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『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公は…(ネタバレ感想)

THE FIRST SLAM DUNK

THE FIRST SLAM DUNK


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて、先日は『THE FIRST SLAM DUNKの「試合シーン」について、過去のアニメ版との比較を述べつつ、原作者の井上雄彦先生が何を目指して本作に取り組んだのか等を色々と書いてみました(詳しくはこちらの記事をご覧ください↓)。

type-r.hatenablog.com

そして本日は肝心の”内容”について書いてみようと思うんですが、世間の反応を見ると試合シーンはほぼ絶賛一色なのに対し、内容に関しては割と賛否両論あるみたいなんですよね。一体なぜか?

 

※以下、ネタバレしてます

 

まずオープニングが非常に素晴らしく、一言で言えば「最高!」でした。

真っ白な紙に鉛筆で湘北高校のメンバーが描かれていき、描き終わった途端にそのキャラたちが動き出すという、まさにスラムダンク』の漫画がそのまま動き出したような臨場感!

さらに同じ鉛筆画で階段から降りて来るキャラが描かれ、誰かと思ったら何と山王工業のメンバー!「うわあああ!やっぱり山王戦をやるんだ!」と早くも興奮していると、カッコいい音楽と共にキャラがコートへ走り出し、そこから試合が始まるのです。展開が早い!いきなり山王戦か!でも嬉しい!

…などとテンション爆上がりでワクワク状態なんですが、その前に冒頭で沖縄の風景が映し出されるんですよ。え、沖縄?『スラムダンク』に沖縄のシーンってあったっけ?んん?宮城リョータの子供時代か?それにしても、やけにリョータの過去のエピソードが長いような……あっ!もしかして『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公ってリョータなの!?

 

とまぁ、こんな感じで初見は色んな意味で非常にビックリしました。恐らく多くのファンが同じように驚いたんじゃないでしょうか?なにしろ、公式からは詳しい内容がほぼ何も発表されないまま映画が公開されましたからね。まさに衝撃のサプライズ!

原作漫画の『スラムダンク』の主人公は桜木花道ですから、当然ファンは桜木の活躍を期待して観に来ているはずです。にもかかわらず、宮城リョータが主人公になっていたら…(これは確かに公開前には何も発表できないよなぁw)。

結果的に、何も知らないまま観に行った僕はまんまとビックリさせられたんですけど、問題はこれをどう評価すべきなのか?という点でしょう。

個人的にはリョータが主人公でも全然いいんですよ。「リョータの目から見たスラムダンク」という解釈であれば、視点が違うだけでストーリーの流れはほぼ同じですから何の問題もありません。ただ、気になった点が2つほどありまして…。

 

まず1つ目は、本作を”リョータの物語”として観た場合、「他のキャラクターが(あまり過去のエピソードや背景等が掘り下げられていないにもかかわらず)目立ち過ぎているのでは?」という点です。

例えば、桜木花道がコート外の机に突っ込んで背中を痛め、安西先生が交代させようとした時、「オヤジの栄光時代はいつだよ?全日本の時か?オレは……オレは今なんだよ!」と叫んで再びコートに立つ、まさに『スラムダンク』屈指の名場面。

井上雄彦『スラムダンク』より

井上雄彦スラムダンク』より

原作を知っていれば、桜木のこれまでの努力や懸命にプレーする姿が脳裏に浮かび、号泣間違いなしの感動シーンとなるでしょう。

しかしこの映画ではそこまでキャラのバックボーンが掘り下げられておらず、一応チラッと過去を見せてはいるものの、やはり「重要なエピソードとして語るには情報量が不足している」と言わざるを得ません。

また、ゲーム終了間際ギリギリで流川が桜木にパスを出し、桜木が自分の手で最後にシュートを決めるクライマックスシーンも、完全に「桜木花道が主人公」という前提で描かれているため、「宮城リョータが主人公」という視点で観た場合にどうしても違和感が出てしまうのです(直後の流川とのタッチも同様で、ここに至るまでの2人の関係性を示す情報が全然足りない)。

まぁ要するに「桜木や流川や赤木や三井のエピソードをもっと見せて欲しかった」ってことなんですけど…

一緒に観に行った友人は原作もTVアニメ版も観てないから「なんで三井はあんなに激しく疲労してるんだろう?」と不思議がってたんですよね。だから三井の背景を詳しく知っていれば、もっと感情移入できたんじゃないかなぁと思いました(個人的に「静かにしろい、この音が…」「オレを甦らせる。何度でもよ」の場面が大好きなのでw)。

井上雄彦『スラムダンク』より

井上雄彦スラムダンク』より

例えば、山王戦をやっている途中で各キャラクターがそれぞれ自分の過去を回想し、一定時間バスケのシーンを見せたら別のキャラのエピソードを描く…という具合に誰か一人を主人公にするんじゃなくて”群像劇”として皆のドラマを紡いでいけば、より多くの人物に感情移入できて試合シーンもさらに盛り上がったのでは?と思ったり。

もちろん時間的な問題もあるでしょうし、それが難しいのは理解できます(演出を担当した宮原直樹さんによると「当初は原作にあるエピソードをほぼ全て盛り込んだ編集だったが、そこから本筋のテーマからブレる部分をそぎ落としていき、最終的にこうなった」とのこと)。

しかしファンとしては、宮城リョータも含めて「より多くのキャラの心情や背景を丁寧に描いて欲しかった」という気持ちは捨てがたいんですよねぇ(そもそも『スラムダンク』は魅力的なキャラが多すぎるのよ…)。

 

そしてもう一つ気になったのは、「作品全体のトーンが原作よりもシリアスになっている」という点ですね。

原作の『スラムダンク』はもっと軽い雰囲気で笑えるシーンも多く、例えば試合中に赤木が倒れた時になぜか魚住が大根を桂むきしながら現れたりとか、意識朦朧の桜木がいきなり晴子さんに「大好きです。今度は嘘じゃないっす」と告白したり(実際は「バスケットが好き」という意味)など、意表を突いたシーンが多々ありました。

井上雄彦『スラムダンク』より

井上雄彦スラムダンク』より

残念ながら本作ではこれらのシーンはカットされており、まぁ急に魚住が出て来ても「お前誰やねん?」になってしまうのでカットされても仕方ないんですけど、『スラムダンク』の世界観ってもうちょっと(いい意味で)ふざけてるというか明るいイメージなんですよねぇ。

しかし、『THE FIRST SLAM DUNK』では宮城リョータの背景が深掘りされた結果、「兄と父を幼少期に亡くしている」という非常に重たい過去がクローズアップされ、それが作品全体のトーンを原作よりもシリアスにしているのです。

兄の遺品を整理しようとする母に幼いリョータが抵抗を示すシーンや、母宛ての手紙に「生きているのが俺ですみません」と書くシーンなど、あまりにもヘビーな描写の連続に「え?本当に『スラムダンク』なの…?」と若干戸惑ってしまいました。

これって、どちらかというと車椅子バスケを描いた漫画『リアル』の雰囲気に近いんですよね。僕は『リアル』も大好きで全巻読んでるんですが、要は「『リアル』のトーンで『スラムダンク』を描いたらこうなる」みたいな感覚なのかなぁと。

もちろん、それはそれで悪くはないんですけど、「原作のあの雰囲気が好きだったのに…」と感じたファンも結構いるんじゃないでしょうか(この辺が賛否を分けている要因の一つなのかもしれません)。

 

とはいうものの、最終的に僕はとても満足しました。その理由は試合シーンの迫力と躍動感が文句のつけようがないほど素晴らしく、さらに宮城リョータの物語としても「バスケットボールを通じて家族の絆を再生するドラマ」がしっかりと描かれていたからです。

特に、深津と沢北の長身選手に行く手を阻まれたリョータ「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!」と心で叫び、己のハンデを武器にして果敢にディフェンスを突破するシーンは、亡き兄が果たせなかった夢を胸に秘めつつ、悲しみを乗り越えて前へ進もうとする”覚悟と力強さ”に満ち溢れ、大いに感動させられました。

井上雄彦『スラムダンク』より

井上雄彦スラムダンク』より

映画版ではリョータの背負っているものが明確になった分だけ”シーンの意味合い”も微妙に変化してるんですが、原作者が自ら脚本を書いているだけあって違和感は無く、「さすが井上雄彦先生だ!」と感激しましたよ。

しかも、絶妙のタイミングで流れる10-FEET『第ゼロ感』がメチャクチャにカッコよく、疾走感溢れまくりの楽曲と劇中のドラマが見事なシンクロ効果で場面を盛り上げ、何度でも観たくなる名シーンに仕上がっています。うおおお!

なお、この『第ゼロ感』は完成までなんと2年もかかったらしく、10-FEETは楽曲制作のエピソードを以下のように語っていました。

普段の楽曲作りは2ヵ月ぐらいなんですが、この曲は2年かかりました。制作期間が2年っていうのは自分たちの作品では絶対にないことです。

井上先生からの要望として、湘北高校にとってはピンチだけれど、相手チームもカッコいいチームなので、どちらも引き立つようにと言われました。

映画の情報は公開まで出さないってことを早い段階から聞いていたので、歌詞の内容は具体的に言い過ぎず、かつ作品にも寄り添っている言葉選びというのを一番大事にしました。

例えばバスケット用語を記号のように使ったり、「クーアザドンイハビ」っていう歌詞が出て来るんですけど、これは元の言葉(ビハインド・ザ・アーク=3Pラインよりも後ろからシュートを打つこと)を逆から読んでるんです。

とにかく、歌詞も曲もじっくり丁寧に作り込んだので凄く時間がかかりましたね。

井上先生とは完成披露試写会でお会いしたんですけど、目が合った瞬間にバーッと僕らの方に近寄って来て「今回は素晴らしい楽曲をありがとうございます!」と言ってくださって…

まさか井上先生からそんな言葉をかけてもらえるとは夢にも思っていなかったので、メチャクチャ嬉しかったです。

(「ZIP!」2022年12月20日放送回より)

ちなみに『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公がリョータになったことに関し、井上先生は「連載時に描き切れなかった心残りがあったので、宮城リョータのことをもっと描きたかった」と語っており、リョータの設定も最初から”沖縄出身”と決めていたそうです。

少し独特な沖縄バスケにもともと注目していたんです。アメリカの影響を受けているのもありますが、小柄な選手が運動量豊富に素早く動き回る。

僕が高校生になる数年前に”辺土名旋風”というのがあった。平均身長169cmの沖縄の辺土名高校がインターハイで3位になったんです。とても面白い存在で。

だから「沖縄がルーツで背の低いガード」というキャラクターイメージは早い段階からありました。だから苗字も沖縄に多い”宮城”にしたんです。

(「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」井上雄彦ロングインタビューより)

井上先生は『スラムダンク』の連載終了後に『ピアス』という「宮城リョータを主人公にした(と思われる)短編の読み切り漫画」を執筆していますが(劇中での呼び名は”りょうた”)、それぐらいリョータに強い思い入れがあったんですねぇ。

というわけで、結論は「『THE FIRST SLAM DUNK』最高!」でした。いくつか気になる点はあったものの、オープニングの高揚感と試合シーンのカッコよさがそれらを吹き飛ばすほど素晴らしかったので実質的に問題なし。井上先生、ありがとうございました!

 

THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE

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スラムダンク

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『THE FIRST SLAM DUNK』の試合シーンはなぜ凄いのか?

THE FIRST SLAM DUNK

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どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、大ヒット公開中の劇場アニメ『THE FIRST SLAM DUNKを観てきたんですが、結論から言うと非常に素晴らしい映画でした!

詳しい内容についてはネタバレになるため後日じっくり書くとして、やはりファンの間で話題になっている「試合シーン」が凄かったですねぇ。

原作の漫画版『スラムダンク』で描かれたキャラクターたちが漫画そのままの姿で、しかも本物のバスケットボールの試合を見ているかのようなリアリティで動いている!

少年ジャンプの連載中からリアルタイムで読んでいた僕としては、もうこの時点で「うおおおお!」と大興奮でしたよ。

 

ただし、「あれ?『スラムダンク』って過去にもアニメ化されてなかったっけ?」と思った人もいるでしょう。

確かにスラムダンク』のTVアニメは1993年から96年まで放送され、多くのファンから人気を集めていました(主題歌もヒットし、26年経った現在でも高く評価されている)。

ファンの中ではいまだにアニメ版のイメージが強く残っているらしく、『THE FIRST SLAM DUNK』の声優が発表された際も「なぜTVアニメ版の声優じゃないんだ?」「キャストを変えないで欲しい」などと騒ぎになったほどです。

TVアニメ版『スラムダンク』

TVアニメ版『スラムダンク

ところが原作者の井上雄彦さんは、どうやらこのアニメ版をあまり気に入ってなかったみたいなんですよね…。

その理由は、「漫画は自分の描いた絵がそのまま誌面に載るけれど、アニメは自分の絵とは違う」「試合のシーンがリアルじゃない」というものでした。

ご存知の通り、アニメは複数のアニメーターたちが集まって一つの作品を作るため、「原作の絵柄を忠実に再現する」ことが難しいのです。

一応、「作画監督」と呼ばれる人が各アニメーターの絵を随時チェックし、出来るだけキャラが似るように修正しているものの、やはり「完璧に同じ」というわけにはいきません(井上先生的には「どうしても違和感を感じてしまう」らしい)。

クレヨンしんちゃん』ぐらいシンプルな絵柄ならそっくりに描くことも可能でしょうけど、『スラムダンク』は等身の高い写実的なキャラなのでなおさら似せるのが難しいわけで…。

ましてや、そういうキャラでリアルな試合シーンを描こうとしたら(不可能とまでは言いませんが)相当ハードルが高くなってしまうのですよ。

「じゃあ昔のTVアニメ版はどうやって試合シーンを描いていたんだ?」というと…↓

TVアニメ版『スラムダンク』

TVアニメ版『スラムダンク

こんな感じで、一見すると激しく動いているように見えますが、実は動いているのは背景の方で、1枚の絵を拡大したり縮小したり左右に引っ張ったりすることで「激しい試合の様子」を表現していたのです(つまり、キャラはほとんど動いていなかった)。

これは『スラムダンク』だけでなく、当時のスポーツアニメではごく普通に使われていた手法で、それほど珍しい表現ではありません。

他にも「顔のアップを何度も入れる」とか「繰り返しパンする(カメラを振る)」とか「止め絵でハーモニー処理」など、かつて出崎統監督が『エースをねらえ!』や『あしたのジョー』などで多用していた”数々の映像テクニック”を、『スラムダンク』でも駆使していたのですよ。

もちろん、こういうシーンばかりじゃなくてドリブルや「ボールを取って味方にパスする」などの動作もちゃんと描かれていますが、基本的には少ない作画枚数で動きを表現せざるを得なかったのです(ドリブルも”リピート作画”で枚数を節約していた)。

なぜなら、当時のTVアニメはスケジュールや予算などの制約があり(今でもありますが)、作画的に難易度が高そうなシーンは極力避けられていたんですね(そのため「なるべく作画枚数を使わずにカッコいいアクションを見せるテクニック」が発達していった)。

しかし、井上雄彦先生はTVアニメ版『スラムダンク』のこういう表現や不自然な描写に納得できなかったらしく、漫画『リアル』の中ではアニメの『スラムダンク』に対して「へっ、そんな広いコートがあるかよ」「どこまで行くんだよ」などと突っ込むシーンが描かれてるんですよ。

漫画『リアル』より

漫画『リアル』より

このシーンのどこが変なのか?というと、例えば選手がボールをドリブルしながら走り出すと、それを見ている観客たちが「よし、いいぞ!」「頑張れー!」と声援を送ったり、敵チームの監督が「これ以上、点差を広げられるのはマズい。なぜなら…」などと状況を解説し始め、その間選手はず~っと走り続けてるんですよね(確かにコートが広すぎるw)。

まぁ、『巨人の星』でも「ピッチャーが投げたボールがキャッチャーに届くまで何分かかってるんだよ!」みたいなことを言われていたので、これはアニメ版『スラムダンク』に対する不満というより昔のスポーツアニメ全般に対するツッコミなのかもしれません。

ただ、「こういうアニメはこんな風に思われてるんだろうな…」という認識が作者の中にもあったことは恐らく間違いないでしょう。

 

では一体なぜこんなことになってしまうのか?それは、漫画とアニメでは「時間の感覚」が異なるからです。

例えば漫画の場合は(どんな漫画でもいいんですが)、主人公が「くそ!あと5秒しかない!」と叫んだ後に「一体どうすればいいんだ!もうこれまでなのか…?いや諦めるわけにはいかない!何か方法があるはずだ…!」などと心の中で延々とセリフを喋り続けたとしても、読者は「まぁ一瞬でこういうことを考えたんだろうな」ぐらいの感じでしょう。

しかし、これをそのままアニメにした場合、実際の時間をリアルに認識できてしまうが故に「オイ!とっくに5秒は過ぎてるだろ!」と思わざるを得ないのです(漫画は読むスピード自体が読者に委ねられているため、物語の体感時間も人によって異なるが、アニメは時間の経過が”動く映像”を通してダイレクトに伝わってしまう)。

TVアニメ版の『スラムダンク』にもこのようなシーンが多々見受けられ、試合時間は40分のはずなのに、どう考えても40分以上戦っているのですよ(”間延び感”がすごい)。

TVアニメ版『スラムダンク』

TVアニメ版『スラムダンク

そこで井上雄彦先生は、「『THE FIRST SLAM DUNK』ではこういう不自然な描写をなるべく排除し、出来るだけリアルな試合シーンを描きたい」と考えたのです。そのために採用された技術が「3DCG」と「モーションキャプチャー」でした。

3DCGでキャラクターを作れば、原作の絵柄のまま自由自在に動かすことが出来るし、モーションキャプチャーを使えば本物のバスケ同様のプレイも再現可能で、まさに「理想の試合シーンを作り出せるんじゃないか?」と。

 

ところが、実際にやってみると上手くいきませんでした。

プロのストリートバスケット・プレイヤー10人に協力を依頼し、ポジショニングからボールを持つ構え、力のベクトルや重心のかけ方に至るまで徹底的にこだわりながらモーションキャプチャーでリアルな動きのデータを取ったのに(約1ヶ月かかったらしい)、それを3DCGに落とし込んでも迫力が感じられなかったそうです。

そのままだと迫力が足りない。現実の動きをフィクションの絵に落とし込んで、かつリアルに見せる難しさ。誇張というか大袈裟にする部分も必要で、かといってやり過ぎると今度はあざとくなる。ちょうどいいバランスを狙う調整が始まりました。

(「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」井上雄彦ロングインタビューより)

つまりモーションキャプチャーを使って本物の動きを取り入れても、それだけでは作者が思い描いている”迫力ある試合シーン”は再現できなかったんですね。そこで井上先生はどうしたか?なんと、自分でCGを修正し始めたのですよ!

と言っても井上先生は3Dソフトが使えません。なので、まず出来上がったCG画像をキャプチャし、その上から(まるで赤ペン添削のように)直接自分で”正しい絵”を描き加え、「こういう感じでお願いします」とCG担当者に次々と指示を出していったそうです。

その指示内容も、ほんのわずかな線のズレでキャラのイメージや表情に違いが生じるため「この桜木のカット、眉毛の位置を1ミリ上げてください」とか、「流川の下まつ毛をもう1本増やしてください」など、「そんなところまで!?」とスタッフも驚くぐらい繊細な修正だったらしい。

さらにキャラの動きにもこだわった井上先生は、試合シーンの映像を0コンマ1秒単位のレベルでチェックしつつ、「ジャンプして着地した時の重心の位置が少しおかしいので直してください」などと異常に細かい調整を何度も何度も繰り返しました。

当然ながら膨大な作業が発生し、井上先生曰く「スタッフに指示するために何百枚も絵を描き続けたが、描いても描いても終わりが見えない。今回の映画は今までの挑戦の幅を完全に超えていて、量的にも期間的にも一番キツかった」とのこと。

 

こうして完成した『THE FIRST SLAM DUNK』は、「自分で描いた絵をそのままリアルな試合シーンで動かしたい」という井上雄彦先生の願いを見事に叶え、素晴らしい映画に仕上がったのです(試合展開も驚くほどスピーディで、全く間延びした感じがありません)。

最初に映画化の依頼があったのが2009年とのことなので足掛け13年(実制作期間は約4年)もかかったわけですが、「自分自身が納得し、ファンの皆さんも喜んでくれる作品を作りたい」「そのためには決して妥協できない」という井上先生の強い信念とこだわりがあったからこそ、数多くの困難を乗り越えて実現に至ったのでしょう。本当にありがとうございました!

THE FIRST SLAM DUNK

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ちなみに「今回初めてアニメの監督を務めて、プラスになったことは何ですか?」と訊かれた井上先生は、なんと「前よりも絵が上手くなった」と答えたそうです。

どうやら、スタッフに自分の意図を伝えるためには説得力のある絵を描かなければならないと考え、精度の高い絵を何百枚も描き続けていたら「これまで描けなかった角度の絵も描けるようになっていた」とのこと。

もともと井上先生は絵が抜群に上手いのに、その画力がさらにアップしたとは……恐るべし(笑)。

 

THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE

映画制作の貴重な資料や井上雄彦先生のロングインタビューなどを収録したファン必読の公式本!
スラムダンク

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アニメ『君の名は。』考察 / なぜ新海誠監督はパンチラシーンを入れたのか?

新海誠監督『君の名は。』

新海誠監督『君の名は。


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、金曜ロードショーで劇場アニメ君の名は。が放送されました。ご存知、新海誠監督の大ヒット作品で、公開時は250億円という凄まじい成績を記録し、日本歴代興行収入の第5位にランクイン!

…なんですけど、公開当時から「ブルンブルン揺れるオッパイがいやらしい」とか「口噛み酒が気持ち悪い」など批判的な意見も多かったんですよね。

本作は「高校生の男女の体が入れ替わる」という物語であるが故に「互いの身体を見て驚く描写」などがどうしても出て来るわけですが、その辺の描写に批判が集まってしまった模様。

中でもヒロイン:三葉のパンツが見えるシーンに関しては特に気になった人が多かったようで、「どうしてパンチラシーンを入れたんですか?」というダイレクトな質問が公式ホームページに寄せられるほどでした(笑)。

新海誠監督『君の名は。』

新海誠監督『君の名は。

ところがなんと!新海誠監督自身がその質問に対して正々堂々と回答してるんですよ。聞く方も聞く方ですが、まさかこの手の質問に真面目に答える監督がいるとは思いませんでした(富野由悠季監督だったら「くだらんことを聞くな!」ってブチ切れるんじゃないかなぁw)。以下、新海監督のコメントです↓

意図的に入れたというよりは、意図的に隠すようなことをしなかったのです。アニメーションのキャラクターは「描かれたもの」なので、自然に見えるべきものが見えないと「隠そうとしている描き手の意思」が見えてしまうからです。

(『君の名は。』劇場パンフレットより)

つまり、新海監督としては「本来なら見えているはずのものを描かないのは、それを隠そうとする描き手の意思が働いているからで、そういう不自然な描写の方がむしろイヤラシイのではないか」と考えているのでしょう。

実はこれって宮崎駿監督の考え方と似てるんですよね。

昔、宮崎監督が『未来少年コナン』を作っている時、「ラナが木に登るとすぐ下からコナンが上を見ながら登っていく」というシーンの絵コンテを描いたら、作画監督大塚康生さんが「宮さん、これじゃラナのパンツが見えちゃうよ」と指摘しました。

すると宮崎さんは「いやらしいな、大塚さんは!エッチだなぁ!」と批判したそうです。

どうやら宮崎さんは「スカートを履いて木に登ればパンツが見えるのは当たり前で、もしコナンがラナのパンツを見てもいやらしい気持ちになったりしない」「いやらしいと思う方がいやらしいんだ」と考えているようです(それを聞いて大塚さんは「こちらがかなり”エッチな中年”なんだと思えてきた」と恥ずかしくなった模様)。

確かに、『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』などでもヒロインのパンチラシーンが頻繁に出てきますが、どれも無邪気にアッケラカンと描かれており、いやらしさみたいなものは特に感じられません。

これは宮崎監督が「キャラクターの日常的な動作で自然に下着等が見えてしまう場合は、そのまま見せるのが一番いい」「下手に隠そうとするとかえっていやらしくなってしまう」と考えているからではないでしょうか。

もともと宮崎監督は「女の子のパンチラ」に関して独自のこだわりを持っていたらしく、耳をすませばの制作中もヒロインのパンチラをめぐって監督の近藤喜文さんと意見が対立していたのですよ(以下、鈴木敏夫プロデューサーの証言より)

落ち込んだ雫(ヒロイン)が地球屋を訪ねていくシーンで、お店が閉まっているのを見た雫は、壁にもたれながらへたり込んで猫に話しかけます。この場面、周りに人は誰もいません。それなのに、近藤喜文の雫はパンツが見えないよう、スカートを手で押さえて座り込むんです。

それに対して、宮崎駿の雫は人目を気にせず座るからスカートがフワッとなって、自然にパンツが見えてしまう。つまり、近ちゃんが描いた雫は、たえず人目を気にして行動する品のいい子になってるんです。しかも、その描き方によってシーンとしてはむしろいやらしくなっているんです。近ちゃんは無意識にやったんでしょうけど、対照的ですよね。

このシーンを見た宮さんは「違う!」と怒っていました。たしかに宮さんの絵コンテ通りにやっていれば、雫はもっと明朗快活な女の子になったでしょう。だけど、近ちゃんが演出した雫はどこか上品で現代的な子になった。そして、それがこの作品を魅力的なものにしているのも間違いないんです。

(「ジブリの教科書9 耳をすませば」より)

近藤喜文監督『耳をすませば』

近藤喜文監督『耳をすませば

これは宮崎さんと近藤さんの「キャラクターに対する解釈の違い」を表した非常に興味深いエピソードだと思います。

近藤喜文さんの方は、ヒロインの雫を「パンツが見えてしまうことに恥じらいを感じる繊細な年頃の女の子」と解釈し、上品で現代的なキャラクターとして描きました(その結果、鈴木さんによると「むしろいやらしくなってしまった」という)。

一方、宮崎駿さんは「明朗快活でパンツが見えてもあまり気にしないような女の子」と解釈し、「そもそも周りに誰もいないのだからスカートがめくれてパンツが見えても気にする必要がないし、ごく自然な描写だ」と考えたのでしょう(もちろん「どちらが正しいか?」という問題ではなく、演出家の判断や状況によって異なる)。

このように、二人の映画監督が少女のパンツについて真剣に検討している様子を想像すると何だか可笑しい感じもしますが(笑)、その見せ方次第で主人公のキャラクター性が変わってしまうわけですから「たかがパンチラ」と侮れません。

そして同じく新海誠監督も、「『君の名は。』の主人公は互いの体が入れ替わり、見た目は少女だが中身は男の子になっているので、パンツが見えることを気にしていない(=それが自然な姿)」ということを表現するために、敢えてパンチラシーンを入れたのでは…と考えられるわけです(”単なるサービスカット”という可能性も捨て切れませんがw)。

なお、細田守監督の場合は逆に「パンツを見せないこと」に異常なこだわりを持っていて、ミニスカートを履いている『時をかける少女』の主人公がどんなに激しく動いて転げ回っても、絶対にパンツが見えないのですよ(まさに鉄壁スカート!)。

細田守監督『時をかける少女』

細田守監督『時をかける少女

新海監督は「細田監督の『時をかける少女』は観たことあります」とインタビュー等で語っているので、もしかしたらこの”鉄壁スカート”を見て「何だこれは?」「俺ならこうする!」みたいな気持ちでパンチラシーンを入れたのかも(笑)。

まぁ確かに、あまりにも見えなさ過ぎて逆に不自然な描写になってる気もしますが、これはこれで宮崎監督や新海監督とはまた違う方向の執着心を感じさせますねぇ(「細田監督は少女のパンチラに興味がない(他のものに興味がある)だけなのでは」という説もありw)。

ちなみに、昔スタジオジブリの若手脚本家が自分で書いたシナリオを宮崎監督に見せたところ、「面白くない」「もっと女の子のパンチラシーンとか入れた方がいいんじゃないか?」とアドバイスされたらしい。ビックリして「パンチラって必要ですか?」と訊ねたら「必要なのは健康的なエロだ」と言われ、「さすが宮崎駿だ」「創作の秘密を垣間見た気がする」と感激したそうです(笑)。

 

君の名は。

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