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北村龍平監督『ゴジラ FINALWARS』ネタバレ映画感想

ゴジラ FINAL WARS

出演:松岡昌宏菊川怜ドン・フライ水野真紀北村一輝ケイン・コスギ泉谷しげる伊武雅刀中尾彬宝田明長澤まさみ大塚ちひろ榊英雄マイケル富岡大槻義彦篠原ともえ、角田伸郎、松尾貴史佐野史郎さとう珠緒田中要次、ナレーション:山寺宏一、音楽:キース・エマーソン、タイトルデザイン:カイル・クーパー、監督:北村龍平

■あらすじ『地球環境が破壊され、巨大怪獣が次々と出現した時代、人類存続をかけて地球防衛軍が結成された。その最大の敵はゴジラである。海底軍艦轟天号の活躍によりゴジラは南極の氷の下に封じ込められた。だが戦いは終わっていなかったのだ!突如上空にUFOが現れ、X星人と名乗る乗員が出現したのである。彼らの目的は何なのか?人類の、いや地球の命運を掛けた最後の闘い(ファイナル・ウォーズ)のゴングが今鳴り響いた!』



ああ、とうとう観てしまった…。さんざん迷ったのだが「最後のゴジラ」のフレーズに負けて、ついに禁断の「ゴジラFINAL WARS(ファイナル・ウォーズ)」を映画館へ観に行ってしまったのである。

一言で言うと「とんでもない映画」だった。もはや「面白い」とか「面白くない」とかいう次元では語る事が出来ない、まさに「とんでもない」としか表現できない映画なのだ。映画開始から一分も経たないうちに、いきなりゴジラ登場!何の前置きも無く、突然凄まじい戦闘シーンに突入するのである。早ッ!

ゴジラ×メカゴジラ」の時に「ゴジラが登場するまでの時間が最も早い映画」と書いたが、FINAL WARSによりあっさりと記録は塗り替えられてしまった。そしてこの記録が更新されることは永久にないだろう。まさに最速!

しかし、「もしかして面白いかも…」というかすかな期待が打ち砕かれる速度もまた早かった(笑)。オープニング以降の展開は、アンギラスキングシーサーラドンやエビラといった、ゴジラ以外の怪獣が大暴れするという単なる怪獣映画に成り果てている。

おまけに人間のアクションシーンがやたらと長い。全体の半分以上は人間のアクションで占められてるんじゃないか?と思うぐらいの長さだ。肝心のゴジラは最初の戦闘シーン以来一秒たりとも画面に姿を現さず、物語が終盤に差し掛かる頃にはこれがゴジラ映画だという事をすっかり忘れ去っていたほどである。

最後の作品だというのに、まさかここまで主役がないがしろにされるとは予想外だった。しかし後半にはゴジラが大活躍するシーンがしっかり用意されているので、ファンもようやく一安心。

キャラクターに関しては北村一輝が演じるX星人がとにかく笑える。前半はまだまともな悪役(?)なのだが、話が進むにつれてどんどんオーバーアクトが加速して行くのだ。挙句の果てには「やっぱマグロばっかり食ってるヤツはダメだなあ」とか「ガイガ〜ン!起動ォォォ〜!!」とかの面白ゼリフをノリノリで連発する始末で笑いが止まらん。

また、長澤まさみ大塚ちひろと小美人の役で出演しているのだが、本当の双子かと思うぐらい良く似ている(出番が少ないのが残念だ)。ストーリーについてはもうどうでもいいだろう。はっきり言って語る意味すら無いと思う。

リアリティのかけらも無い、支離滅裂を絵に描いたような内容だ。この映画には「そんなバカな!」と突っ込む必要は無い。なぜなら最初から最後まで全て「そんなバカな!」というシーンのみで構成されているからだ。

しかし、だからといって決してこの映画を否定するつもりはない。本作に関しては「リアリティが無い」等はネガティブな要素ではないのだ。そもそもゴジラが一匹出てくるだけでも大変な事態なのに、いっぺんに15匹の怪獣が出てくる映画なんて、初めからリアリティを放棄していなければ作れるハズがない。

むしろどれだけ現実から逸脱できるかがポイントだろう。その点、この映画の壊れっぷりは完全に常軌を逸している。脚本には整合性や説得力など微塵も無いが、監督にしてみれば「先端にドリルがついた戦艦が空を飛んでいるような世界にリアリティなんか求めてどうすんだ!」という事だろう。

逆に言えばそこまで開き直らなければ、面白い怪獣映画は作れないとさえ考えているに違いない。確かにここ最近のゴジラ映画は、中途半端にリアリティを求めすぎた為にすっかりテンションが下がってしまったのではないか?と思うような内容ばかりだった。

「じゃあガメラはどうなんだ?」という話もあると思うが、ガメラの場合は徹底してリアルであることにこだわっている点が重要なのだ。「なぜガメラという巨大生物が存在するのか?しかもギャオスと戦うのはなぜなのか?」といった怪獣映画の存在意義に関わるような根本的な問題から脚本を立ち上げているのである。

要はリアルな映画であろうと、荒唐無稽な映画であろうと「中途半端ではなく徹底的にやる!」という姿勢が一番大事だということなのだ。そういう意味ではこの映画は、あえて荒唐無稽であることに徹底的にこだわっていると言えるだろう。

映画を成立させる為の理屈や約束事を極限まで排除し、ただひたすらにアクションと爆発の繰り返しだけでどんどん話が進んで行く様はある意味爽快であり、まさに北村イズム全開の映画である。

しかも、アクションとアクションの間を水野真紀の美脚でつなぐという従来の映画制作における方法論の常識を根底から覆す様なとんでもない演出テクニックを編み出しているのだ(笑)。最初に北村龍平ゴジラを撮ると聞いた時「まさか!?」と思ったが、出来上がってみるといつもの北村節が炸裂する完全な「北村映画」になっていた。

並の監督なら伝統あるゴジラの、しかも最終作ともなれば萎縮して自分を出し切れないまま終わってしまいそうだが、さすがは北村龍平、度胸も思考回路も尋常ではない。萎縮するどころか、むしろ今まで撮ったどの映画よりもアクセル全開なのだから恐れ入る。自分の見たいもの、やりたい事だけを限界までぶち込むという従来の龍平スタイルを貫き通しているのだ。

さすがの東宝もヤツの暴走を食い止めるすべは無かったのか、まさにやりたい放題の無法地帯と化している。ただ北村龍平の映画をこれで初めて見た人は面食らうだろう。なんせ映画よりも監督本人の方が100倍面白いと言われているような豪傑である。連日撮影が続きあまりにも短い睡眠時間を指摘された時にも
俺は寝る為に生きてるんじゃねえ!
俺が寝るのは死んだ後だ!

と言い放つなど、数々の名言を世に残している強者だ。とてつもなく「熱い」男であり、彼が作る映画も本人同様「熱い」映画ばかりなのだ(人によっては熱苦しいとも言うが)。そんな男が撮った映画はもはや「面白い」とか「面白くない」とかのレベルでは評価出来ない領域にまで突入しているのだ。

これはSFでもファンタジーでも、ましてやゴジラ映画でもない。「北村龍平」というジャンルであるとしか言いようが無い、映画の枠を超越したような作品なのである。まさに「ゴジラにとどめを刺す男」の名に相応しい、ケタ外れに狂いまくったとてつもない映画なのだ!ただし、映画を見て怒りのあまり卒倒しても一切責任は持てません(笑)。