

ガンダムにおいても富野監督の本音は、明らかに悪の側にあるのだ。シャアは地球圏の人々に対し、「重力に魂を牽かれた人々」と怒りと侮蔑の目を向け、“粛清”の名の下に抹殺しようとする。

一方、富野監督自身も様々なインタビューで「“これが生きているという事だ”、という自覚が無い人々(特に老人)は死んだほうが良い」という意味の発言を何度もしている。すなわち、シャアに自己を重ねているのだ。

元々『ガンダム』とは、巨大ロボットアニメという表現媒体を「儲かる仕組みのルーチンワーク」にしてしまった人々に対する痛烈なカウンターであったハズだ。なのに、いつの間にかガンダム自身が新たなブランドになってしまった。

ガンダムを新しいシステムとして崇め、魂を牽かれてしまった多くの人々。送り手にも受け手にも、そういう人種を大量に生んでしまった。「それを“粛清”したい!」という富野監督の心の叫び。

最初にガンダムを作った富野監督だからこそ言えるセリフである。シャアを通じて自分の本音をぶちまけ、さらに「シャアというヤツはこんなにカッコ悪い男なんだ。そしてこのカッコ悪い男こそが俺自身なんだよ!」と劇場映画を使って堂々とカミングアウトする富野監督は、逆に「猛烈にかっこいい!」と言えるかもしれない。

しかし、シャアとアムロがそれぞれの立場で理論を展開し、男同士の本音をぶつけ合うドラマとしては確かに面白いが、『ガンダム』でそれをやって欲しくはなかったなあ。「何がどうなったのか良く分からないラストシーン」も含めて、個人的にはちょっと納得できない作品である。

なお、アニメ業界関係者にも『逆シャア』のファンは多く、樋口真嗣も『ローレライ』を製作中に仕事場で『逆シャア』のDVDをかけっ放しにしていたそうだ。ただし、エンディングのテーマ曲が流れる前に「ブチッ」と消すらしい(そんなにTMネットワークが嫌いなのか?w)。

また、山賀博之監督も『逆シャア』のファンを公言している。インタビューでも「『ガンダム』にはあまり興味が無いんですが、唯一好きなのが『逆シャア』です。富野さんはあの作品の当時、もう40代でした。あの映画には、40代になっても仕事としてロボットアニメを作り続けていかなくちゃならない“大人の情けなさ”っていうものが、登場人物たちにきれいに投影されているのが凄くいいなと思います。あれこそ、最高の芸術作品だなと感じますね」と大絶賛しているのだ。

個人的な見所としては、とにかく戦闘シーンがイイ。宇宙空間を縦横無尽に飛び回る“ファンネル”の描写によって、アクションシーンのスピード感がさらにアップしている。

あとは、やっぱりブライトさん。この人だけ、何年経っても全然キャラクターが変わらないんだよね(笑)。相変わらず、弾幕薄いぞ!なにやってんの!」と叫んでます(にしてもホワイトベース左舷の弾幕はなぜいつも薄いのだろうか?誰かサボってるのか?)。

ちなみに『逆シャア』のメカデザインは色んなアニメスタジオへ発注されて決まったらしい。当時、ガイナックスにもデザインの発注が来て、熱狂的なガンダム・オタクの庵野秀明が「俺にもガンダムを描かせて下さい!」と張り切ってデザインしたら、鉄人28号みたいなガンダムになってしまった。

しかし庵野はそのデザインに自信を持っていたのでそのまま提出。すると、それを見た瞬間に富野監督が原稿をビリビリっと破り捨てて、庵野なんか大嫌い!死ねばいいのよ!」と叫んだらしい。いや、なぜ“おネエ言葉”?


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