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マイケル・ムーア監督作品『華氏911』感想

華氏911

■あらすじ『2001年9月11日、世界貿易センタービルに旅客機が激突するという史上最悪のテロが発生した!しかしそれを聞いたブッシュ大統領は虚ろな目で空を見つめるだけで何もしようとはしなかった・・・。そして彼とビン・ラディン一族との関係など、驚愕の事実が次々と暴露されてゆく。今回の戦争に果たして「正義」は存在したのか!?第57回カンヌ国際映画祭にてパルムドール及び国際批評家連盟賞をダブルで受賞!史上最長の25分にも及ぶスタンディングオベーションが巻き起こり、会場は大歓声に包まれた。華氏911、それは自由が燃える温度だ!』


劇場公開時には「素晴らしいドキュメンタリーだ!」「いや、ただのプロパガンダ映画だ!」などと異論反論オブジェクションだったようだが、大統領選挙が終わって騒ぎも一段落したようである。

マイケル・ムーア監督によるとこの映画を作った目的は「ブッシュの大統領再選を阻止するため」だったそうだが、結果は目的達成ならずであった。個人的には「たった一本の映画で世論を動かす事は出来るのか」という点において興味があったのだが…う〜む。

映画自体は「ドキュメンタリー」というよりも「娯楽作品」として見るべきだろう。ムーア監督独特のユーモアセンスで、有名人や権力者を「おちょくる」という構造自体が面白いのである。

ただし、この映画では明確に「監督の意図する大統領像」が描かれている。それは「正義か悪か」という単純な二元論であり、完全に大統領が「悪」に見えるように演出しているのだ。

これが、大論争が巻き起こった最大の原因だと思う。ムーア擁護派は「よくぞ真実を暴露してくれた!」と絶賛し、アンチムーア派は「あんなものは捏造だ!」と激怒したのだ。完全に「エンターテイメント」として見れば何の問題も無いのだが、「ノンフィクション」であるかのような作り方をしているからややこしくなるのである。

そもそもドキュメンタリーの定義が「事実をありのままに伝える」事だとするならば、この世の中には「ドキュメンタリー」は存在しないと個人的には考えている。なぜならテレビや映画など誰かに見せる事を前提としたメディアにおいて、製作者の意図が入る事は当たり前だからである。

現存する全ての情報を見せる事が物理的に不可能である以上、「何を見せるのか」あるいは「何を見せないのか」を考えた時、編集やカットによる「情報操作」(演出)は必要不可欠なのだ。

それは例え「NHKのニュース映像」であっても同様であり、究極的に言えば「カメラのフレームに収まった瞬間」にカメラマンの意思が干渉し、フィルムに写し出されたものは「作為的な事実」に変換されているのである。

この映画に関しては、膨大な量の「事実」を編集やカットによって切り貼りして巨大な「フィクション」を作り上げている、と言えるだろう。ただし完全な「フィクション」ではなく、「素材」は「事実」なので一見「ドキュメンタリー」のように見えるというわけだ。

言い換えれば、監督の意向をパッチワークした「擬似ドキュメンタリー」なのである。ムーア自身が「映画監督が自分の作品に、自分の思いを込めるのは当たり前だ!」と言い放っている事からも、完全に確信犯的映画と見て間違いない。まあ基本構造は「進め!電波少年」と同等なので、あまり目くじらを立てる必要も無いだろう。

面白いかどうかに関しては、前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」よりも多少笑えるシーンが減ったかな、と言う感じだ。題材が題材なだけに映画全体がシリアスなトーンで包まれ、ウエットになっている事が原因だろう。ムーア監督の突撃取材が減っている点も残念だ。

ちなみに一つ気になったのが、大統領が航空母艦で演説するシーンで流れる軽快なBGMである。「なんかどこかで聞いたことあるなあ?」と思っていたら、昔日本でも放送されていたアメリカのテレビドラマ「アメリカン・ヒーロー」の主題歌じゃないか!?(って誰も知らないだろうなあ)。なんでよりによってこの音楽を使ったんだろ?これもムーアの「いやがらせ」の一つなんだろうか?(笑)

主演:ジョージ・W・ブッシュオサマ・ビン・ラディンマイケル・ムーア
監督:マイケル・ムーア