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『機動警察パトレイバー2 the Movie』はこうして生まれた

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、当ブログにて劇場版『機動警察パトレイバー』が生まれるまでのエピソードを書いたところ、「『パト2』も大好きです」「『パト2』の記事が読みたい!」など多くの反響をいただきました。ありがとうございます!

というわけで本日は、続編となる劇場アニメ機動警察パトレイバー2 the Movieが生まれるまでの経緯について詳しく解説してみたいと思います(前作のエピソードはこちらの記事をどうぞ↓)。

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まず、劇場版『機動警察パトレイバー』が1989年7月に公開された後、同じ年の10月からTVシリーズが始まりました。しかし実はこれ、もの凄くバタバタと決まった企画だったようです。

鵜之澤伸プロデューサーによると、「元々テレビ局側で準備していた番組がダメになって、急に放送枠が空いたような印象だった」「オンエアは10月なのに、連絡が来たのが5月だった」というぐらい突然の話だったらしい。

大急ぎでスタッフを集めようとするものの、押井さんは「TVアニメの監督はもうやりたくない」と参加を拒否。出渕さんと高田さんはデザインのみ、ゆうきまさみさんも漫画の連載で忙しい…みたいな感じで、結局ヘッドギアのメンバーでガッツリ関わることになったのは伊藤和典さんだけ。

しかもOVA版や劇場版を制作したスタジオディーンにも「うちはTVシリーズなんて出来ないよ」と断られてしまい、鵜之澤プロデューサー曰く「監督はいないし、制作スタジオも未定。決まっていたのは放送枠だけ」という悲惨な状況だったらしい。

それでもどうにか日本サンライズ(現サンライズ)に引き受けてもらい、監督も吉永尚之さんに決まって一安心……かと思いきや、一人だけ関わることになった伊藤和典さんは大変な苦労を強いられたようです。以下、伊藤さんのコメントより。

うん、大変だったよ。毎週毎週すさんでいってるのが自分でもわかったからね(笑)。『パトレイバー』の場合は最初にOVAがあって、映画があって、息つく暇もなくTVシリーズだったでしょ?しかも制作が決まってからオンエアまで、ほとんど時間がなかったからね。せめて準備に半年は欲しかった。

そもそもTVシリーズって最初は2クールの予定だったんですよ。それが、いつの間にか4クールになって、それが終わると今度は新しいOVAをやるからって、どんどんゴールを先延ばしにされて疲弊していくばっかり…。結局、僕の30代はほぼ全期間を『パトレイバー』に費やしてました(苦笑)。

(「機動警察パトレイバー クロニクル」より)

 こうしてTV版や新OVA版が作られた後、いよいよ劇場版の2作目となる『機動警察パトレイバー2 the Movie』の制作が始まるんですけど、その制作方法は前作とはかなり異なっていたようです。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

1作目の場合は、ヘッドギアのメンバー全員が何度もディスカッションを繰り返し、それぞれの意見やアイデアを脚本に取り入れ、しかも押井さんが考えていたオチはやらせないという(笑)、そういう体制で作られたため、ある意味「非常にバランスのいい映画」に仕上がっていました。

ところが続編の『パト2』は全く逆で、ほとんど押井監督と伊藤さんだけで内容が決められ、他のメンバーはあまり関与できなかったらしいのです。以下、ゆうきまさみさんのコメントより。

まあ、今回は押井さんと伊藤さんが「自分たちが映画を作るというのは、こういうことなんだ」と言って、僕やブッちゃん(出渕裕)とかの意見はあまり取り上げてもらえませんでした。仕方がないから僕の方はひたすらサブキャラを描いて、ラフを送ってOKをもらって…ということの繰り返しだったような気がしますね。

最初のシナリオに入る前の打合せで、「こうしたらいいんじゃないの?」という案を出していて、押井さんも初めは入れるつもりで絵コンテを切ってたらしいんだけど、そうしたら尺がえらく伸びちゃった。要するに、押井さんのやりたい部分だけでもう尺がいっぱいになっちゃって、コンテの段階で40分ぐらい落とさざるを得なかったらしいんです。そのカットされた中に、僕とかブッちゃんのアイデアも入ってたんですね。

(「PATLABOR DIGITAL LIBRARY Vol.02」より)

 ちなみに「カットされたシーン」というのは、主に第2小隊のメンバーが登場する場面で、野明や遊馬や太田たちが久しぶりに集まって酒を飲む…みたいな展開になるはずだったらしい。

ゆうきさんによると、「初めてパトレイバーを観る観客にもわかりやすいように、特車二課のメンバーを集めて顔見せしておいた方がいいだろうと思って、いくつかそういうシーンを考えていたんですけどね」とのこと。

たしかに、『パト1』に比べると『パト2』は野明や遊馬たちの活躍場面が少なく、OVA版やTV版に慣れ親しんだパトレイバーファンにとっては少々不満を感じる内容だったことは否めません。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

ただし、メカデザインの出渕裕さんは「押井さんも最初はその辺(第2小隊のキャラクター)を拾ってやる気はあったんだと思いますよ。でも、尺の問題で泣く泣く切ったんじゃないかな」と説明していました。

また、押井監督自身も野明や遊馬たちが語り合っている場面を描きたかったらしく、以下のようにコメントしています。

第2小隊の連中に3年の間に何が起こったのか、なぜ後藤の招集に応じるのか、その辺の事情を説明するシーンが本当はもっといっぱいあったんだけど、尺の都合で切っちゃったんだよ。第2小隊の同窓会とかね。みんなが鍋を囲んで愚痴垂れまくってるシーンとか、実はコンテまで切ったんだけど、やむなく全部カットした。映画って2時間って尺があるから、やっぱり何でもかんでもはできないなってさ。

(「機動警察パトレイバー 泉野明×ぴあ」より)

このように、押井監督は決して第2小隊のメンバーをないがしろにしていたわけではなかったようですが、とは言え、ゆうきさんや出渕さんの意見よりも自分のやりたいことを優先していたのも事実でしょう。

さらに、『パト2』の脚本は伊藤和典さんが書いたのですが、伊藤さんによると「ストーリーはほとんど押井さんが一人で考えた」とのこと(以下、伊藤さんのコメントより)。

パト2』に関して言えば、設定なんかも含めて、ほぼ押井さんが決めてましたね。押井さんがあらかじめかなり詳細なプロットを用意していたので、脚本家の自分はただそれになぞって書くだけでした。後藤と荒川が川下りしながら長台詞の会話をするシーンなんかも、押井さんから「ちょっと語りたいことがあるから、場面だけ用意しておいて」ってオーダーがあったので、僕はただその場面を脚本内に配置しただけですから。実際のセリフも全部押井さんが書いたものです。

(「機動警察パトレイバー 泉野明×ぴあ」より)

このように、色んな人の意見を丁寧に取り入れた1作目とは打って変わって、『パト2』は押井守監督の主義・主張を全面的に反映させた結果、極めて作家性の強い内容になっているのです。では、押井監督自身はどのような気持ちで『パト2』に取り組んでいたのでしょうか?

パトレイバー2』の制作は最初から波乱含みでしたね。お互いに牽制し合って、誰が主導権を握るんだ?って感じで。ただそれは、ハッキリ言って最初から勝負はついていた。つまり、伊藤くんと僕が組んだ時点で「戦争ものをやろう」って。バンダイの方も、最初のOVAでやったクーデター話(5話・6話)がお気に召していたみたいだから、一応の内諾は取れてたんです。あとは、伊藤くんと早々に共同戦線を張って、泣こうが喚こうがストーリーの大枠を決めちゃって、これでもう勝つ構図はできていたわけですよ。

まあ、こんなことばかりやっていてもしょうがないんだけど、映画を成立させるためには政治力というか力関係というか、戦略が大事なわけ。早い段階で勝負を決めておかないと、スタートしてからケンカを始めると、お互いに消耗戦になった挙句に損はするしボロボロになってしまう。問答無用で抜きざまに一閃しないと。相手がもんどりうってるうちに、ことを進めちゃわないとダメなわけですよ(笑)。まあ、そういった意味では作戦勝ちでもあったし、ヒドいことをやったなとは思うんだけど、今回は全く聞く耳を持たなかったというか、何を言ってきても受け付けなかった。

(「押井守全集 THE SEVEN DOGS' WAR」より)

 どうやら押井監督の中には「1作目みたいな状況にはしないぞ!」という強い思いがあったらしく、「ファンサービスのための映画を作りたいとは、これっぽっちも思っていなかった」「シリーズを支えてきてくれたファンの心理を思えば”裏切り”と呼ばれてもしょうがないんだけど、1本の映画として考えた場合は、キャラクターと心中するわけにはいかないというのが僕の立場だった」と述べています。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

では、そこまでして押井守監督が『機動警察パトレイバー2 the Movie』で描きたかったものは何か?というと、”戦争”なんですね。もっと言うと「戦争とは何か?平和とは何か?という本質的な問いかけ」をアニメを通じて描こうとしていたのです(以下、押井監督のコメントより)。

1作目はアクション性を全面に押し出した娯楽映画だったけど、2作目は全然違う種類の映画で、ある種の”ポリティカル・フィクション”を目指したんですよ。登場人物と観客との間に常に一定の距離を保ちつつ、緊迫感や予兆みたいなもので物語を引っ張っていこうと。アニメでそういうことが可能なのかどうなのかってことも試してみたかった。きっかけは湾岸戦争ですね。僕らの世代は戦争の記憶といえばベトナム戦争なんだけど、今の若い人たちにとっては湾岸戦争だろうと。ちょうど映画の準備をしていた時期に湾岸戦争が勃発して、アニメで戦争を描くにはいい機会だと思ったんです。

ベトナム戦争湾岸戦争の大きな違いは何かっていうと、「モニターの向こうにしか戦争がない」ってことなんですね。いま世界中で戦争が行われているのに、日本だけが敢えてそういう現実から目を逸らそうとしている。あくまでもモニターの向こう側の出来事であって自分たちには関係ない…と。そういう人たちに強烈な一撃を食らわせようとする犯人のイメージがまずあって、それが柘植行人という男なんです。

(「BSアニメギガ とことん押井守」より)

 『機動警察パトレイバー2 the Movie』に事件の首謀者として登場する柘植行人は、東京を舞台に架空の戦争を仕掛けて日本中を混乱の渦に巻き込みます。彼の行動とそれに抗う人々との攻防が本作の見どころなわけですが、押井監督は柘植よりもむしろ荒川茂樹の方に「共感を覚える」とのことで、後藤と荒川の会話シーンは特に力を入れていたらしい。

「戦争だって?そんなものはとっくに始まってるさ。問題なのは如何にケリをつけるか、それだけだ」(『パト2』本編の荒川茂樹のセリフより)

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

押井監督は本作で「戦争とは何か?平和とは何か?」を描くために様々な文献を読み漁って勉強し、その結果『パト2』はロボットアニメとは思えぬほど哲学的で難解な要素が強くなったわけですが、伊藤和典さんは完成した映画を観て「これは映画として成立しているのか?」「押井さんの”戦争研究論文”にしか見えない」と感じたそうです。

たしかに、ほとんど動かない画面の中で渋いオッサンたちが戦争について延々と語り続ける場面は、レイバーの派手なアクションを期待した観客にとっては退屈に映ってしまうかもしれません(個人的にはこういう長台詞や世界観が大好きなんだけど、ダメな人もいるでしょうね)。

だがしかし!『パト2』で描かれているのは”戦争論”だけじゃないんですよ。もう一つの重要なドラマの柱、それが南雲しのぶの恋愛エピソード」です。どうやら押井監督は本作において”ラブストーリー”としての側面も見せたかったらしく、伊藤さんにそう伝えていたようです(以下、伊藤さんのコメントより)。

押井さんは照れながらも「一応これは恋愛映画である」と(笑)。柘植としのぶの関係…強いて言えばその辺を描くのが難しかったですね。最後に手錠をかける時、互いに手が触れあった瞬間に、それまでの時間の空白を飛び越えるような何か、それを観客も了解できるような何かが欲しいということで、いろいろ考えたんだけど…。二人が手を絡ませた後で、しのぶが自分の手首にも手錠をかけるでしょ?あれは自分も共犯者なんだっていうことを了解しているのだと、そういう雰囲気が観た人にちゃんと伝わっているか?というと、僕としてはあまり自信がないんですよ。

(「PATLABOR DIGITAL LIBRARY Vol.02」より)

しのぶと柘植の恋愛感情をどのように描けばいいのか、伊藤さんは悩んだようですが、映像をよく見ると「二人の関係性」を匂わせるようなカットがいくつか存在します。例えば、冒頭の「レイバーから出てきてヘルメットを脱ぎ、顔を上げる」という柘植の動きと、終盤のしのぶの動きが全く同じなんですね(わざと作画のタイミングや構図まで合わせている)。ここで、元恋人同士だった二人の心情を表現しているわけです。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

さらに押井監督は、この二人に後藤を加えた三角関係(メロドラマ)を想定していたらしく、以下のように語っていました。

後藤っていうのは、良くも悪くも”正義の人”なんですね。公務員だって言ってるけど、結局は正義の側なんです。そしてもう一人、しのぶっていう女性がいて、警視庁きっての才媛と言われた彼女がなぜか埋め立て地に島流しになってて、何につまずいたかっていうと”男”なんですね。男がつまずくのは女だし、女がつまずくのは男なんですよ。そういう、後藤としのぶと柘植の三角関係というか、メロドラマ的な要素を加えることで多少マイルドにするっていう。だからこれは、戦争の映画であると同時に、しのぶさんの映画でもあるわけです。そういう意味では、意図としても手段としても大人の映画になったんじゃないかな。

(「BSアニメギガ とことん押井守」より)

そして、そんな南雲しのぶを演じた声優の榊原良子さんも、本作のアフレコで大変苦労したようです(以下、榊原さんのコメントより)。

私はアフレコの前日まで、眠れないぐらいに悩んでたんです。特に、元恋人の柘植と何年振りかで出会うラストシーン。そこで交わされる会話が、全く”元恋人同士の会話”じゃないんですよ。「何なのこれ!?」って思わず言いたくなるような内容で(笑)。哲学を論じているみたいで「どうしたらいいんだろう?」と思って、台所の床に尻もちをついて、前にある食器棚のガラス戸を見ながら、タバコをふかして一生懸命考えたんです(笑)。自然にこのセリフが出て来るにはどうやって自分の中に取り込んでいったらいいんだろう?と真剣に悩みました。

(「機動警察パトレイバー2 the Movie サウンドリニューアル版」の特典ブックレットより)

榊原さんは押井監督と何度も話し合いを重ね、どうにかアフレコは完了したものの、自分の演技については納得していなかったらしく、数年後にサウンドリニューアル版の収録で録音し直した際、しのぶの話し方や雰囲気などを変えて演じたそうです(聞き比べてみるのも面白いかも)。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

こうして『機動警察パトレイバー2 the Movie』は完成し、1993年に全国の劇場で公開されました。結果は、配給収入1億8千万円で大ヒットとは言えないものの、観た人の評価は高く(特に押井守ファンの評価が非常に高く)、後に発売されたビデオやLDも売れてプロデューサーは一安心。

また、滅多に他人の作品を褒めない宮崎駿監督も『パト2』を観て、「とても見応えがあった。まず映像的に感心した。こういうジャンルで押井さんと競合するのは絶対にやめようと思った」「語り口の巧みさという点でも本当に抜きん出ていたと思う」とベタ褒め(柘植に関しては文句を言ってましたがw)。

さらに、海外の映画関係者の間でも話題となり、ジェームズ・キャメロンギレルモ・デル・トロなど有名な監督たちが大絶賛!特にジェームズ・キャメロンは『トゥルーライズ』を作る際に『パトレイバー2』のワンシーンを参考にするなど、様々なクリエイターに影響を与えました。

機動警察パトレイバー2 the Movie

機動警察パトレイバー2 the Movie

というわけで『機動警察パトレイバー2 the Movie』は、1作目とは内容もイメージも全く異なる映画に仕上がったものの、どちらの作品も非常に完成度が高く、いまだに多くのファンから愛されているのは素晴らしいことだと思います。

なお、『パト2』を作り終えた感想を聞かれた押井守監督は、「自分の思い通りの映画が作れたので満足している」「でっかいウンコを全て出し切った感じでスッキリした」と答えたそうです(^.^)

 

劇場版『機動警察パトレイバー』はこうして生まれた

劇場版『機動警察パトレイバー』

劇場版『機動警察パトレイバー


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて先日、OVA版『機動警察パトレイバー』が生まれるまでのエピソードを書いたところ、かなりの反響をいただき誠にありがとうございました。

というわけで本日はその続きとして、劇場版『機動警察パトレイバーが生まれるまでの経緯を書いてみたいと思います(前回のエピソードはこちらの記事をどうぞ↓)。

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1988年4月から販売が開始された『機動警察パトレイバー』のOVAシリーズは、「近未来の東京を舞台にしたロボットアニメ」という斬新なコンセプトや、「4800円」という(当時としては)破格の価格設定などが話題となり、好調なセールスを記録しました。

その結果を受けてバンダイビジュアルは次の企画を検討。それが劇場版『機動警察パトレイバー』です。

通常は、テレビシリーズがヒットしてから劇場へ…というパターンが多い中、OVAからいきなり劇場版が作られるのは極めて異例と言えるでしょう。でも、いったいどうしてこうなったのか?

実は当初、プロデューサーの鵜之澤(うのざわ)さんは「次はTVシリーズをやろう!」と言っていたのですが、ヘッドギアのメンバーが「TVアニメを1年やったらスタッフがボロボロになる」「その前に映画をやりたい」と言い出したため、先に劇場アニメが作られることになったらしい。

劇場版『機動警察パトレイバー』

劇場版『機動警察パトレイバー

こうして劇場版の企画を進めることになったものの、メンバーの中で一人だけ”やる気のない人物”がいました。それが押井守監督です(笑)。

押井さんはパトレイバーの企画に一番最後に合流したため、レイバーのデザインにもキャラクター設定にも、自分の意見が反映されないことに強い不満を感じていました。

また、プロデューサーも「押井さんが現場に入るとスケジュールや予算をオーバーするかもしれない」と考え、一切現場にタッチさせなかったのです。そのため押井監督は「絵コンテを切った後は音響や編集などの”仕上げ作業”だけしかやらせてもらえなかった」「内心忸怩たる思いがあった」と後のインタビューで告白。

そんな状況だったため、劇場版のオファーが来た時も「後悔するような仕事はやりたくない」と最初は断っていたのです。以下、押井守監督のコメントより。

(劇場版は)仕事としては確かに面白そうだけど、パトレイバーというのは僕の中でテーマとしてすでに終わっていたので、これ以上やりたくない思いが強かった。この素材で何をどうすればいいのか全然わからないし、何となくクオリティを上げて派手にしただけのものだったら別にやりたくないなって、一度は断ったんですよ。

(「機動警察パトレイバークロニクル」より)

ところが、その後に押井さんがトイレに入って一人でボンヤリ考えごとをしていた時、突然「東京湾に方舟(はこぶね)が浮かんでる話ってどうだろう…?」と思い付いたそうです。さらに、「そういえば主人公の名前が野明(ノア)だったな…」と思い出した瞬間にトイレを飛び出し、「やっぱ劇場版やるわ!」と電話したらしい。

こうして劇場アニメ『機動警察パトレイバー』の制作がスタートし、”方舟”のアイデアを脚本家の伊藤和典に話して、伊藤さんがシナリオにまとめていきました。

劇場版『機動警察パトレイバー』

劇場版『機動警察パトレイバー

ちなみに、『パトレイバー』とちょうど同じ頃、OVA『御先祖様万々歳!』も企画が通ってしまい、どっちをやるか悩んだ末に「このチャンスを逃したら二度と実現しないかもしれない」と考え、両方やることにしたそうです。

ただし、『パトレイバー』は劇場用作品なので現場へ行けば豪華な弁当が出たり、コーヒーが飲み放題なのに対し、『御先祖様』は予算がないから「アンパンと牛乳だけ」など、待遇にかなりの差があった模様。

アフレコ現場も、押井監督によると「たぶん日本一安いスタジオだった」とのことで、アマチュアバンドが練習に使っているようなスペースに無理やり機材を持ち込んで録音していたとか。

しかも広さが三畳ぐらいしかないため、ドアを閉め切って作業していたら「酸欠でタバコの火がつかなくなった」そうです(パトレイバーとはエラい違いだなあw)。

御先祖様万々歳!! コンプリートボックス

監督は今回の映画で「高層ビルが立ち並ぶような見慣れた東京」ではなく、古ぼけたアパートや荒廃した町並みなど、普段あまり見たことがない風景を描きたかったそうです。

そのためにカメラマンの樋上晴彦氏とともに船に乗って川を下りながら様々なアングルを見つけ出し、たくさんの写真を撮影。その写真をもとに緻密でリアルな背景を作り上げていきました。

この背景は「二人の刑事が犯人の痕跡を探して東京の町をさまよい歩くシーン」で使用され、劇場版『機動警察パトレイバー』の中でも特に印象的な場面として観客の心を捉えることに成功(川井憲次さんの音楽もいい!)。

劇場版『機動警察パトレイバー』

劇場版『機動警察パトレイバー

そんな本作は、「難解だ」と言われることの多い押井作品の中では比較的エンターテイメント性が強く、パトレイバーファンからの人気も高いのですが、では、どうしてこういう内容になったのでしょうか?

それは、映画の制作前に伊藤和典さんが「3つの誓い」を立てていたからです。

元々OVA版のパトレイバーは予算が少なかったため、「ロボットをきちんと動かせない」「主人公たちの活躍も満足に描けない」という制約の中、「敢えてセオリーを外して番外編的なエピソードを6本作る」という方向性でスタートした企画でした。

その後、幸いにもビデオがヒットしたため、「じゃあ劇場版ではOVAで出来なかったことを積極的にやろう」という流れになり、伊藤さんが以下の「3つの誓い」を宣言したのです。

 

・「遊馬と野明を活躍させる」
・「レイバー同士のアクションを描く」
・「”娯楽の王道”をしっかりやる」

 

すなわち、「OVAではわざとロボットアニメのセオリーを外したことばかりやっていたから、今度はその逆をやってやろう」と考えたわけです。ヘッドギアのメンバーもほとんどこれに賛成。

しかし、ただ一人だけこの案に非協力的な人物がいました。そう、押井守監督です(笑)。

押井さんは元々「ロボット同士のアクションなんて作画が大変だからやりたくない」と考えていたようで、最初に描いた絵コンテでも零式のアクションは最小限にとどめ、クライマックスも「方舟がひっくり返って終わり」みたいなラストになっていました(アッサリしすぎだろw)。

これを見たゆうきさんと出渕さんは「いくらなんでもサービスが無さ過ぎる」「もっとレイバーのアクションを増やして欲しい」と訴え、その結果、零式が作業用レイバーをガンガン壊していくシーンや、朝日が昇ってくる中で野明と零式が対決するシーンなどが追加されたそうです。

劇場版『機動警察パトレイバー』

劇場版『機動警察パトレイバー

しかし、ラストシーンに関して押井さんはいまだに強い不満を抱いているらしく、以下のように語っています。

『パト1』のラストは本当に恥ずかしかった。宮さんじゃあるまいし、遊馬が野明を抱いてクルクル回ったりとか、コンテを切ってるだけで脂汗が出たからね。「やれ」と言われたから仕方なくやったんだけど、本当は嫌だった。

野明がショットガンを撃ちまくって倒れてハァハァ荒い息を吐いてさ、そこにヘリの音が響いたところで終わるべきじゃん。ダメ押しのダメ押しみたいに抱き合って喜んで、最後は俯瞰で引いて引いて…みたいなさ。全部ムダ。

(『押井守監督が語る映画で学ぶ現代史』より)

また、当初の押井監督は帆場暎一なる人間は最初からこの世に存在しなかった」というオチにしたかったらしく、実際にそういう絵コンテも描いていた模様(まあ、押井さんは『ルパン三世』でも同じネタをやろうとしてたしw)。

しかし、このオチに対してゆうきまさみ出渕裕伊藤和典・鵜之澤プロデューサーなど、ほぼ全員が猛反対。「頼むからそれだけはやめてくれ!」と押井監督に詰め寄り、監督も渋々了承したそうです(後で「人に言われてコンテを変えたのは生まれて初めてだ」とブツブツ文句を言っていたとかw)。

なお、「3つの誓い」は押井監督に好き勝手させないように、わざと伊藤さんが提言したらしく、以下のようにコメントしています。

劇場版のシナリオを書くにあたって自分の心構えみたいなものとして、何となくそういうことは以前から考えていたんですが、それを打合せの席で思い付いて「3つの誓い」という言葉にして押井守を縛ったんです(笑)。まあ押井さんは嫌だったでしょうね。いまだに言ってますから、「帆場はいなかったというオチにしたかった」って(笑)。気持ちはわかるけど、パトレイバーでやらなくてもいいじゃんって。それはどう考えても”王道”じゃないですよね(笑)。

(「機動警察パトレイバークロニクル」より)

こうして劇場版『機動警察パトレイバー』は、笑いありサスペンスあり謎解きありロボットバトルありの(押井作品にしては珍しく)非常にバランスのいい内容で、まさに「誰でも楽しめる王道の娯楽アニメ」として完成。1989年7月に全国で公開されました。

結果、第7回日本アニメ大賞にて大賞を受賞し、「まだ一般にネットが普及していない89年の時点でOSやサイバー犯罪の脅威をこれだけリアルに描いた点は特筆すべき」など、現在に至るまで高い評価を獲得し続けています。素晴らしい!

劇場版『機動警察パトレイバー』

劇場版『機動警察パトレイバー

なお、「キャラクターの顔がOVA版と全然違う件」については賛否両論あったようで、最初の映像が出来上がった時、社内で大問題になったらしい(押井さんが勝手にキャラ変更の指示を作画監督に出していたため)。以下、押井監督のコメントより。

それで、みんなひっくり返っちゃったわけ。「野明が全然かわいくない!」って大騒ぎになって、緊急招集がかかっちゃった。僕は「全部それで作業進んじゃってるよ」って。もちろん、直す気なんて全然なかったから、知らぬ存ぜぬの一点張りで、「これでいいじゃないか、どこが悪いんだ」って完全に開き直った。伊藤くんも「う~ん、困ったねえ」とか言いながらニコニコしてた。結局、どういうふうに落とし前をつけたのか知らないけれど、ああいうことになった、結果的に。

ロマンアルバム押井守の世界」より)

さすが押井守、普通の人にはできないことを平然とやってのけるッ!(そこにシビレないし全然あこがれないけどw)

というわけで、この4年後に続編となる機動警察パトレイバー 2 the Movie』が公開され、1作目以上に押井監督が暴走しまくった結果、ファンの間でも色々と物議を醸すことになるんですが、その話はまた別の機会に書きたいと思います。

 

『となりのトトロ』ができるまで

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ


どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

さて本日、金曜ロードショーにてとなりのトトロが放送されます。ご存知、宮崎駿監督が作った劇場アニメで、1988年の公開から32年経っているにもかかわらず、いまだに多くの人から愛され続けている人気作です。

しかし、今でこそ名作として評価されている『となりのトトロ』ですが、公開当時や制作中には色々と大変なことが起きていたようです。

というわけで本日は、映画『となりのトトロ』が誕生するまでの様々なエピソードをご紹介しますよ。

 

トトロのアイデアが生まれた時期は意外に古く、1975年頃だそうです。当時、高畑勲監督とタッグを組んでTVアニメアルプスの少女ハイジを成功させた宮崎さんは、次回作母をたずねて三千里の準備中でした。

そんな時、「自分はこのままアニメ制作の一スタッフとして終わってしまうのか?」「何か”自分の作品”と呼べるものを作りたい」という思いが芽生え、複数のイメージボードを描いたという。

それは「赤い傘を持ってバス停に佇む一人の少女と、その隣に立っている大きなオバケ」や、「巨大なネコの姿をしたバス」など、まさしく『となりのトトロ』の原型でした。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

しかし、当時は世に出ることなく、その後、宮崎さんは『母をたずねて三千里』『未来少年コナン』『ルパン三世 カリオストロの城』など次々と色んなアニメ作品に関わっていきました。

そして4年後の1979年には、当時、宮崎さんが在籍していたアニメスタジオ(東京ムービー新社)にて日本テレビの「スペシャル番組」的なアニメの企画が立ち上がり、再びイメージボートを執筆。

「少女が庭で小さなトトロに出会う」などのエピソードが描かれ、キャタクターも「主人公の少女(メイ)、父親、隣の家の少年(カンタ)」や、「大中小のトトロ」「ネコバス」「ススワタリ(マックロクロスケ)」などがすでに登場していたようです。

宮崎さんはこれらのイメージボードを会社に提出したものの、人気漫画のアニメ化ではなく、地味なオリジナルストーリーである点などが敬遠され、残念ながら実現には至りませんでした。

こうして『となりのトトロ』のアイデアは、再び宮崎監督の机の引き出しにしまい込まれてしまったのです。しかし、それからさらに7年後の1986年、ついにトトロの企画が動き始めました!

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

当時、スタジオジブリは『天空の城ラピュタ』を公開し終えたばかりで、早くも「次回作はどうしよう?」と頭を悩ませていたらしい(その頃のジブリは、社員の給料や経費などを制作予算から捻出する方式だったので、新作を作らないとスタジオを維持できないため)。

そこで、宮崎監督が描いたイメージボードを過去に見ていたプロデューサーの鈴木敏夫さんは「宮崎さんが長年温めていたあの企画をやろう!」と思い付きました。ところが、「次はトトロをやりませんか?」と宮崎監督に提案すると「あれは俺よりも高畑さんがやった方がいいよ」と断られてしまったのです。

宮崎監督によると「自分は『トトロ』のキャラクターは考えたけれど、ストーリーは考えてないし、どういう映画にするかも何も決めていない。こういうのをやらせたら高畑さんの方が絶対にうまいはずだから、高畑さんが中心になってやればいいんだ」とのこと。

そこで鈴木さんは高畑監督に『となりのトトロ』を提案しますが、一向に首を縦に振りません。宮崎さんも一緒になって説得を試みるものの、全く引き受ける様子が無いため、さすがに二人とも諦めざるを得なかったそうです(もし高畑監督がトトロを作っていたら、どんな映画になってたんでしょうねw)。

 

というわけで結局、『となりのトトロ』は宮崎さんが監督することになりました(まぁ、もともと宮崎さんが考えていた企画ですからね)。そして、ここからいよいよ本格的な制作が始まる……かと思いきや、話はそう簡単に進みません。徳間書店側が難色を示したのです。

曰く、「『風の谷のナウシカ』とか『天空の城ラピュタ』とか、観客が望んでいるのはそういう冒険活劇ファンタジーだろう」「昭和30年代の日本を舞台にしたオバケと子供の物語なんて誰が観たがるんだ?」と。

つまり、徳間書店としては「宮崎監督に新作アニメを作ってもらうのはいいけれど、内容をもう少しどうにかして欲しい」ってことなんですね。そこで鈴木さんは考えました。「『トトロ』1本だけで弱いなら、高畑監督にも何か作ってもらって2本立てにすればいいんじゃないか?」と。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

こうして高畑監督が火垂るの墓を作ることになり、ようやくアニメ制作が始まる……かと思いきや、鈴木さんがこの2本立て案を上司に報告したところ、「『トトロ』は”オバケ”で、さらに同時上映が”墓”の映画だと?こんなのヒットするわけないだろ!」と大激怒。

鈴木さんによると「日本の映画業界は”墓”という言葉に神経質で、”墓”がタイトルに付いている映画は極めて少ない」とのこと。確かに、パッと思いつくのは『八つ墓村』とか、どちらかと言えば怖いイメージですよね(ただし、松田聖子主演の『野菊の墓』やコメディ映画の『お墓がない!』など、全くないわけではない)。

でも鈴木さんは諦めることなく、この「オバケと墓の2本立て企画」を『ナウシカ』や『ラピュタ』を上映した東映に持ち込みました。しかし「うちでは上映できません」とあっさり断られ、次に東宝へ持ち込むものの、これまたアウト。どちらの会社も「オバケと墓じゃ売れないよ」との理由で拒否されてしまったのです。

「せっかく宮崎駿高畑勲の映画を作れると思ったのに…」と落胆する鈴木さん。だがしかし!ここで窮地を救ったのが、徳間書店の社長の徳間康快です。徳間社長は東宝へ乗り込むと、「この2本立てじゃヒットしない」と渋る相手に向かって、「じゃあ『敦煌』を東映に持っていくぞ!」と脅したらしい。

敦煌』とは、当時東宝で配給が決まっていた製作費35億円の歴史超大作で、これを東映に持って行かれたら東宝は大変なことになってしまいます。なので仕方なく東宝が「オバケと墓の映画」を引き受けることになりました(脅迫じゃんw)。こうして、無事に(?)上映する劇場も決まり、ようやく制作開始かと思いきや……

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

ジブリは『天空の城ラピュタ』を作る時にも膨大な作業に悪戦苦闘し、公開日ギリギリにやっと完成したぐらいなのに、2本同時制作なんて可能なのか?そもそも作業スペースが足りないだろ!など、様々な問題が噴出。

「とりあえず、もう一つスタジオを確保しなければ!」ということで、慌てて制作担当者が探しに出かけるものの、条件のいい部屋がそんなにすぐ見つかるわけがありません。担当者の上司も「見つかるまで帰ってくるな!」と長期戦を覚悟していた模様。

ところが、不動産屋に向かう途中で偶然「改装工事中」と書かれた建物を発見。気になって中を覗いてみるとスタジオとして使うのに都合がよく、条件にも合いそう。すぐにジブリに引き返して「見つかりました!」と上司に報告すると、「お前、真面目に探したのか!?」と怒られたそうです(「そんな簡単に見つかるはずがない」と思ってたんでしょうねw)。

後日、宮崎駿監督もその建物を見に行き(ジブリからたった80メートルしか離れていなかった)、フロアに入って「広くて綺麗で窓もいっぱいあって、いいじゃないですか」と気に入った様子。

さっそく吉祥寺のスタジオジブリを「第1スタジオ」、新しく借りた部屋を「第2スタジオ(トトロ班分室)」と名付け、宮崎監督は第2スタジオへ引っ越し。こうして1987年4月13日、ようやく『となりのトトロ』の制作がスタートしたのです。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

しかし、制作を開始してからも宮崎監督と高畑監督が優秀なアニメーター(近藤喜文)を取り合ったり、当初は60分程度の中編映画の予定だった『となりのトトロ』が最終的に88分になったり、次から次へと予期せぬ事態が巻き起こりました。中でもスタッフを悩ませたのが「茶カーボン」です。

現在はデジタルに移行しているので使うことはありませんが、昔は紙に描いたキャラの線をセルに転写する際に「カーボン」と呼ばれる薄いシートを使っていました。これは基本的に「黒カーボン」が当たり前で、アニメのキャラの線は昔から”黒”が常識だったのです。

ところが、『となりのトトロ』では色指定の保田道世さんと宮崎監督、さらに『火垂るの墓』の高畑勲監督も加わって綿密な打ち合わせを繰り返した結果、「茶カーボンでいく」との結論に至りました。

昭和30年代の日本の風景には、黒よりも明るい茶色の方が合うだろう…と考え、実際に黒の線でもテストしてみたのですが、圧倒的に茶色の方が美しかったそうです。以下、背景美術を担当した男鹿和雄さんのコメントより。

なぜ茶色が合うかというと、実際、5月でも真夏の盛りでも、草を見ていると茶色が結構あるんです。枯れた葉っぱとかが必ずあるんですね。だから、自然の草むらや森を描く時に、グリーンだけで描くよりも、枯れた茶色をどこかに入れると、よけいグリーンが綺麗に見えるんですよ。

ロマンアルバムとなりのトトロ」より)

こうして「茶カーボン」が採用されたわけですが、この後、様々な難題が待ち受けていました。まず、茶カーボンは通常の黒カーボンよりも値段が高く、倍以上のコストがかかります(特注品のため)。10枚や20枚ならともかく、『となりのトトロ』の作画枚数は4万8千枚以上ですから、これはなかなか厳しい。

また、今までならトレスマシンで転写できていた線が、茶カーボンではトレスできない、あるいは線が薄い等の問題が発覚(普通はアニメーターがハッキリした線を描いた方がトレスしやすいんだけど、茶カーボンは逆に強い筆圧だと線が出にくいらしい)。

そのため、トレス線が綺麗に出ない絵はすべてリテイクとなり、作画スタッフは大変な苦労を強いられたそうです。

さらに、ジブリ社内のトレスマシンでは転写できても、外注の仕上げスタジオでは線が出ないというケースが続出!仕上げスタジオに頼んでマシンのパーツを新しく交換してもらったり、何とか対処しようとしましたが、全てのスタジオにまではいき届かず、結局ジブリでトレスしてから仕上げに回すことになりました(制作進行の仕事が倍増!)。

そんな感じで、現場はかなり大変なことになっていたようですが、茶カーボンを使用した映像は優しくて暖かく、『となりのトトロ』独自の美しさを生み出すことに成功。

宮崎駿監督『となりのトトロ』

宮崎駿監督『となりのトトロ

こうして映画は無事に完成し、1988年4月16日に全国の劇場で公開されました。しかしその結果は……残念ながら関係者の期待を超えることは出来なかったようです。配給収入は5億8千万円で、『風の谷のナウシカ』の7億4千万円よりも大幅に落ち込み、興行的には”失敗”してしまったのですよ(プロデューサーもガッカリ)。

ところが…

劇場でヒットしなかったにもかかわらず、その評価は絶賛の嵐!1988年度「キネマ旬報ベストテン」で日本映画第1位を獲得した他、毎日映画コンクールで日本映画大賞、第31回ブルーリボン賞で特別賞、第24回映画芸術ベストテンで日本映画第1位など、ありとあらゆる国内の映画賞を総ナメにしました。

そして、97年にビデオが発売されると発売後わずか1ヶ月で100万本を売り上げる驚異的なセールスを記録し、2001年にDVDが発売されるとオリコンDVDチャートで前人未到の500週連続ランクインを達成!

さらに金曜ロードショーでテレビ放映されると、毎回毎回20%前後の高視聴率を叩き出し、「いったい何回トトロを観れば気が済むんだ!?」と他局の関係者を呆れさせるほどの人気ぶりを発揮したのです。

このように、公開当時はヒットしなかったけれど、観た人の評価は圧倒的に高く、長年に渡ってずっと愛され続けている作品が『となりのトトロ』であり、これこそがまさに名作の証と言えるのではないでしょうか。

 

●参考文献
今回の記事は以下の書籍を参照させていただきました

ふたりのトトロ -宮崎駿と『となりのトトロ』の時代-

となりのトトロ』で制作デスクを務めた筆者が体験した面白エピソードの数々を掲載
ジブリの教科書3 となりのトトロ (文春ジブリ文庫)

鈴木敏夫が語る制作裏話や半藤一利、中川李枝子ら豪華執筆陣が作品の背景を解説