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映画『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』ネタバレ感想/評価

■あらすじ『一年戦争から8年後の宇宙世紀0087年。地球在住の特権階級の権益を代表する地球連邦軍のエリート部隊「ティターンズ」と、その専横的な支配に反発するレジスタンス組織「エゥーゴ」の間で、連邦を二分する戦乱が始まろうとしていた。スペースコロニーに住む高校生カミーユ・ビダンは、権威主義的な軍人への私的な反発心から、ティターンズの新型モビルスーツガンダムMk-II”を奪取。偵察任務に就いていたエゥーゴクワトロ・バジーナ大尉と運命的な出会いを果たし、見習いパイロットとしてエゥーゴに身を投じることになる!』



もはや説明の必要が無いほどメジャー化した国民的アニメ『機動戦士ガンダム』。アニメに全く興味が無い人でも、その名前は知っているというぐらい有名な作品だ。本作はその『機動戦士ガンダム』から8年後の世界を描いた正式な続編『機動戦士Zガンダム』の劇場版である。ただ、TVで『機動戦士Zガンダム』が放映されていた当時、僕は小学生だったが、さすがにもうアニメは見なくなっていた頃だった。

それまでは結構「ロボットアニメ」が好きで欠かさず見ていたのだが、『エルガイム』辺りから「もうアニメはちょっとなあ…」と興味を失っていた。だが、あの『機動戦士ガンダム』の続編でしかも富野監督の作品となれば「やっぱり見てみようか」と再び本放送を見始めたのである。しかし…

「なんだこりゃあ!?」

第一回目の放送を見終わった僕は茫然自失だった。登場人物はなんだか皆イライラしているし、作品の背景も良く分からない。エウーゴティターンズ?何それ?一番理解に苦しんだのは主人公カミーユ・ビダンのキャラクターだ。“女みたいな名前”にコンプレックスを持ち、ちょっとバカにされたぐらいで平気で人を殴り、挙句の果てにはガンダムを盗んで自分を苛めた連中に仕返しをするというムチャクチャな少年なのだ。

また、ドラマの展開も「前作」よりさらに複雑でハードになっており、やたらと人が死にまくり人間関係もドロドロしているという酷い有様。「なんでアニメを見て、こんな陰鬱な気分にならなきゃならんのだ!?」と心底ウンザリして、結局10話ぐらいで見るのをやめてしまった。

その後、敬遠しつつも何度か見ていたが、最終回で完全に絶望。なんと、主人公が発狂して物語が終了したのである。何の救いも希望も見えないその終わり方に驚き呆れ、以来僕はきっぱりとアニメを見る事を辞めてしまった。ある意味、『機動戦士Zガンダム』が僕に引導を渡してくれたのだ。

そんな、僕にとって“イヤな思い出”しかない『機動戦士Zガンダム』の劇場版を作ると聞いて、当然最初は観に行く気にはなれなかった。しかし、たまたま見た予告編がなんだかやたらとカッコいい。アムロとシャアの出番も増えているようだ。しかも、富野監督のインタビュー記事を読むと、「カミーユの性格を変更する」と言っている。

「あの当時はあれで良かったと思っていましたが、今となってはやはりカミーユのキャラクターは間違いだったと言わざるを得ません」などと勝手な事を堂々と述べているのだ。どうやらストーリーを大幅に変更し、最後はハッピーエンドにするつもりらしい。という事は、僕の知っているあの“イヤなZガンダム”ではなくなるワケだ。だったら観に行ってみようかなあ、と心境が変化。結局、友人2人と共に劇場へ足を運ぶ事となった。その結果は…

「なんだこりゃあ!?」

まさかTV版の放送から20年も経って、再び茫然自失になろうとは夢にも思わなかった。『機動戦士Zガンダム』の最大の欠点である”カミーユの性格の悪さ”がちっとも改善されていない。相変わらず人をぶん殴って、ガンダムを盗み出し、自分を苛めた相手に仕返しして笑っているどうしようもないヤツなのだ。観る人によっては許容範囲なのかもしれないが僕はダメだ。こんな自己中心的な主人公にとても感情移入なんか出来ない。

アムロ・レイも確かに内向的でワガママな主人公だったが、少なくとも平気で人を傷つけるような事はしなかった。そして、様々な人との出会いと別れを経験して少しずつアムロは成長していく。前作の「ガンダム」は人の成長を描いた上質な“人間ドラマ”だったのだ。しかし「Zガンダム」には残念ながら、そうした“ドラマ”が見られない。

さらに、劇場版Zのストーリー展開に目をやると、もう信じられないぐらいに展開が早いのだ。元々全50話にも及ぶTVシリーズを3本の劇場版にしようというのだから展開が早いのは当たり前だ。

しかし、前作のガンダムは全43話で、劇場版一本の上映時間は2時間以上。「めぐりあい宇宙」に至っては2時間半という大長編アニメだった。それに比べて今回のZガンダムはTVの話数が増えているにもかかわらず、なぜか上映時間は1時間半と逆に大幅に短くなっているのである。

その結果、凄まじいスピードで場面が展開し、次々と新しいキャラクターが登場し、「お前誰や!?」と考える間も無くあっさりと死んでしまい、どんどん話だけが進んでいくのだ。気が付いたらいつの間にか宇宙から地球へと降りていたという有様。

おまけに、「旧ガンダム」よりストーリーが複雑なのだから「もうムチャクチャ」としか言いようが無い。一緒に観た友人二人の内、一人は全くTV版Zガンダムを見ていなかった為、「何が何だかさっぱりわからん!」状況だったそうだ。ちなみに彼は主人公が操縦しているガンダム・マークⅡを見て「おお、あれがZガンダムか」と勘違いしていたらしい。

Zガンダムは出ないんだよ!

そして、肝心の絵の方だが、こちらも「かなり酷い」と言わざるを得ない。なにしろ監督自ら「とても我慢できるようなレベルではない」と言い切っているのだから(ふざけんな!)、もはやどうしようもないだろう。新作の絵はさすがに素晴らしい作画だ。特にメカ同士の戦闘シーンは絶句するほどクオリティーが高い。

だが問題は旧作とのギャップが大き過ぎる事だ。まず「画質」が違う。元々の絵はTV用なので、劇場の大画面に耐えられるような画質ではないのだ。そんな画質の悪さを解消する為に「エイジング」という処理が施されているが、苦労した割には大した効果は上がっていない。

さらに「キャラクターそのもの」が違い過ぎる。なんせ、20年も前のアニメなので絵柄が古い。というより、はっきり言って絵がヘタなのだ。つまりこの問題を解消する為には、アニメーターが昔の絵に合わせて「ワザとヘタに描かなければならない」のである。

これはアニメーターにとってはツライ仕事だ。誰もやりたくないだろう。富野監督も悩んだらしいが、結局アニメーターに強要する事が出来ず、「現在の絵」で通す事になってしまった。

その結果、「カット毎にキャラクターの顔が全く違う」という、有り得ないようなアニメが出来上がってしまったのである。恩田尚之氏の日記によれば、富野監督から「絵が気持ち悪い」と言われたらしいが、(詳細はコチラ)それは「旧作画との違和感が気持ち悪い」という意味ではないだろうか?それほどまでに新と旧の“作画のギャップ”は凄まじいものがある。次回作では是非とも大幅な改善を望みたい。

次回作といえば、本編の最後に第二部の予告編が入っているのだが、サブタイトルは『恋人たち』。その、とてもロボットアニメとは思えぬ軟派なタイトルに、何やら男女間のドロドロした恋愛劇を連想し、いきなりテンションが下がりまくる。予告編で萎えさせてどーすんだ!?

総合評価としては、「とても人にオススメできるような映画ではない」という感じだ。少なくともTV版のZを知らなければ理解できない内容だと思う。3部作の一本なのでこれだけで評価するのは難しいが、やはりどう考えても「面白い!」とは言い難い。

ただし、シャアやアムロ、ブライト、フラウ・ボウなど旧ガンダムのメンバーが次々と登場するので、前作のファンとしては嬉しい限りだ。終わり方も、シャアとアムロが出会うシーンがラストカットになっており、まさにファースト・ガンダムをリアルタイムで体験した観客にとっては感涙モノのエンディングではないだろうか。

最後に、パンフレットについて一言言いたい。全26ページの内、プラモデルやCDなどの宣伝ページが6ページも占めているのはどういうわけだ?さらにそこから絵だけの6ページやスタッフリストなどを抜くと、実質的な情報は10ページも無いぞ。こういうものを600円で売り付けていいのか?これも激しく改善希望!

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