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片渕須直監督が『この世界の片隅に』で挑戦した作画表現について

この世界の片隅に

映画『この世界の片隅に

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

昨日、NHKで劇場アニメこの世界の片隅にが地上波初放送されました。2016年に公開された本作は、小規模上映ながらも口コミで評判が広まり、全国で異例のロングランヒットを記録。

『第40回日本アカデミー賞』で最優秀アニメーション作品賞、『第41回アヌシー国際アニメーション映画祭』では長編部門審査員賞を受賞するなど、国内外で非常に高い評価を獲得したのです。

女優の能年玲奈が ”のん” に改名して初めてアニメの声優を演じたことや、製作費が足りずに監督の片渕須直さんが自腹で準備を進め、クラウドファンディングで3900万円を集めたことでも話題になった本作ですが、とにかく内容が素晴らしい!

第二次世界大戦中の広島・呉を舞台に、主人公のすずさんとその周辺の人々の日常生活を丁寧に描いた点や、片渕須直監督が徹底的に当時の状況を調べ上げ、それらを忠実に再現した風景なども高く評価されました。

この世界の片隅に

映画『この世界の片隅に

そんな『この世界の片隅に』ですが、意外と「作画」については語られることが少ないんですよね。理由は恐らく、見た目が”地味”だからでしょう。

例えば、京都アニメーションの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や『響け!ユーフォニアム』のキャラクター、あるいは新海誠監督の『君の名は。』や『天気の子』などの美しい背景など、近年のアニメファンは「ディテールが緻密で綺麗な作画」を好む傾向にあります。

それに対して『この世界の片隅に』は、素朴でマンガチックなキャラクター(原作通り)や、比較的あっさり描かれた背景など、”作画好き”が食いつきそうな要素はあまり見当たりません。

美術監督の林孝輔さんによると、「本作の背景は淡くふんわりと、やさしい雰囲気になるよう心掛けました。肩の力を抜いて、あまり描き込まないように意識して。情報量が多すぎると画面がうるさくなってしまうんですよ。だから背景を描く時は、それっぽく見えるディテールだけを活かすなど、情報量は引き算しつつ、ちゃんと調べて描いてあることが伝わるような方向でまとめました」とのこと。

つまり、原作の世界観を再現するために意図的に画面の情報量をコントロールしていたらしいのですが、では『この世界の片隅に』の作画は大したことがないのか?っていうと、決してそんなことはありません。

むしろ、一見しただけでは分からないような部分に”作画的な凄さ”が盛り込まれているのですよ。その一つが「ショートレンジの仮現運動」です。

「ショートレンジの仮現運動」とはいったい何か?

その前に、アニメーションがどんな風に作られているか簡単に説明すると、まずアニメーターが動きのキーポイントになる絵を描きます(これを”原画”と呼ぶ)。

次に原画と原画の間に動きを補完する絵を描きます(これを”動画”または”中割り”と呼ぶ)。原画だけでも一応は動いて見えますが、動画を入れることでよりスムーズな動きになるため、基本的にアニメは「原画」と「動画」で構成されています。

「原画」と「動画」

「原画」と「動画」

そこで、片渕須直監督は考えました。「原画と原画の間に動画を入れれば動きがなめらかになる」「じゃあ、動画の枚数を増やせばもっと自然な動きになるのではないか?」と(以下、片淵監督の発言から引用)。

ここ何年か映像学会やアニメーション学会で「アニメーションはなぜ動いて見えるのか?」をテーマに、色んなディスカッションを重ねてきました。その結果わかってきたのは、「ショートレンジの仮現運動」と「ロングレンジの仮現運動」があるということ。

普通の日本のアニメは、中抜き(原画と原画の間に中間ポーズを描いた”中割り”を入れないこと)でパパッと動かすカッコよさがあるんですけど、それはロングレンジの仮現運動なんです。

それに対して、動き幅をもっと小さくしたショートレンジの仮現運動にすると、ロングレンジの時とは”脳の違う部位”が反応するのか、本当に動いているように見えるんですよ。

たとえば蛍光灯って100Hzから120Hzでチラついていますが、人間の目には動きがコマ送りのようには見えず、ちゃんと一連の動きとして見えますよね。それと同じことが、動き幅を小さく(ショートレンジに)していくと起きるのではないかと。

ショートレンジの仮現運動は、『マイマイ新子と千年の魔法』の時に一部で試して、PV『花は咲く』や『これから先、何度あなたと。』でも挑戦してみた手法です。本当に動いているように見えれば、すずさんたちキャラクターの存在感はとても大きなものになるし、そこからすずさんたちの生活感も生まれてくるだろうと。

なので今回は、今までだったら中なしで動かすようなところでも、執拗に中割りを入れるようにしました。その結果、カット袋の厚さとかがちょっと半端じゃなくなりました(笑)。家族全員で食事をしているカットなんて、1カットの動画枚数がすぐ300枚ぐらいになっちゃいました。

「『この世界の片隅に』公式ガイドブック」より

 「仮現運動」について補足すると、踏切の警報器のように、わずかの時差で明滅する二つの光がある時、人間は目の錯覚で光が左右に動いているように感じる場合があり、これを仮現運動といいます。

アニメのキャラが動いて見えるのは、こうした錯覚を利用しているからなのですが(実際は止まった絵を連続で表示しているだけ)、片淵監督は「絵と絵の間のレンジを詰めていけば、本当に動いて見えるに違いない」と考えたのです。

実際、『この世界の片隅に』を観てみると、多くのキャラクターが実在感を持って生き生きと動いていることがわかるでしょう。片淵監督はこの”ゆったりとした動き”を通じて、すずさんたちに実在感を与えようとしていたんですね。

そしてもう一つ、監督がこだわった点が自然主義的な動作」です。

通常、アニメで日常の動きを描く場合、効率よく作画するために、ある程度「簡略化(記号化)された動き」になりがちなんですが、この映画ではそういう日常動作を省くことなく丁寧に描写してるんですよ。

例えば、家族で食事するシーンをよく見ると、「お父さんが右手で箸を掴み、お茶碗を持っている方の手で一旦箸を支えてから指で使いやすい位置に持ち替える」という細かい仕草を作画で全て再現しているのです。

実際にやってみると分かりますが、確かにこうしないと箸が正しく使えないんですよね。ただ、普通のアニメでここまで細かく描くことはまずありません。アニメーターに負担がかかるし、そもそも「無くても成立するから」です。

しかし、片淵監督は敢えて日常動作を丁寧に描くことを決断。また、「作画監督松原秀典さんが、もともと自然主義的な発想の人だったので…」と言っているように、周りのアニメーターの理解があったからこそ、ここまで緻密な作画を実現できたのでしょう。

というわけで、『この世界の片隅に』は一見すると「ほのぼのとしたマンガチックな作画」に見えますが、その裏では「ショートレンジの仮現運動」や「自然主義的な動作」など、キャラキターに実在感を与えるための様々な工夫が盛り込まれていたのです。なので本作を観る際は、ぜひこういう部分にも注目しながらご覧ください(^.^)

 

庵野秀明監督の『シン・ウルトラマン』は実現するのか? → 実現した!

庵野秀明監督とウルトラマン

庵野秀明監督とウルトラマン

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

先日、「庵野秀明監督が『シン・ゴジラ』に続いて『シン・ウルトラマン』を制作するらしい」という記事がネットに流れてファンがザワつきました。

庵野さんと言えば、大学生の頃に「自分自身がウルトラマンに扮して怪獣と戦うウルトラマン映画」を自主制作で作ってしまうほどのウルトラマン好きとして知られ、『シン・ゴジラ』が大ヒットしている時から(期待も込めて)「次は『シン・ウルトラマン』だ!」などと言われていたそうです。

なので、全くあり得ない話ではないんでしょうけど、ただ「どこまでこの記事に信憑性があるのか?」という点ではいささか懐疑的だったんですよね(多くの人も「単なる飛ばし記事」として見ているようだし)。

 

ところが…

 

あることをきっかけに「あれ?コレってもしかしてマジなのでは…」と思うようになったんですよ。

そのきっかけとは、氷川竜介さんがこの『シン・ウルトラマン』の記事をリツイートしたこと。そして、「間違えました」と慌てて削除したことです。

氷川竜介さんと言えば、アニメや特撮作品などの研究家であり、当然ながらゴジラウルトラマン関連の情報に詳しく、さらに庵野監督との親交も長きに渡り、過去には対談や『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』のロングインタビューなども担当しているのです。

そんな氷川さんが、一般人みたいに「うっかりして」真偽不明の怪しい記事をリツイートしたりするでしょうか?氷川さんならすぐ関係者に確認を取れる立場にあるわけだし、そもそも庵野さんに直接聞けば済む話でしょう?なんか不自然なんですよねえ。

 

で、ここからは僕の推測になりますが…

 

もしかして氷川さんは『シン・ウルトラマン』の企画が水面下で密かに進行しているという情報を以前から知ってたんじゃないか?と。

知っていたからこそ、この記事を目にした瞬間、「あの企画がついに決まったのか!」と勘違いして(関係者に確認も取らずに)うっかりリツイートしてしまったのではないかと。

そして、直後に「あっ、マズい!まだ公式に発表されてなかった!」と気付いて慌ててツイ消しし、「うっかりしてました」と取り繕ったのではないか…と。コレ可能性としては結構あり得ると思います。

なぜなら氷川さんは、『シン・ゴジラ』の時も情報が解禁されるずっと前から神山健治さんが書いた「初期プロット版の脚本」を渡され、それを読んで庵野さんに様々な意見を出していたからです。なので今回も『シン・ウルトラマン』の検討用シナリオぐらいは読んでるんじゃないのかな?と。

これに対して「だとしても、極秘で進めている映画の企画内容が、そう簡単に流出したりしないだろ」と思う人がいるかもしれません。しかし、意外とこういうのって珍しくないんですよね。

例えば、数年前に週刊文春が「大人気コミック『ジョジョの奇妙な冒険』がついに実写化決定!」という記事をスッパ抜いたら、映画会社も集英社も「知りません」と否定したのに、その後「実写化決定!」と公式発表されました。

つまり、正式に決定するまでは公にできないけれど、水面下では常に多くの企画が動いていて、そういう「関係者だけが知っている情報」がうっかり外部に漏れてしまう…というパターンは実際にあるんですよ。

もし今回の件がそうだとすれば、少なくとも庵野秀明監督が『シン・ウルトラマン』を撮るという企画」自体は、何らかの形で検討されているのかもしれません。

ただ、「じゃあこの企画は実現するのか?しないのか?」っていうと現時点ではまだ分からないし、実現しなかった場合は「やはりあの記事はガセネタだったんだな」などと言われてしまうんでしょうねえ(^^;)

 

※追記
円谷プロと(株)カラーから「『シン・ウルトラマン』の制作決定」「2021年に公開予定」と正式にアナウンスされました。やっぱ氷川さん知ってたんだね(あのリツイートは”フライング”だったわけかw)。

 

シン・ゴジラ

※プライム会員の方は無料で視聴できます

『未来のミライ』は細田守監督の息子が見た夢だった?(ネタバレ解説)

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

どうも、管理人のタイプ・あ~るです。

先日、「金曜ロードSHOW!」で細田守監督の劇場アニメ未来のミライが地上波初放送されました。

昨年の夏に公開されたばかりの最新作なんですが、実はこの映画、公開時に評価が賛否両論真っ二つに分かれ、かなり批判的な意見も多かったんですよね。

なので「今回のテレビ放送でもそういう反応が出るんだろうな…」と思っていたら案の定、SNS上で「これはひどい」「なんてつまらない映画なんだ!」などと批判が殺到していたようです。

その主な理由としては(「くんちゃん役を演じた上白石萌歌の声が全然合ってない」などもありましたが)、やはり「内容が意味不明」「どこが面白いのか全く分からない」という感想が多数を占めていた模様。

大まかなあらすじを書くと、「4歳のくんちゃんに妹(ミライちゃん)ができたことで、お父さんやお母さんが妹ばかりを気にするようになり、不機嫌になったくんちゃんが庭に出ると未来からやって来た妹と出会い、次々と不思議な体験を繰り返していく」というお話です。

これだけ聞くと面白そうな感じもするんですが、実際に観てみると何故かイマイチなんですよねえ…。

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

まず最初に、くんちゃんの家で飼われている犬の”ゆっこ”が擬人化して、「自分は両親から可愛がられていたのに、お前が生まれてから大事にされなくなった」などとくんちゃんに愚痴をこぼします。

そして、いきなりくんちゃんがゆっこのシッポを奪って自分の尻にズボッ!と挿入。すると何故かくんちゃんが犬に変身して庭を走り回り、最後はゆっこのドッグフードが少しグレードアップしてなんとなく終了。

その後は、ミライちゃんの依頼で雛人形を片付けたり、ひいおじいちゃんに会ってバイクに乗せてもらい、苦手だった自転車に乗れるようになるなど、「ミッション・クリアー型の小さなイベント」を一つずつ消化することでストーリーが進んでいく…みたいな構成になってるんですよ。

しかしながら、それぞれのエピソードが割と短い上に、派手なアクションシーンがあるわけでもないため、全体的にスケール感の小ささは否めません。中でも個人的に気になったのは「現実と非現実の境界線が曖昧なこと」なんですよね。

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

例えば時をかける少女の場合、物語の舞台は現実世界がベースになっていて、主人公が”タイムリープ能力”を使うことで非現実の状況が出現する、というスタイル。

サマーウォーズの場合も完全に現実世界が舞台ですが、インターネット上の仮想世界「OZ」を通じて非現実的な空間を表現していました。

おおかみこどもの雨と雪も現実世界が舞台ではあるものの、”狼と人間の間に生まれた子供”という非現実的なキャラクターを劇中に投入することで全体的にはファンタジー作品となっています。

そして『バケモノの子』は、主人公が「人間界(渋谷)」と「バケモノ界(渋天街)」を行ったり来たりすることで、「現実と非現実の境界線」を明確に見せていました。

それらに対して、『未来のミライ』はどうなのか?というと…

未来の世界からやって来た中学生のミライちゃんは、一見すると『時をかける少女』と同じく”タイムリープ能力”を使って現れたように見えますが、そもそもミライちゃんにそんな能力があったのでしょうか?

もしミライちゃんが超能力者だとすれば、犬のゆっこはどうなのでしょう?人間に変身できる特別な能力を持った犬だった?それとも、元々人間だったのが魔法みたいなものをかけられて犬の姿になってたの?

「いやいや、その辺はファンタジーなんだから深く考えなくてもいいんだよ」「もしかすると全部くんちゃんの妄想(空想)かもしれないし」という意見もあるようですが、ミライちゃんやゆっこの行動が現実世界にしっかり干渉している点を考えても、単なるイマジナリーフレンド(空想の友人)とは思えないし、いくらファンタジーだからと言っても「なんでもアリ」が許されるわけじゃないでしょう。

ハリー・ポッター』のようにファンタジー世界がベースの映画だって「なぜそうなるのか?」という理由は示されているし、その世界の中の「ルール」みたいなものがちゃんと存在しているわけですから。そういう意味では、『未来のミライ』って「あまりにもルールが不明確」なんですよねえ。

つまり、細田守監督の過去作品では不思議なことが起きても一応何らかの説明が成されていたのに、今回は「まあファンタジーだから別にいいじゃん」とスルーしているように見えてしまうんですよ。その辺が「よく分からん!」と批判された要因なんじゃないでしょうか?

映画『未来のミライ』

映画『未来のミライ

ちなみに細田監督はインタビューで、『未来のミライ』を作ることになった”きっかけ”を以下のように語っていました。

本作を作るきっかけの一つは、2人目の子供(長女)が生まれたこと。妹が出来たことで4歳の長男の行動が明らかに変化しました。それまでは両親にすごく愛されていたのに、いきなり妹に愛を奪われて(笑)、床を転げ回って泣き叫んでるんです。そのリアクションが非常に面白かったので、これを映画にしたいなと。

そしてもう一つのきっかけは、4歳の息子が見た夢の話。僕は毎朝起きると「今日はどんな夢を見た?」と聞くようにしてるんですが、ある日「大きな赤ちゃんに会った」って言うんですよ。「体の大きな赤ちゃん?」って聞いたら「違う。妹が大きく成長して、お姉さんみたいになって僕に会いに来た」って。

それを聞いて「えええ!?お父さんも会いたいよ!」って(笑)。夢の中で赤ちゃんはどんな女性になっていたんだろう、兄妹でどんな話をしたんだろう…などと考えていくうちに、着想したのが『未来のミライ』という物語だったんです。

 

※「ダ・ヴィンチ」2018年8月号より

 この発言を見る限り、「細田守監督のプライベートをほぼそのまんまアニメ化した」としか思えないんですけど(笑)、まあ『サマーウォーズ』にしても『おおかみこどもの雨と雪』にしても、基本的に細田監督作品は自身の実体験が元ネタになっていることは割と有名なので、その辺は別にいいでしょう。

ただ、もし本当に「自分の4歳の息子が見た夢」を元ネタにしているなら、この映画全体が「くんちゃんの見た夢」ということになり、「子供の見た夢なら何でもアリだからしょうがないよね」的な結論になってしまうのです。それってどうなのかなあ…。

ちなみに、『未来のミライ』を通じて細田守監督が今回伝えたかったことは、大きく分けて以下の2つだそうです。

1:子供と親を巡る物語は自己相似的に何世代にもわたって繰り返されており、”家族”というものは過去から連なるそれらの些細な偶然の積み重ね(奇跡)によって成り立っているのだ。

 

2:子供は、妹が生まれたら自動的に兄になるのではなく、自分自身で”兄”という役割を自覚した時に初めてアイデンティティーが確立し、”兄になる”のだ。

 非常にいいメッセージであり、映画自体も良く出来てるんですが……だとしてもやはり話が面白くない(苦笑)。いや、恐らく細田監督の表現力がハイブロウすぎて我々が付いていけてないだけなんでしょう。なので、次回作はもう少し”ゆる~い感じ”でお願いします(^^;)