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実はあのセリフはアドリブだった?アニメのアフレコ現場を見た感想

新世紀エヴァンゲリオン

新世紀エヴァンゲリオン


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、声優の榊原良子さんが「1993年に公開された劇場アニメ『機動警察パトレイバー2』に関していまだに様々な思いを抱えている」という記事を書いたところ、多くの方に読んでいただいたようで誠にありがとうございました。

内容をもの凄く大雑把に要約すると「押井守監督がアフレコ現場で”こういう感じでセリフを喋って欲しい”と指示したら、榊原さんが”この状況でそういう言い方はできない”と難色を示した」みたいな話です(詳しくはこちらの記事をご覧ください↓)。

type-r.hatenablog.com

で、この記事に対していくつか反応をいただいたんですが、その中に「アニメのアフレコって声優さんの意見は聞いてもらえないのかな?」とか、そういう反応があったんですよね。

この『パト2』の時、榊原さんは「感情を込めてセリフを言うにはあと1秒ほどの”間”が欲しい」と押井監督に要望したんですけど、現場で色々検討した結果、その意見は受け入れてもらえませんでした。

なので「たったの1秒でも変更してもらえないの?」「実写と違ってアニメは自由度が低いんだな~」などと思った人がいたようです。たしかに、実写の場合は撮影現場で役者さんが何か意見を言って、監督がそれを了承すればセリフや動きを変えることも可能です。

一方、アニメの場合は声優さんがアニメの絵に合わせて演技をするわけですから(プレスコは別として)、自分のタイミングで何でも自由に変えることはできません。そこが実写との大きな違いでしょう。ただし…

「じゃあ声優さんの意見は全く聞き入れてもらえないのか?」というと、必ずしもそうではないのです。状況によっては声優さんの意見に同意し、セリフを変えてアフレコする場合もあり得るのですよ。というわけで、ここからちょっと僕の体験談というか”昔話”をしたいと思います。

アフレコスタジオ

アフレコスタジオ

今から数十年前、当時、学校で同じクラスだったA君から「アニメのアフレコを見学しに行こう」と誘われました。今はアフレコ見学なんて簡単には出来ないのかもしれませんが、その頃はアフレコスタジオの外に人気声優を出待ちしているファンが大勢いたり、割と自由な時代だったのです。

とはいえ、もちろん僕らは勝手に押しかけたわけではなく、事前にアポイントを取った上で訪問したんですけどね(当時のA君は学校でも有名なアニメオタクで、どういう経緯で見学の話に至ったのか忘れましたが、何らかのコネクションを持っていたのでしょう)。

訪れたのは有名な新宿の某アフレコスタジオです(現在は閉鎖され、別の場所に移転しているらしい)。そこで僕たちは4~5人も入ったらいっぱいになるほどの小さな部屋に通されました。

僕たちが座る席の目の前には大きなガラス窓があって、窓の向こうの録音ブースが丸見えの状態です(当然、防音になっているはずですが、スピーカーが繋がっていたのかこちらの部屋にも収録の音声が全部聞こえるようになっていました)。

でも、これってよく考えてみると不思議な部屋ですよねえ(もともと見学者用の部屋だったのだろうか?)。ちなみに、音響監督やスタッフがいる調整室は別の場所にあったようです(見てないので分かりませんが)。

で、しばらくその部屋で待っていると、やがて声優さんたちが録音ブースに入って来ました。その時に収録していたのは超有名な人気TVアニメのアフレコで、古谷徹さんや鈴置洋孝さんや潘恵子さんなど、レジェンド級の声優さんが次々と登場!

中でも古谷さんはもの凄く陽気な方で、手に持っていたタコの足みたいな形をしたオモチャを窓ガラスにペタペタ貼り付けながら「こんにちは~!古谷で~す!」と僕たちに挨拶してくれました(あのオモチャも今考えると謎だなあw)。

そうこうしているうちに収録がスタート。まず最初に、映像を見ながら各自が自分のセリフを確認します(今はモニターですが、当時はフィルムなのでスクリーンに映写していた)。

リハーサルが終わると、いよいよ本番のアフレコが始まるんですが、ここで鈴置さんが「ちょっといいですか?」と音響監督に声をかけました。「このセリフ、少し言いにくいんで変えたいんだけど…」とのこと。

残念ながら、具体的にどんなセリフだったのか忘れてしまったんですが(なんせ数十年前のことなのでw)、たとえば「行こう!」を「行くぜ!」に変えるとか、セリフ自体の意味を変えないで言葉の語尾だけちょっと変えたいという、その程度の変更だったと思います。

そして鈴置さんからこの要望を聞いた音響監督は、調整室にいた(であろう)演出担当者と相談し、そのキャラがこういう言い方をしても違和感がないかどうか等を検討して、問題がなければ「じゃあそれでいきましょう」となるわけです。

この収録中に声優さんと音響監督とのやり取りが何度かあって、その都度「変更してもOK」とか「そこは台本通りに」などの判断が下されていました。僕はこの様子を見て「アニメのアフレコも意外と自由なんだなあ」と思ったんですよ。

基本的にアフレコを収録する段階では作画がほぼ仕上がっていて(仕上がってない場合もありますが…)、声優さんの意にそぐわないシーンがあったとしても大きな変更はほとんどできません。

しかし、台本に書いてある内容を大幅に変えず、さらに口パクの尺にうまく収まる範囲であれば、現場で臨機応変に対応することも可能なのです。もちろん全ての現場に当てはまるわけではなく、演出担当者によっては変更を認めないケースもあるでしょう。

ただ、押井守監督がTV版の『うる星やつら』を担当していた時は、メガネ役の千葉繁さんが「隙あらばアドリブをぶち込んでやろう」という考えの持ち主で、押井さんも千葉さんのそういう暴走演技を楽しんでいたらしく、台本に書いてないセリフを膨大に喋る回が結構あったとか。

また、有名な『ドラゴンボール』の「オッス、オラ悟空!」というセリフも元々は野沢雅子さんが収録中にふざけて喋った言葉だし、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ「ニンニクラーメン、チャーシュー抜き」も、台本では「のりラーメン」だったセリフを林原めぐみさんがアドリブで変更した…などのエピソードもよく知られています。

新世紀エヴァンゲリオン

新世紀エヴァンゲリオン

さらに『ちびまる子ちゃん』の「後半へ続く」というナレーションも台本には書かれておらず、「CMに入る前のちょっとした”間”に何か一言入れたいな…」と考えたキートン山田さんのアドリブだったのですよ。

しかもアニメ版『ちびまる子ちゃん』は、原作にないセリフを加えたり原作のセリフを勝手に変更することが基本的に認められていないにもかかわらず、作者のさくらももこさんがこのセリフを気に入ったため例外的に許可され、今ではすっかり定番になってしまったのです(すごいですねぇ!)。

というわけで、「アニメのアフレコは台本通りに喋らなきゃいけない」「変更は一切できない」と思ってる人もいるようですが、「実は意外と自由度が高くてアドリブも多い」というお話でした(^.^)

声優の榊原良子がパトレイバーに固執する理由

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、声優の榊原良子さんが自身のブログで機動警察パトレイバー2 the Movieに関する当時のエピソードや作品への”思い”を告白し、ファンの間で話題になりました。

榊原良子さんといえば、『風の谷のナウシカ』のクシャナや『機動戦士Ζガンダム』のハマーン・カーンなど、主に「強くて知的な女性キャラ」を演じている印象があるかと思います(もちろんそれだけではありませんが)。

中でも『機動警察パトレイバー』の南雲しのぶは、榊原さんにとって特に思い入れの強いキャラらしく、「『ナウシカ』や『Zガンダム』も私にとってかけがえのないものですが、私的な部分では『パトレイバー』が、現実を生きる上で一番重要な意味を持つ作品になっている」とコメントしています。

 

そんな榊原良子さんが27年前に『機動警察パトレイバー2 the Movie』のアフレコに臨んだ際、「どうやら現場でちょっとした”議論”が起きたらしい」と長年ファンの間で噂されていました。

それは「キャラクターの演技に関して押井守監督と榊原さんとの間で意見が対立し、最終的に二人は喧嘩別れした」というものですが、この噂がどこから流れたか…というと発端は押井さんなんですね(笑)。

過去に押井監督自身が色んなインタビューや著書などで発言していたため、このような噂が広まったようで、例えば『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のオーディオ・コメンタリーでは以下のように語っていました。

パトレイバー』の時、榊原良子さんに言われたんだよ。「とにかく喋り辛いんですけど」って。「これ女の人のセリフじゃないと思うんですけど」って(笑)。「でも、それでやって欲しいんです」って説得はしてたんだけどさ。

パト2』の時にはけっこう険悪なムードになってたね。はっきり「わからない!」って言われた。「この人はしのぶさんじゃない!」とまで言われてさ。「僕からすると、しのぶさんってそういう人なんだよ」って話もしたんだけどさ。まあ、その後和解して今はとてもいい関係なんだけど、一回破綻しかけた。

 このような押井さんの発言から「榊原良子さんは『パト2』のアフレコ現場で押井監督と揉めて、一度疎遠になったものの、その後どうにか関係を修復した」とファンに思われていたのです。

ところが今回、榊原さんが公開したブログを読むと「そういう認識はなかった」「そんな風に思われていたことを初めて知った」みたいなことが詳細に語られているのですよ(詳しくはこちらをご覧ください↓)。

ameblo.jp

榊原さんによると「南雲しのぶのセリフについて押井監督から”こういう風に言って欲しい”と指示されたが、私は”この状態でそれは言えない”と答え、しばらく相談した後、再び押井監督から同じことを言われたので、”しのぶさんはそんなこと言えないと思う”と返した。それだけなんですが、それが”議論”と言えるのかどうか…」とのこと。

つまり榊原さんとしては「押井監督と議論したつもりはないし、その後疎遠になった覚えもない」ということらしい。

このやり取りが具体的にどのシーンかというと、『機動警察パトレイバー2 the Movie』の終盤、柘植行人を追い詰めた南雲しのぶが「あなたを逮捕します」と言って手錠をかける場面です。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

ここで押井監督は「いつものしのぶさんのように毅然と強く言ってください」と指示したんですが、榊原さんは「この状態でしのぶさんは毅然と”あなたを逮捕します”とは言えない。そんな心理ではないと思う」と答えたんですね。その理由について、ブログの中で以下のように説明しています。

「あなたを、逮捕します」というセリフを毅然と言うには、
セリフを言うまでの『間』が、足りませんでした。
もちろんこれは私の生理的な感覚ですが…。
あと、1秒、あるいは、1.5秒の”間”があれば言えたと思います。
長い時間は必要ありません。
南雲しのぶさんとしては、
その短い間に、心の中である種の切り替えをするからです。

つまり、このセリフを言うために必要な”間”が足りないから、感情を込めて表現することが出来なかった…ということらしい。

そして、手錠をかけた後に柘植の指に自分の指を絡ませるシーンについても、「南雲さんは指を決して絡ませない」「指を動かすことができないのが南雲しのぶだと思う」と反論。さらにヘリコプターに乗っているシーンも、映画では虚ろな表情でうつむいていますが「南雲さんなら背筋を伸ばし、まっすぐ前を見て毅然とした表情で座っているはず」と真逆の意見を述べています。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

これに対して押井監督は「いや、しのぶさんってそういう人なんだよ」と説明したようなんですが、話がまとまらなかったところを見ると、押井さんと榊原さんがそれぞれイメージしている”南雲しのぶ”というキャラクター像にかなりの食い違いがあったのでしょう。

しかも押井監督は南雲しのぶを「権威、つまり優秀であることを重要視していてファザーコンプレックス。母親のような生き方を軽視している。そして、後藤喜一のような人は選ばない」と設定していたらしく、こういう設定も榊原さんは受け入れがたかったようです。

なぜなら榊原さんは「南雲が次第に後藤へ想いを寄せていき、最終的に二人はくっつく」と想像しながら演じていたからなんですね(以下、「後藤喜一×ぴあ」に掲載された榊原さんのインタビューから一部を引用させていただきます)。

わたしは最初のアフレコで…これは自分の希望的観測として、南雲さんと後藤さんがお互いに「ホ」の字になるといいなって思いながら演技をしていたんです(笑)。後藤さんの、いかにも中年の独身男性らしい、そのだらしなさそうな外面に対して、南雲さんは最初は苦々しく思っているけれども、段々と話を重ねるごとに男の人を見る目を備えていって、いずれ後藤さんという人の真価に気付いていく…そういう風に考えて役作りをしてたんですよね。

1番記憶に残っているのが、『パト1』で、雨の中、傘をさした南雲さんが「後藤さん」って呼びかけると、後藤さんが「何?」って振り返って、それから「…いえ、なんでもないわ」ってわたしが言うんですけれども、まさにそのセリフにそういう気持ちを込めました。その時は『パト2』で二人がああなるとは思っていなかったので…。

後藤さんに、女性として一言を伝えたいのだけれど、立場が違うから恥じ入って結局「なんでもない」と言ってしまう。南雲さんって、一見すると後藤さんを尻に敷いているように見えますが、わたしの解釈では実は甘えているのは南雲さんの方なんですよ。後藤さんの許容量の広さにちょっと甘えているから、南雲さんは自分の意見をどんどん言ってしまう…そういうつもりで演じていましたね。

 このように、榊原さんは「南雲さんと後藤さんが最終的にいい感じになって欲しい」と思いながら演じていたのですが、押井監督から「南雲さんは後藤喜一のような男性は選ばないんだよ」と言われて「ええ~!?」とショックを受けたわけです。

機動警察パトレイバー2 the Movie』の中で、後藤さんが南雲さんに「しのぶさん、差し違えても…なんてのは御免だよ。彼を逮捕して、必ず戻るんだ。俺、待ってるからさ」と語りかけても、南雲さんはそれに答えず行ってしまう。

さらにその後、柘植行人とヘリに乗って飛び去って行く南雲さんを見ながら「結局、俺には連中(特車二課のメンバー)だけか…」と寂しそうにつぶやくなど、この映画の中の二人はすれ違ったままで、最終的に後藤さんは南雲さんにフラれてしまうんですよね。それが榊原さん的にはどうしても納得できなかったらしく、以下のようにコメントしていました。

わたしは実は『パトレイバー』という作品にすごく固執していて……なぜかと言えば、パト2』で二人がああなってしまったことがすごく悔しくて、それで固執してるんですね(笑)。色んな方にお話を聞くんですけど、やっぱり「後藤喜一が『パトレイバー』で一番魅力ある男性だ」って言うんですよ。わたしもそう思っているからこそ、「なのに押井さん、なんで『パト2』でああしちゃったんだろう!悔しい!」みたいな、そういう想いがあって、それで今でもすごく固執しています(笑)。

(「後藤喜一×ぴあ」より)

これはつい最近のインタビューなんですが、『パト2』のアフレコから27年経っているにもかかわらず、いまだにこういう発言をしているところに、南雲しのぶというキャラクターに対する榊原さんの”愛着の深さ”というか、後藤さんとの関係性にこだわり続けている気持ちが伝わってきますよね。

 

一方、このような榊原さんの発言に対し、押井守監督は南雲と後藤の関係について以下のようにコメントしていました(「後藤喜一×ぴあ」より一部を引用)。

まあ、報われない関係だよね。しのぶが後藤のことを、見直すことはあったにせよ、男として惚れるって可能性はゼロだから。少なくとも私はゼロだと思ってる。あり得ないと思ってる。それは、しのぶっていう女性の背後には父親がいるから。凄まじいファザーコンプレックスで、後藤みたいなタイプが太刀打ちできるはずがない。しのぶの父親って、間違いなく”厳父”ってやつだよね。しのぶが求めてる男って、その厳父以外にあり得ないから。だからこそ後藤は、報われないけれども、いつもいつもモーションをかけてる。構って欲しいんだよね。

そういうところがないとさ、キャラクターとしてつまんないんだよ。それがないと後藤って完全無欠…完璧なオヤジになっちゃう。パーフェクトじゃないんですよ、後藤は。当たり前だけど、後藤みたいなオヤジの弱点っていったら女しかないから。金も権力も何もいらない男だけど、ただ一つ…本人が求めているのに実現できないものは何か?って言ったら、それはしのぶさんへの想いってやつなんだよね。

 どうやら押井監督は「南雲さんと後藤さんをいい感じにしよう」なんて1ミリも考えてないようですね(笑)。確かに”押井さんが考えるキャラクターのイメージ”としては、これはこれで正しいんですが…。

まあ、今後『パトレイバー』の新作が作られるとしても、押井さんが監督することは恐らくないでしょうから、榊原良子さんが望んでいるような形で二人の物語が実現できたらいいんですけどねえ(^.^)

 

庵野秀明初監督作品『トップをねらえ!』はなぜ名作と成り得たのか?

トップをねらえ!

トップをねらえ!


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて皆さんはトップをねらえ!というアニメーション作品をご存知でしょうか?

本作は『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明さんが初めて監督を務めたオリジナルアニメで、今から32年前の1988年にリリースされ、多くのアニメファンの間で話題になりました。

その後、1989年に期間限定で劇場公開され、さらに2006年には再編集&5.1ch化に伴い再アフレコされた合体劇場版(『トップをねらえ2!』との同時上映)として映画館で公開されたのです。

 

そんな『トップをねらえ!』は、今でこそ「庵野秀明初監督作品」とか「感動の名作」みたいな扱いで高く評価されていますが、ビデオが発売された当初はそれほどでもない…というか、むしろ酷評されていたらしいんですよね。

まあ、第1話の時点では「エロい体操服を着た女子高生がおっぱいをブルンブルン揺らしながらロボットに乗って縄跳びする」という熱血スポ根パロディSFギャグアニメなのですから無理もないでしょう(笑)。

僕の周りはオタクばかりだったので「こりゃ凄い!」と夢中になって観てたんですけど、当時の制作スタッフの証言によると「1巻のリリース時点では期待したほど売れなかった」「アニメ業界内での評判は悪かった」など、ネガティブな意見の方が多いんです。

プロデューサーを務めた岡田斗司夫さんも「ガイナックスは前からこんなアニメを作りたい人ばっかりだったんだけど、アニメ業界は意外と真面目な人が多くて批判された」「アニメ誌の記者に見せたら途中で帰っちゃう人が何人もいた」「ああ、こういうのは嫌われるんだなっていうのを実感してビックリした」などと証言しています(逆にガチのアニオタの間では熱狂的に支持されたらしいw)。

ではいったい、『トップをねらえ!』はどのタイミングで「名作」と呼ばれるようなアニメに変貌したのでしょうか?

トップをねらえ!

トップをねらえ!

まず、『トップをねらえ!』の企画がスタートした当初は、庵野さんが監督を務める予定ではありませんでした。最初は「監督:樋口真嗣、キャラクターデザイン:貞本義行というスタッフ編成で話が進んでいたそうです。

また、クレジットでは「脚本:岡田斗司夫」となっていますが、実際は岡田さんが設定やプロットを考え、それをメモ用紙に書いて山賀博之さん(『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の監督)に渡し、山賀さんが脚本を執筆…という感じで制作が進展していったらしい。

ところが、その途中で実相寺昭雄監督の帝都物語が始動し、樋口さんのところへ「参加しないか?」と連絡が来たのです。『帝都物語』といえば、製作費10億円の超大作映画で、3億円を使って銀座から新橋方面の街並みを丸ごとオープンセットで再現したり、3000人のエキストラを動員し、50体を越えるクリーチャーを制作するなど、まさに破格の規模の作品でした。

帝都物語

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「乗るしかない、このビッグウェーブに!」と直感した樋口さんは『トップをねらえ!』を途中降板し(後にその直感は間違いだったことが判明するんですけどw)、そのまま『帝都物語』の現場へ行ってしまったのです(同時にキャラデザの貞本さんも降板)。

 

一方その頃、庵野さんは何をしていたのか?というと「元々ガイナックスは『王立宇宙軍』を作ったら解散するという約束で立ち上げたスタジオだったのに、『王立』が終わってもまだ解散していない。話が違う!」と言って一時的にガイナックスを離れていたそうです。

以来、庵野さんはあちこちのスタジオを泊まり歩く生活を続け、本人曰く「ただのフーテンですね。アニメそのものに対する挫折感みたいなものもあって、ほとんど仕事をしてなかった。当時の年収は70万円ぐらいだったかな?なにしろ仕事をしなかったんで(笑)」とのこと。

トップをねらえ!

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そんな庵野さんが、たまたまガイナックスを訪ねて来た時、机の上に置いてあった『トップをねらえ!』の脚本を読んだら(最初は「単なるウケ狙いのパロディアニメだろう」とバカにしていたにもかかわらず)、なんと第2話のストーリーに感動して大号泣。

さらに樋口さんが降板したことを知ると「こんないい脚本があるのに監督がいないなんて、そんなバカな!」と驚き、わざわざ『帝都物語』のスタッフルームに電話をかけて「監督やらないの?じゃあ僕が監督してもいい?」と樋口さんに確認したそうです。

 

こうして、正式に『トップをねらえ!』は庵野秀明監督作品として制作が決定!いよいよ本格的に作業が始まるわけですが…

ここで重要なのは、『トップをねらえ!』の元々のコンセプトが「SFやスポーツ根性ものをパロディ化したギャグアニメ」だったという点でしょう。ビデオの2巻が発売された時、ノリコが「急遽5話と6話の制作が決まって…」みたいなことを言ってますが、実は企画当初から岡田さんは6話までのストーリーを考えていて、それが全部”ギャグ”だったという。

第2話の「ウラシマ効果を描いたエピソード」も、「お父さんがノリコの誕生日に光の速度で帰って来る話だと説明したら、その場にいた全員が大爆笑した」と語っているように、当初は”笑わせるストーリー”として考えていたらしいのですよ。

ところが、脚本を担当した山賀さんはそのプロットを読んで”シリアスな要素”を書き加えたんですね。以下、山賀さんの証言より。

「お父さんが帰って来る」という展開も含めて、岡田さんのメモの時点では1個1個のアイデアをギャグとしてとらえていたんです。でも、脚本としてまとめていく中で、出されたアイデアに対して「こういう風に組み合わせていかないとストーリーになりませんよ」と話して、若干シリアスな方向へ振った形になりました。”パロディ”と言われても、僕は『エースをねらえ!』すら読んだことがないくらいで(笑)。その時に読んでいたのは槇村さとるの『愛のアランフェス』という少女マンガで、その線で書いてみようと思ったのが第2話です。

少女マンガというジャンル自体が持っているある種の「感動」、そこを外さないようにしてみようと思いました。と言っても、僕自身にシリアスに表現したいものがあったわけでは全然ないんです。「感動」ですら、あくまでも”パロディの要素”でした。だって「根性」にしても「挫折」にしても、そう言ってるだけで(笑)。つまりそれは”記号”なんです。物語ではなくて、物語を示唆するようなパロディが並んでいるだけ。特に第1話はドラマを全然描いていません(笑)。だから、第2話の脚本を書く時にそこをもう一度分解して、ドラマとしてやっていこうと意識したんです。

(「トップをねらえ!パーフェクトガイド」より)

 確かに山賀さんの言う通り、第1話はスポ根のパロディが並んでいるだけで、ドラマが全くありません。そして第2話も、本来なら同じように”単なるギャグ”として処理されるはずだった「父と娘のエピソード」ですが、山賀さんの判断でシリアスな路線へ軌道修正され、その脚本を読んだ庵野さんが感動して最終的にああいう形になった…と。

つまり、岡田さんが最初に考えていたコンセプトは、第2話の時点で早くも瓦解していたわけですね(笑)。これは非常に重要なポイントだったと思います。

もし、『トップをねらえ!』が当初のアイデア通り「全編ギャグアニメ」として作られていたら(それはそれで面白い作品になったかもしれませんが)、恐らくここまで多くの人に支持されるアニメにはならなかったでしょう。

後に岡田さんも「僕の中には”面白いキャラ”や”笑い”はあるけれど”泣き”の要素がないんです。それを”泣き”の方向へ持って行ったのが山賀くんです。彼はメロドラマが上手いんですよ。『トップをねらえ!』の中でキモの部分、一番大事な”泣かせ”は山賀くんの力量なんです」と述べていました。

トップをねらえ!

トップをねらえ!

そして、山賀さんの”泣き”の要素をさらに増幅させたのが庵野さんです。山賀さんが「感動ですら、あくまでも”パロディの要素”」と語っているように、脚本の段階ではまだ”記号的な感動”だったのですが、庵野さんはそこに「本気の感動」を求めたのです。

意気込みとして「モノホンのアニメーションを作ろう!」と、そういう意識はありました。つまり、ここでいう”本物”とは、いわゆるオリジナリティということではなくて、アニメとはこういうものだ、というのを作ろうっていう。アニメが持っている端的な要素を取り入れたものですね。

(「トップをねらえ!オカエリナサイBOX」特典ロングインタビューより)

つまり”パロディ”にしても”感動”にしても、庵野さんは全て本気で表現しようと取り組んでいたわけです。『トップをねらえ!』の後半部分は割とシリアスなシーンが増えていきましたが、それでもパロディ部分に手を抜かなかった。そういう本気の姿勢が、結果的にラストの感動を呼ぶことに繋がったのでしょう。

しかし、制作が進むにしたがって”感動”に対する庵野さんの要求がどんどんエスカレートしていったのに対し、山賀さんは「脚本にリテイクを出して割が合うような仕事じゃない。直したいなら勝手に直してくれ」と言ってシナリオの修正を拒否しました。

そこで3話目以降は庵野さんの意向が積極的に取り入れられ、5話と6話に関しては一部を除いてほとんど庵野さんが脚本を書き直したそうです。山賀さん曰く、「だから後半が良くなっていったのは、庵野の頑張りのおかげですよ。僕の誤算は、作品に対する庵野の入れ込み方がハンパじゃなかったってことですね。結果的に『トップをねらえ!』はガイナックスの最高傑作になりましたから」とのこと。

こうして『トップをねらえ!』は、いまだに多くのファンから愛される名作アニメとなったわけですが、そこに至るまでに岡田さんのアイデア、山賀さんの脚本、樋口さんの絵コンテ、そしてそれらをバランスよくまとめて感動的な作品に仕上げた庵野さんの演出力など、実に様々な偶然が重なって生まれたアニメだったんですねぇ。

ちなみに、続編の『トップをねらえ2!』を手掛けた鶴巻和哉さんも「どこでどう間違ってあんな傑作になったのか(笑)。たぶん、同じスタッフが集まっても二度と同じようなものは作れないでしょう。本当に奇跡みたいな作品です」と語っていて、全くその通りだなと思いました。